Picket line 4
実に大雑把な作戦説明を受け、大急ぎでバスケットの中身を詰め替えたえるむは、それを抱えてよたよたと地下空間を抜け出した。がらんとして静まり返った作業場の中を出来る限るの早足で横切り、つい先程自分がやって来たのとは反対側、帝國環状線の配電設備へと向かう構内道路へと足を踏み入れた。
高圧電流を扱う施設周辺とそれに繋がる道路は、重点保守区域の印として、夜を徹して煌々と明るい電灯に照らされている。綺麗に砂利が敷かれ、他よりも幅を広めに取られた作業用道路に、既に小柄な人影が佇んでいるのを見付け、えるむは精一杯の速度でその人物に歩み寄った。
「準備は、いいかな。」
「は、はい。大変お待たせ致しました。」
「いやいや、まだ王島たちが必死で移動の最中だろう。少しは余裕を持たせてやらにゃならん。ゆっくりでいい。」
「はい…。」
「まずは、状況の再確認だ。」
後ろ手に姿勢よく立って、まるで生徒に講義する教授のような作業服姿の男に合わせ、えるむも精一杯居住まいを正して背筋を伸ばした。綿密で周到、その上奇抜な作戦展開で知られるこの男が、その高い地位にもかかわらず、半ば道楽のようにWD部隊の演習に紛れ込んでは、その卓抜した指揮能力を伝授していくのだと、やしなからも聞かされている。
「これから私達は、C-202電気設備部へ向かう。この構内の”住所表記”は把握してるかな。」
「はい、北から南へアルファベットの町名が付けられ、その区画内の設備に、個別に番地が振られています。」
「北は、どっちだね。」
「子の星があちらですから、この通路は真っ直ぐに北へ向かっていることになりますです。」
えるむは迷うことなく、星空の一方を指さした。このコンテナ区域に限らず、帝國環状線関連の施設は、東国人らしい律義さで、東西南北を守った区画整備が為されている。その通路が向かっているのと同じ方向の夜空に、即座に星を見つけ出したえるむの反応に、司令官は如何にも嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふむ、なかなか良い答えだ。星で方角を把握済みとは。」
「えと、あの、星を見ながら、ここまで参りましたので。」
「なかなかいい心懸けだ。そういう習慣は、大事にすると御利益があるよ。えるむ君は、私とこれから散歩に行く。星空を眺めながらというのもいいな。現在がD区画、ここからC-202まで通常20分程度だろう。これをゆったり歩いて、30から40に、引き伸ばす。」
「は、はあ、それで散歩…。」
「敵は周囲に展開済みだ。今私達がいるこのD地区エリアに、既に入り込まれてしまっているようだな。だが、電気施設周辺の道路は全て、センサー監視区域になっていて、ほとんど死角はない。お客さんは、これをぎりぎりまで避けながら、目的のポイントに接近中だ。私達の行動は、向こう側からは丸見えになるが、そう簡単に排除する訳にもいかん。計画に紛れ込む、面倒なイレギュラーという奴だ。」
都市部に極めて近いデリケートな作戦行動とはいえ、その最も無防備な囮という役どころに、よりにもよって司令官が飛び込んでいるなどとは、敵側も夢にも思わないだろう。整備員用の作業服がよほど気に入ったのか、その胸ポケットから、ペンだのドライバーの柄らしきものだのが覗いているのを見て、えるむは思わずくすりと笑みをもらした。
「さて、そろそろ歩こうか。」
「は、はいっ。」
「まあ、そう緊張しなさんな。あまりぎくしゃくしていては、怪しいと思われるぞ。私達はあくまで、何も知らずに彼らの作戦地域に紛れ込む、善良な市民でなければな。」
「あ、はい…。」
「会話をどの程度まで拾われるかは分からんが、これ以後は聞かれて困るような発言をしないこと。これまで向こうは、大変慎重な移動行動を取っている。よく訓練されたチームであることは間違いない。センサーに引っ掛かる危険を冒して私達を排除しようとするか、極力接触を避けようとするかは、向こうのリーダーのレベル次第、というところだ。」
「は、はいー。」
言葉とは裏腹に、プレッシャーを掛けようとしている男の言い草に、緊張を見せながらもどこか間延びしてえるむは答えた。状況をどれだけ把握しているものやら、鈍いのか度胸があるのか微妙とも言えるえるむの態度に、司令官は楽しそうな笑い声を上げた。
「さて、お客さんは既に、センサーを避けながらぐるりと遠回りに移動、随分近くまで来ているんだが、これがどういう意味か、分かるかね。」
「あ、確かに、どうしてわざわざ、内側に入り込んでから戻るような移動なのかとは、思っていたのですが…。」
彼女が返事を返した、その瞬間。屈託のない、子供のように無邪気な笑顔を見せていた男の顔に、獰猛な獣が牙を剥くような気配がよぎるのを、えるむは見逃さなかった。
「たぶんお客さんが、二人いるから、なんだろう。」
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