« 柚子のマドレーヌ | トップページ | 白いオーケストラ、再び vol.1 »

はざまのじかん

えー、「文族の春」に出そうかと思いつつ。
案の定というか何というか、全然間に合わなかったのですが。

 

 

 

***  はざまのじかん   ***

 

片腕をもぎ取られ、制御不能なまでに大破したRBに封じられて、ドランジは虚空を漂っていた。RBはその構造上、直接接触して与えられた衝撃に対しては脆いという弱点を抱えている。シールドに守られて火星の海を疾走している間は、また剣鈴で戦う間は敵との物理的接触の反動がほとんど想定されないからだ。
だがこの空間では、シールドが完全には動作しなかった。正体不明の巨大な敵に捕らえられ、振り回された衝撃を吸収仕切れず、内部のドランジはダメージを喰らって意識を失ったのだ。はじき飛ばされたRBは、嵐に巻き込まれた木の葉のように、そのまま為す術もなく空間を浮遊していた。既に活動限界はとうに過ぎ、生命維持に必要な最低限の動力を残して沈黙したコックピット内で、ドランジは夢と現の間を彷徨いながら、それら全てが繋がっているような、長く取りとめのない夢を見ていた。

ある時は夜明けの船に乗って仲間達と共に戦い、ある時は宇宙空間で地球総軍の一員として隊を率いていた。見たこともない新しい航空機のテスト飛行をし、のどかな南の島で誰かと海水浴を楽しみ、またある時にはただひとり生き残って火星に暮らし、生きているのか死んでいるのかも分からないような日々を送っていることさえあった。
そのどれもがとてもリアルな現実の鮮やかさを持ち、そして同時に夢のような儚さを持っていた。掛け替えのない大切な愛しい誰かと出会い、その笑い声を聞く幸福と、その人を永遠に喪う胸の痛みを同時に味わう、そんな夢。

その時、誰かがドランジの名前を呼んでささやいた。仲間を人質に取られ、やむを得ず味方に剣を向けたドランジは、その声に呼ばれて振り返った。乗り慣れたRBのその暗いコックピットの向こう側から、誰かが彼の名前を呼んでいる。
ガラスの鈴を振るような、光って弾けるような明るい声。
(ドランジ、頑張って。目を覚まして。)
目を覚ます。では、自分は眠っているのだろうか。潜入捜査のためにどこかの暗闇の中に身を沈め息を殺しながら、ドランジは自分のいる場所を探し始めた。夢の迷宮をくぐり抜けて、最も幸福な時間を求めて走り続ける。誰かを、愛しい誰かを軽々と持ち上げ、肩に担ぎ上げたのは、何時のことだったろうか。
(ドランジ!)
その声に導かれて、ドランジは辛うじて自分の目をこじ開けた。暗いコックピットの狭い空間に、非常用の赤いランプの灯がぽつぽつと浮かんでいる。
「…誰だ。」

暗い闇に溶け込むように、白いローブを着た幻のような少女が、ふわりと舞ったような気がした。だが、脳震盪を起こしているらしい自分の視界はぼんやりとかすんで、それが本当に見えているのか、夢の続きでしかないのかすら、区別が付かない。
「…眼が、よく見えない…。」
身体を動かすことすらままならないドランジの正面に、その顔を覗き込むように少女の顔が現れた。照明が落ちたこの暗い空間で、どうしてその姿が見えるのか、よく分からない。だがその深く昏い瞳に、ドランジは見覚えがあるような気がした。少女は心配そうにドランジを見て、そしてついと近寄って来ると、その細い腕を伸ばしてそっとドランジの顔を抱き寄せた。少女の心臓の音が、聞こえるような気がした。自分の外側にあったその優しい鼓動が、己の鼓動と重なって共鳴し、同じリズムを響かせ始める。まるでそれに癒されているとでもいうように、自分の身体が回復していくのを、ドランジは感じ取った。

ゆっくりと、視界の鮮明さが戻ってくる。ドランジが意識をはっきりさせようと身を動かすと、少女の幻はすうっと宙を泳いでコンソールの上にちょこんと腰をおろした。その背に、きらきらと金の粉を散りばめたような光を放つ透明な羽根を、ドランジは見たような気がした。
「……クリストキント?」
ドランジのつぶやきを聞いて、少女はまた、鈴の音のように笑い声をたてる。
(そうよ、贈り物を届けに来たの。)
それは彼の故郷に伝わる、古い風習の使者の呼び名だった。他の場所ではサンタクロースが運んで来ると言われている冬の贈り物は、彼にとってはこの少女が家々へともたらすものだった。白いローブに、金の翼を持つ少女。
(んー、ここじゃ狭すぎるわ。希望号、ハッチを開けて。)

希望号が反応するなどと、そんなことは有り得ない、そう思ったのはドランジの視界に白い空間がひらけた後だった。あっけに取られて周囲を見回すドランジは、遅ればせながら、自分の呼吸が正常であることに気が付いてほっと息をつく。それは、どこまでもただ白く広がる空間だった。光が満ちているというのとは、少し違っていて、暗くはない代わりに眩しくもない。そんな不思議な、現実感の乏しい白い色に満たされた空間が、どこまでも続く、そういう場所だった。

その時になってやっと、ドランジは自分の置かれた状況を思い出した。回廊と呼ばれる場所を通過して火星へ撤退する途中、正体不明の敵に遭遇し、部隊は大打撃を受けて蹴散らされたのだ。ヤガミを守ろうとする味方の一群が、八本腕の奇怪な敵に襲われているところまでは把握していたが、その後は覚えていない。だが現在目に見える範囲に、敵味方どちらの機影も捕らえられず、白い空間はただ静かに広がっているだけだ。

(ヤガミは無事よ、ドランジ。)
コックピットの縁に腰を降ろしているのが、いつの間にか総軍の青い軍服の女性に変わっているのに気が付いて、ドランジは目を瞠った。驚いた顔のドランジを見下ろして、彼女はにこりと笑みを作る。その顔立ちと、その昏い瞳に見覚えがあるのに、ドランジは気が付いた。先程の少女と同じ昏い瞳、そして。
かつて、この白い空間のように、夢とも現ともつかない何処かで。生死の境を彷徨うドランジは、誰かと遭遇したことを思い出した。雪のように降る光の中で、透明な羽根を持つ誰かが微笑んでいる。あれは。

「…君は、誰だ。」
(今の貴方は、まだ知らないわ。私たちは、これから出会うの。)
ドランジを見下ろすその柔らかい笑顔の向こう側に、透明に光る羽根が広がるのが見える。白い空間に、漆黒の宇宙への窓を開いたような、深く昏い瞳。彼女が、その背後の白い空間を振り返った。
(そしてこの時間は、これから無かったことになる。この回廊での戦いは起こらないし、貴方は敵に捕らえられたりしない。可哀想な少女は一命を取り止め、ひとつの哀しみは回避される。)
(でも、どうか、覚えていてね。こんな哀しみがあったことを。選ぶべき道をほんの少し間違っただけで、たくさんの涙が流された時間があったことを、どうか、覚えていて。そして今度こそ、正しい道を選び取って。)
その姿が、そのまま白い闇に溶け込んでしまいそうな気がして、ドランジは反射的に立ち上がると、彼女の腕を掴んだ。驚いた顔で、彼女が振り返る。その闇色の瞳を覗き込むようにして、ドランジは夢中で誓いの言葉を返した。
「覚えている、君と出会ったことを。その瞳の色を。」
(……ありがとう。)

青い軍服の女性は子供のようにあどけない笑みを浮かべると、そのまま両手を広げ、ドランジへ向かって身を投げるように空を泳いだ。その重みを受け止めるべく同じように手を伸ばしたドランジは、彼女の背の透明な翼が、空間を飲み込むように輝いて波打ち広がってゆくのを見た。確かに腕に抱き締めた筈の彼女の身体は、まるで幻のように重さを持たず、それどころかドランジの腕をすり抜けてそのまま空に浮かび上がる。ドランジの首に廻された彼女の細い腕だけが、辛うじて二人を繋ぎ止めた。
(今度出会う時は、そうね、貴方の愛人、かな。)
「あ、愛人? いや、駄目だ、そんなことは」
くすくすと笑う彼女は、そっとドランジの顔を引き寄せると、その頬に柔らかく暖かい唇を押し当てた。
(また会いましょう、厳正の絢爛舞踏。それから。ヤガミと喧嘩しちゃ、駄目よ。)
ドランジの意識は、広がり続けるその透明な羽根に飲み込まれた。そして。

昏い瞳の色だけが、その魂の奥底に光る闇のように残された。

« 柚子のマドレーヌ | トップページ | 白いオーケストラ、再び vol.1 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: はざまのじかん:

« 柚子のマドレーヌ | トップページ | 白いオーケストラ、再び vol.1 »