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Let's Over the Rainbow vol.2

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***  Let's Over the Rainbow   ***

vol.2

 

 

緊張に竦んだ真奈の気持ちに追い討ちをかけるように、不意に舞台袖のスタッフがひそひそと騒ぎ始めた。真奈がそれに耳を澄ますより前に、今度は観客席で歓声が上がる。不安げにモニターを見やる真奈の目に、鮮やかな黄色の波が飛び込んできた。いつの間にか、観客席のその一面に、黄色い海が広がっているのだ。

(…菜の花とは、ここで日本趣味狙いか…)

おそらくは真奈に聞かせるつもりはないのに、思わず口からこぼれてしまったらしいマネージャーの悔しげな声が、頭の中で響く。華やかな演出を見慣れている筈の舞台技術者達が浮き足立つ程、信じられないくらいに美しい菜の花畑が、一瞬にしてスタジアムを埋め尽くしていた。

観客席周囲のホログラム装置は、ほんのおまけのようなもので、ここまでリアルな立体映像を演出できるのだとは、真奈は聞いていなかった。実際、真奈のスタッフが予算を注ぎ込んで特注した海の風景は、このリアルさの足元にも及ばないだろう。

ホログラム技術がどんなに発達しても、それは所詮幻の花、美しい映像は実体を持たない。にもかかわらず、その菜の花畑の風景は、静かに風にそよぐそのざわめきと、涼しい花の香りまで運んでくるかのようだった。

見たことも無いのに、涙が出そうな程に懐しい光景。だがその風景からすら、自分だけが取り残されているような気がして、真奈は今後こそ泣きそうになった。その時、そっと真奈の頬に触れて彼女の心を気遣うように、風が、吹いたような気がした。

はっと我に返り顔を上げた真奈の視界の端に、淡い黄色の波が揺らめいた。慌ててそちらに目を向け、そして真奈は息を飲んだ。今の今まで何も無かった筈の空間に、一群れの菜の花が咲いている。

高価なホログラム装置は、こんな舞台裏のスペースには設置されていない筈だった。現につい先程まで、舞台上でどんな演出がされようと、この空間は置き去りの薄闇に沈んでいたのだ。だがそんな理性の否定を裏切るように、薄暗い空間のその寂しさを拭い去るように、仄かに光る明るい菜の花色が、そこかしこに揺らいでいる。

しかもその花の波が、海の水が満ちるように自分に向かって寄せてくるのに気が付いて、真奈は目を丸くした。

菜の花の波はひたひたと満ちてきて、まるでそこが波打ち際だとでも言いたげに、真奈の前でゆらりと動きを止めた。

その菜の花が、がさごそとリアルな音を立てた。花の足元を、何かがかき分けているようなざわめきが菜の花を揺らし、硬直している真奈に向かって走ってくる。そして。

菜の花の波間から、小さな丸い瞳がこぼれ落ちた。耳が長くて瞳の大きいリスのような生き物が、菜の花の根元からちょこんと顔を覗かせたのだ。まるで子供がかくれんぼを楽しんでいるそのままの表情で、きょろきょろと周囲を見回している。そして予想外の出来事の連続に固まっている真奈と目が合って、その生き物は一瞬、びっくりしたように身を翻して菜の花の陰に逃げ込んだ。

だが、真奈がそれを残念に思うよりも前に、小さなその生き物の耳が再び菜の花の根元に見え隠れし始めた。勇気を振り絞るように、そうっと覗かせた丸い瞳を、真奈は祈るような気持ちで見詰め返した。それが何者なのかよくは分からなかったが、こんな小さくて可愛らしい生き物に怯えられるというのは、決して気持ちのいいものではない。

そんな真奈の気持ちが通じたのかどうか、それは後ろ足で立ち上がって菜の花の陰に半ば隠れたまま、何かをじっと考えているようにも見えた。長い耳がぴくぴくとうごめいている。それから、妙に人間臭いしぐさで瞬きすると、その生き物は後ろ足で身を起こしたそのままの姿勢で、菜の花の陰から離れ、真奈に向かってよたよたと歩き始めた。

大きな耳と長いしっぽには、およそ無理のあるその姿に、思わず幼い子供が転ばないかと心配するような心持ちになった真奈は、ふと、その両手を合わせた上に黄色い何かが乗っているのに気が付き、目をこらした。

小さな両手に大事な宝物を抱き締めるように、小さな黄色い花が握られている。それが、たった一房の菜の花であることに、真奈は気が付いた。菜の花は、小さな花がたくさん集まって花の房を形作る。その内のたったひとつが、小さな両手に大切に握られているのだ。

おぼつかない足取りで、ようやく彼女の足元までたどり着いたその小さなメッセンジャーは、真奈に向かって、おずおずと花を差し出した。小さな両手を精一杯伸ばして届けられた、最も小さな花束。

真奈は思わず、白い衣装が汚れるのも忘れてその場に膝を付いた。相手を驚かさないようにそっと手を差し伸べると、その生き物は真奈の指の上に菜の花を置いて、満足そうに真奈の顔を見上げてみせた。

ほんの指先に乗るだけの、小さな小さな花束の向こうに、自分の指が透けて見える。だが真奈には、その幻の花のひんやりとした花びらの感触と、涼やかな匂いが伝わってくるような気がしてならなかった。

真奈の瞳から、涙がこぼれ落ちる。

この巨大なスタジアムを飲み込んでいる菜の花は全て、この指先に乗るほどの、小さくささやかな花の集まりなのだ。一面に観客の間を埋め尽くす花の海の巨大さに目が眩み、それがこんな小さな一輪の集まりで形作られている、そんな当たり前のことを誰もが忘れてしまっている。

小さなメッセンジャーは自分の仕事に満足したとでもいいたげに身を翻し、先程とは打って変わった身軽さで菜の花の波に走り寄る。そしてもう一度振り返って真奈を見つめると、別れの挨拶のように微かににゃっと鳴いてから、来た時と同じように菜の花を揺らしながら帰って行った。

その時一際大きな観客の声援が轟いて、茫然としていた真奈の意識を呼び戻した。舞台上を映し出した小さなモニターに目を走らせると、ありあが歌に合わせて、真っ直ぐに前を指差す姿が見える。その歌声に共鳴して、シンプルな4拍子のその1拍目を踏み鳴らす音が、スタジアム全体を波のように揺らしていた。

 

虹を越えてゆこう
 
涯のない星の海へ

 

繋いだ手と手の それだけを約束に
 
振り返らずに ただ 前へ

 

ありあの歌声を聴ききながら、真奈は自分が何故歌を歌い始めたのかを、ようやく思い出した。

真奈にとって虹を越えてゆくところは、ただ、病室のドアの向こう側の世界だった。自分を守るためとはいえ、常に硬く閉ざされた無菌病室の扉の向こう、誰かが来てくれるのを待っているばかりではなくて、自分の意思で立って、自分の手でその扉を開けて、外の世界を歩いてゆきたい、それが彼女の夢だったのだ。
だからこそ、閉じ込められた自分の代わりに、せめてその歌声が外に世界に聴こえるよう、そんなことを思って彼女は歌い始めた。

自分が、歌いたいと望む、ただそれだけのために。

いつの間にか、舞台裏ににじむように光る菜の花の姿は、すっかり消えうせていた。万雷の拍手に包まれたありあの歌のエンディングを聴きながら、真奈は不思議なほど静かな自分の気持ちと、もう一度向かい合っていた。この拍手の音を、敗北の絶望の中で聴くことになるのだろうと、そんな覚悟を決めていたつい先程までの自分が、かえって信じられないくらいだった。

薄暗い舞台袖から、明るい照明に照らされたステージに向かってゆくと、しっかりと背筋を伸ばして立ち、舞台上のありあの姿を目を細めて見守っていた真奈は、出のタイミングを計っていたスタッフの手をすり抜けて、そのまま歩き始めた。

練りに練った筈の演出の段取りと舞台スタッフの制止と、耳の中で騒ぎ立てるマネージャーの声を全て無視して、真奈は未だ響き渡る拍手の中を、戻ってくるありあを迎えるように歩いて行った。意を決して腕を差し伸べた真奈の身体を、それがさも当たり前だとでもいうように勢い良く、ありあが抱き締める。

拍手の中で抱き合う二人の少女の姿に、さらに大きな拍手が贈られた。菜の花畑に変わって、その二人の周囲を包み込むように、真奈の為に用意された青い海のイメージ・ホログラムが会場に流れ始めると、その流れの全てが演出だと解釈したらしい観客は早くも足を踏み鳴らし、手拍子を始めている。計画的演出プランよりもよほど盛り上がると、真奈は思わず本気で笑い声を上げた。

自分でも思い出せない程久しぶりに、舞台で歌うことの楽しさに胸いっぱいの真奈の肩をぽんと叩いてすれ違うと、ありあはそのまま薄闇へと姿を消した。それをほんの少しだけ見送って、真奈は改めて、青い海の風景の波間で自分の歌を待つ観客へと向き直った。

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長く続いた戦いの終止符としては、あまりに似つかわしくない和やかな雰囲気の中で、表彰式は進んでいった。グランプリ発表前の緊張感をしきりに演出したがる司会者の進行を余所に、並んだ歌い手たちは場違いなほど打ち解けて、にこやかな笑顔を振りまいている。
この最後のステージまで勝ち残ったメンバーは、最優秀を取れなくても、今後ボロ・ステーションの広報宣伝活動に何らかの形で参加することが決まっていた。

型通りで退屈なセレモニーの間中、ずっと真奈は上の空だった。一体どうやってマネージャーを説得し、ありあとペアを組もうかと、そしてありあに、先程見た小さな生き物の話をするのだと、そんなことばかりを考えていたのだ。だから、最優秀賞発表のその瞬間、眩しいライトが自分を照らし出したのだということに、真奈は一瞬気が付かなかった。

グランプリ受賞を告げるスポットライトが当たる瞬間、それは、彼女が夢にまで見た瞬間だった。暗がりに沈んでいた自分が、眩しいライトに照らされて光の世界に浮かび上がる。何度と無く練習させられたように、驚きと嬉しさの表情を演じ、満面の笑みを浮かべて観客にアピールしてみせなくてはならない筈だったのだ。にもかかわらず、そんな打算は全て忘れ去って、思わず真奈は自分の傍ら、このスポットライトに照らされるべきありあが、先程まで立っていた空間を振り返った。だが。

華やかで眩しい光とは対照的に、薄闇に沈んだその空間には、誰の姿も無かった。
まるで、そこに彼女が立っていたことそのものが、夢でしかないのだとでもいうように。

 

End ?

 

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