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Grass roots

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 Picket line 10

 

 

***   Grass roots   ***

 

「ふむ、予想よりも少し酷いか。」
「はい、植物相については、やはり農業国という両藩国の性格上、伝統的な品種知識の蓄積も豊かで、移転計画も万全でしたが、動物、特に淡水生物などについては、偏りがあったことは否定出来ないと思われます。」
「そうか、川魚が減ると、渓流釣りの楽しみが減っていかんのだがな…。」

革張りの豪勢な椅子に腰を下ろし、重厚な造りの執務机に広げられた生態系調査の資料に目を通していた人物は、その余りの分量に立ち向かうように、軍服の胸ポケットからすらりと何かを取り出すと、それで文字を指し示しながらも、てきぱきと内容の読解を続けている。大量の図面類が一面に広げられた卓上を挟んで、その資料の説明をしていたえるむは、動植物分布の地図を辿っている銀色のペンに見えたものが、実は例のドライバーであることに気が付いて、くすりと笑みを浮かべた。

「気候変動を選択した時点で、ある程度の生態系流動は避けられないのもと予測されていました。新しい気候に合った農業品種の改良も進んでいます。ただ、動物や昆虫類に関しては、気候環境の変動に対する柔軟性が低いことは否定出来ませんし、自然環境全体としても、当初の予測値よりも水質悪化などが進んでしまっているのが、実情のようですね。」
「農作業の果たしていた自浄作用が低下している、という理解で良さそうかね。」
「…はい。」
「成程、農作業に専念する時間が、確保出来なくなっていると考えるべきかな。」

怒涛のような藩国合併業務を乗り越え、都築藩国は満天星国としての新しいスタートを切り、しばらくが経とうとしていた。しかし、慌ただしい中で必要最低限の部分を優先して行われた藩国合併の作業は、未だに新態勢構築が固まっていない分野も数多く残したままになっている。その足並みの乱れをも巻き込んで、なお、日常は容赦なく歩みを進めようとしていた。その隙を突くようにして、藩国内にはゆっくりと不穏な空気が漂うようになってきていたのだ。

元より、異なる文化と歴史を持つ国同士が、簡単にひとつに生まれ変わることなど出来よう筈もない。価値観の攻めぎ合いの、その激動を乗り越えてこその融合ではあるのだが、それにはまだもう少しの時間が必要なのかもしれなかった。

「経済状況調査の片手間に、動植物の生息動向まで頼んでしまって、えるむ君には済まなかったね。」
「いえー、図鑑は大好きですし、出来ればこちらに専念したいぐらいなのですが…。」
「ははは、農業収入の低迷は帝國全体が陥っている問題でもあるからな。えるむ君のような優秀な人材を、国内の問題だけに縛り付けておく訳にもいかんだろう。」
「はあ、おそれいりますです。ですが、商業価値の高い農産物の開発と、固有品種の確保は、ほぼ表裏一体のものでもありますのでー。せっかくのファームを活かして、今後は畜産振興も進むと良いのですが。」

環状線での事件後、すっかり御大に見込まれてしまったえるむは、一時やしなの部隊を離れ、合併前後の藩国経済調査に借り出されていた。経済専門家という職業が新設され、低迷する農業の市場地位改善が急務となっている帝國農業国ではあるが、その活動の基礎となる指標がなくては、実務の方向性を決めることも出来ない。その立ち上げ資料の編纂チームに派遣されたのだった。

「うん、そうだ、この間話していた、演習用地周辺緩衝地帯の動植物保護の話だが。」
「あ、は、はいっ。」
「話は上手く進めておいたよ。WD部隊にも付き添いを打診してあるから、演習日程の無い時期で同行者がいれば調査にも入れる。軍用地で立ち入り禁止区域というのは、保護区にはぴったりだろう。」
「ありがとうございますです。」
「いや、どうもWD部隊は見た目に人気がないのでね。公共活動のアピールには持って来いの仕事だ、こちらとしても願ったり叶ったりだよ。出来たら、寺小屋の子供達を連れての生態調査のイベントでも組んでくれんか。」
「あ、なるほど…。」

その時、執務室の分厚い扉を、鋭くノックする音が部屋に響いた。その身分にも関わらず、身辺雑務を取り仕切る自分専属の秘書官を置きたがらないこの人物の部屋は、頻繁に様々な人間が直接乗り込んでくる。どちらかといえば、この執務室で捕まることの方が珍しいかもしれないその繁忙さに、付いて来れるだけの秘書を調達出来ないでいるというのが実情らしかったが、周囲が副官をあてがう度に、あちこちへと派遣して別の仕事をさせているあたり、単に首に鈴を付けられるのから逃げているだけなのかもしれない。

「御大、失礼致します。お伺いしたいことがあるのですが、ただ今お時間よろしいでしょうか。」
そのまま間髪を入れずに部屋に入り込んできた人影に、一瞬緊張したえるむだったが、それが見覚えのあるバトメの制服姿であることに気が付いて、思わず明るい声を上げた。
「やしな先輩。」
「あら、えるむ。お疲れさま。」
「はい、やしな先輩もお疲れさまです。」
「経済関連の調査はどう? 御大に見込まれたのが、運の尽きだったわね。」
「いえー、あのー。」
「まあ、そう言うな。そろそろ経済構造是正の道筋も見えてきた。新卒の経済専門家のひよこ達に業務を引き継いで、えるむ君は間もなくそっちに戻ってもらえるだろう。時間は大丈夫だが、何かね、やしな君。」

部屋に入って来た時から、何時になく鋭利に張り詰めた雰囲気を漂わせていたやしなは、まるで抜き身の剣を突きつけるような気迫を放ちながら音も無く歩を進めて、執務机の前に立ちはだかった。それに圧されて、思わず後ずさりして場を空けたえるむだったが、その見えない剣の正面に座った当の本人は、相変わらずひょうひょうと自分のペースを崩すことなく、逆に事態を楽しんでいるかのような、微かな笑みさえにじませながらやしなの言葉を待っている。
「藩国合併前の、旧ビギナーズ王国内への義勇部隊派遣の件なのですが。」
「ああ、そろそろ来るだろうと思っていたところだ。」
「…では、あの情報は陽動のために流されたものだったというのは、事実なのでしょうか。」

いつもの柔らかく表情豊かな口調からは別人のような、突き放したように冷たいやしなの声が響く。その意味を理解したえるむが、はっと息を呑んだ。だが、その言葉を予想していたらしい御大は、事も無げに平然と答えを返した。
「現状私が把握しているのは、あの時点でビギナーズ王国が危険だとの情報を、一体誰が都築藩国内へもたらしたのか不明である、ということだけだね。」
「…御大に追跡不可能な情報が、少なくとも旧都築藩国内にあったとは思えません。」
「いや、買い被られても困るよ。しかしまあ、つまりは藩国の外部から、意図的に持ち込まれたものである可能性は高いな。単なる噂のように自然に流れ着くにしては、あまりにも早過ぎる情報だったのは確かだ。」
「でしたら、何故あの時点でそれをご指摘頂けなかったのでしょうか。」
「やしな君、情報が不確実だとしても、あの時点で出動しないという選択が出来たのかな。」

ありったけの自制心を動員して、少なくとも内容も口調も澱みなく冷静に続いていたやしなの言葉が、ぐっと詰まった。はらはらしながら二人のやり取りを見守っていたえるむまでもが、息苦しさを感じるような緊張が続いても、椅子にゆったりと座った人物は顔色ひとつ変えることなく、じっとやしなの返答を待ち構えていた。

「…はい、いいえ。例え完全なデマであったとしても、万が一の事態に備えるには、動かざるを得なかったと考えます。」
「うん、そうだ。可能性がゼロではない以上、座して待つよりは出動しなくてはならなかった。あの時点で、他の選択肢は無かった。であれば、兵達は情報が不確実であるなどとは、知らない方がいい。彼らは純粋に義勇兵として隣国の危機に際して出兵し、その責務を果たした、それだけだ。それは現在においても変わってはならない。」
「…はい。」
「だが、意図的にあの情報を持ち込んだ者がいるのなら、藩国合併に乗じて次のアクションがあるだろう。詰まるところ、相手の陽動に乗らざるを得なかったところまでは、我々の不利だ。このままずるずるとしてやられるなら、確かに我々はまんまと罠にはめられたのだろうな。だが、これを乗り切ることが出来たら、その時は敢えて敵の挑発に乗ったと、そう言えばいい。それは結果が決めることだ。」
「……了解致しました。軍組織の統合に関する調整を、早急に進めるよう全力を尽くします。」
「うん、頼むよ。藩国合併に際して何の問題も無いなどというお題目は、我々には無用のものだ。溝があるのなら、それを埋めるのが我々の責務だろう。だが、長引けば状況は悪くなるばかりなのも間違いない。一般民衆に、持久戦の精神力など期待出来る筈もないな。後は教育の普及が社会全体に進むまで、現在の社会構造が持ちこたえられるかどうかの勝負になる。」
「はい。」
「例え不測の事態が発生したとしても、軍部が完全な中立と公平を守って軽はずみな行動を取らなければ、最悪の事態だけは避けられる。我々が最後の一線だ。それを、忘れないように。」
「…承知しております。」

口元を引き結んだ厳しい表情のままで、しかし、やしなの脳裏ではこれから行動プランが動き始めているようにえるむには思えた。そのまま浅くはあるが、きっぱりと決意のこもった動きでぺこりと頭を下げると、風が巻くような鮮やかな動きで、やしなは踵を返した。その背に向かって、低く抑えた、静かな声がかけられた。
「やしな君。」
その呼び掛けに振り返って立ち止まるやしなに、ぎしりと椅子を鳴らしながらその人物を立ち上がった。

「一般民衆を相手にするには、どうにもWD部隊は分が悪い。そこに既につけ込まれているのは事実だ。この状況では、バトルメード部隊にしか出来ないことがあるだろう。ビギナーズ王国側から存続する軍組織は、バトメが主力になるしな。よろしく頼む。」
どんな場面にもペースを乱すことなく、常に浮かんでいるその薄い笑みが、初めてその影をひそめ、厳しく長い道のりを越えた者だけが持つ動かし難い意思を秘めた表情が浮かび上がる。そしてきっちりと姿勢を改め、彼は静かに、だが少しの躊躇もなく、やしなに向かって頭を下げた。さすがのやしなも驚いて、一瞬何かを言おうと唇を開きかけた。だが、やしなはそれを止め、こちらも再びぴしりと居住まいを正すと、一分の隙もない敬礼を返した。

 

 

 

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