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In Paradisum

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 Aftermath

 

 

***   In Paradisum   ***

 

「あ、お蜜柑がある。」
「…あれは、WDダンサーが用いるドラッグの元になった、トキジクの実だ。」
「あれがそうなんですか。本物は、初めて見ました。」
「……今でも栽培管理は、かなり厳しいからな。おいそれとそこらで栽培されてたら困る。」
「成分分析と化学合成が進んで、現在の新しいドラッグは副作用もかなり軽減されてきていると、やしな先輩にお聞きしました。」

適度に温湿度を保たれた空間いっぱいに、所狭しと緑の植物が生い茂っている。背の高い果樹までもすっぽりと覆う高さの透明な天井から、明るい陽の光が降り注いで、温室の内部を眩しく充たしていた。あらゆる種類を集められた少しずつの多様な植物が、その貴重な楽園を互いに分け合うかのように礼儀正しく並べられ、空気が澱まないよう人工的に起こされて渡っていく風に揺られて、微かにそよいでいる。そのそれぞれの植物に几帳面に付されたラベルをひとつひとつ確かめながら、えるむと博士は、ゆったりと研究所付属の温室内を歩き回っていた。

旧都築藩国から満天星国への藩国合併では、当初懸念され対策されていたよりも、より大規模な生態系の環境破壊が進行し、その分野では深刻な問題となっている。杉宮准将の依頼で、その生態系調査の資料統合に手を貸していたえるむは、博士が所属する研究所の付属温室に、旧藩国の貴重な植物標本がコレクションされていることを聞きつけ、この方面での助力も博士に依頼していた。あれこれと何でもこなしてしまう彼ではあるが、本当の専門は植物方面のバイオテクノロジーであるらしい。以前彼がえるむに渡した新開発中の化粧品サンプルも、このような伝統的植物由来の製品であると説明されて、えるむが嬉しそうに微笑むのを、見るともなしに視界の隅で見詰めながら、博士はぽつぽつと植物の説明を続けていた。

「こちらの研究所で、旧都築藩国由来の植物種をたくさん保存管理して頂いて、お陰さまで辛うじて絶滅を免れそうな品種もたくさんありますです。」
「…プラントハントは、医薬品開発のれっきとした手法のひとつだからな。」
「それでも、これだけの品種収集は、知識も管理技術も大変なレベルだとお聞きしました。気温が低下する方向にシフトした旧都築藩国のフロラは、再生が難しいかもとの意見はありますが。」
「遺伝子の多様性が、バランスとライブラリとして貴重な藩国財産だという知識が、お偉いさん方に無いんだから仕方がない。」
「はあ、私ももう少し、予め知識があれば良かったのですが…。」
「……いや。」

動植物系の生態系破壊はいったん下り坂を転がり出せば、それを食い止めることは非常に困難な仕事であった。じりじりと広がる被害を思い浮かべたえるむの表情が曇るのを見て、博士はやや慌てると、苦労して頭の中から言葉をかき集め、遠回りで分かりにくい決意らしきものを並べ始めた。
「実験室での遺伝子改良品種は、変異が速いのと引き替えに安定性に欠けるリスクを抱えている。自然界で莫大な時間を掛けて環境に適応し、安定を獲得した”種”の価値とは比べようがないんだ。自然環境に全て戻すことは難しいかもしれないが、出来る限りの保存の努力はする。」
「…はい。」

相変わらず愛想のない口調ではあったが、その言葉の中に紛れもなく、生き物に対する深い畏敬の想いが込められているのを感じ取って、えるむはもう一度静かに微笑んだ。それを見やって安心したかのように、彼はこっそりと目立たないよう、ほっと息をついている。その気配を感じ取りながら、こちらも目立たないよう少し意味の違った笑みを深めながら、えるむはふと気が付いて腕時計に目をやり、時間を確かめた。

「あ、あの、はか……えっと、岩神さん。」
バトメ部隊の中ではすっかり「博士」のニックネームが定着してしまっている彼だが、そう呼ばれることに微妙に抵抗があるらしいことにも気が付いて、えるむは彼を出来るだけ本名で呼ぶようになっていた。だが、いったん習慣化してしまったくせはなかなか抜けず、呼びかけようとするたびにもたもたと言葉に詰まっている。そんなえるむの気遣いを、まるで楽しんでいるかのように、彼は無言のまま視線で先を促した。
「えと、もうそろそろ、御大がおいでになると思うのですが、その、もしもお会いしたくないのでしたら…。」
「いや、構わない。」

先程までとは打って変わった固い声が響いて、えるむは心配そうに岩神の顔を見詰め返した。今日二人がここにいるのは、杉宮准将から彼に逢ってみたいという打診があり、仲介を依頼されたえるむと、待ち合わせまでの時間潰しをしていたのだ。最初に話を彼に伝えた時から、こんな風に、どう見ても彼の態度には、何かをひた隠しにするような頑なさが沈んでいる。しばらく迷った後に、それでも自分から顔合わせに応じた岩神ではあったが、えるむはその態度が心配でならないという表情で彼を伺っている。
「…その代わり、話をする時には、席を外してもらえるか。何の話だか知らんが、どうせろくでもない話だろう。」
「えと、もちろん席は外しますけれども……。」

ちょうどその時、温室の中に三番目の靴音が響いた。やや忙しなく規則正しく繰り返される歩みの音が、二人へと近付いてくる。振り返ったえるむは、もっさりと空間を覆う緑の合間から杉宮准将がその小柄な身体を覗かせるの見て、出迎えるために御大へと歩み寄った。岩神に背を向けていたえるむは、だから、一瞬彼の表情が見たこともない程に険しく歪んだのに、気が付かなかった。

「おお、えるむ君。せっかくの時間をお邪魔して申し訳ないが。」
「は、はい、御大、えとですね…。」
「いやいや、無粋な用事はさっさと済ませて退散する。大丈夫だよ。」
「はあ、あの、こちらが研究員の岩神さんです。岩神さん、こちらの方が杉宮准将でいらっしゃいますです。」
「…始めまして、杉宮と申します。お噂はかねがね。」
そう言いながら手を差し出した御大だったが、岩神はそれに応じるつもりはないらしく、よれよれの白衣のポケットに手を突っ込んだまま、返事もせずに突っ立っている。いつにもまして頑ななその態度に、おろおろと御大との間で視線を彷徨わせているえるむに向かって、特に気にした様子もない御大はにこやかに話しかけた。

「えるむ君、済まん。しばらく二人だけにしてくれないか。15分でいいだろう。」
「あ、はい。では……。」
その場を離れて歩き出しながらも、ちらちらと心配そうな視線を岩神に送り続けていたえるむの姿が、完全に見えなくなるまでの間、残された二人の男はじっと押し黙っていた。とはいえ御大の方は、その沈黙に別段緊張する様子もなく、物珍しげに周囲の植物に目をやっては、はしゃいだ気持ちを抑えきれない子供のような表情で、解説のラベルを確認している。相も変わらぬその剛胆な態度に、岩神は深々とため息をついてから、ぼそりと言葉を切り出した。

「…始めましてとは、白々しい。」
「おや、余計なことをしましたかな。お久しぶりです、岩神博士。」
「俺はもう、博士じゃないし、二度とあんた達には会いたくなかった。」
「そうおっしゃるだろうとは思っていました。お父上の葬儀以来になりますか。」
「……今更、何の用だ。」
その言葉を聞いて始めて、杉宮准将は真っ直ぐに彼へと向き直った。何時如何なる時でも自分のペースを崩さないひょうひょうとした顔つきの中に、鋼のように固い何かが、ゆらりと浮かび上がる。岩神は思わず、本能的にごくりと唾を飲み下した。この男は、怖い男だ、岩神はそれを知り尽くしていた。だが、それに続いたのは予想外の言葉だった。
「お礼を申し上げにと言ったら、信じては頂けませんかな。」

虚を突かれた岩神は、目を瞠って言葉を失った。軍人としては小柄な部類の杉宮准将は、背の高い岩神から見下ろされながら、彼の視線を真っ直ぐに受け止め、その唇の端に不思議な程静かな笑みを刻んでみせた。
「貴方方父子二代に渡る献身的な研究努力が実を結んで、WDダンサーの使用するドラッグは部隊設立当初から、飛躍的な進歩を獲得しました。強化能力値はもちろんのこと、使用する隊員の安全性においても。私はそれに対して、どうしてもお礼を申し上げたかった、それだけです。他意は、ありません。」

呆然としていた岩神はやっと自分を取り戻すと、真っ向から見詰め続ける御大の視線から目を逸らした。これが他の人物の口から出た言葉であるなら、中身のない慇懃無礼な社交辞令として叩き出してやるところだ。だが、彼は杉宮准将という人物が、物を考えないがちがちの軍人ではないのだと言うことも、よく分かっていた。人体をブーストする軍用強化薬の研究には、決して明るい陽の元では公開されない封印が付きまとう。掘り起こされた暗い過去にじっと立ち向かうように奥歯を噛みしめていた彼は、やがてゆっくりと言葉を絞り出した。その言葉を、誰よりも真摯に聞いてくれるであろう人物もまた、この杉宮准将をおいて他にはいなかった。

「……だが、犠牲もあった。」
「そうですな、それを否定するつもりはありません。ですから今後はもう、貴方にお目に掛かるべきではなかろうとも思ってるんですがな。」
「…研究を再開しろと言いに来たんじゃないのか。」
「それは残念ながら、こちらからお断りしましょう。WDの性能も格段の進歩を遂げつつある。人体の側に負担を強いるドラッグの強化開発は、現在の我がWD部隊では選択の予定がありません。やっと、ここまで来ました。」

その最後の言葉は、まるで秘密をささやくように静かに付け加えられた。その言葉を、笑みさえ浮かべながら口にする御大に、岩神は完全に飲まれて立ち尽くしていた。茫然自失という顔で固まっている彼に向かって、御大はさらに言葉を続けた。
「それでもこれだけは申し上げたかった。貴方のお父上とは衝突することも多かったが、少なくとも私は、あの方を戦友だと思っていた。…今でも、そうです。ですから、貴方の能力が医薬品開発方面で発揮されているとお聞きして、私は大変嬉しかった。そちらにしてみれば迷惑な話かもしれませんがね。」

自分の言いたいことを言い終えてしまうと、未だ言葉を失っている岩神を特に気に止めるでもなく、杉宮准将はきびきびと姿勢を正すと、軍人らしいきっちりとした会釈を送って寄越した。
「お逢い下さってありがとうございました。失礼致します。」
そのまま岩神の返事を待つこともなく、御大は年齢を感じさせない身軽な動作でくるりと踵を返した。そして振り返ることもなく、もう岩神の存在など忘れ去ってしまったかのように、来た時と同じように軽い足音を響かせながら去って行った。
取り残された岩神は、やがて温室外で待っていたえるむが、ほとんど小走りになりながら戻ってくるまで、そのままじっと立ち尽くしていた。息を弾ませながら駆け寄ってきたえるむは、宙を睨んだまま硬直している岩神の顔を覗き込むようにして、躊躇いがちに声を掛けた。

「あ、あの、大丈夫ですか。」
「…ああ、大丈夫だ。」
「えと、顔色が良くないですけども…。」
そう言いながらえるむは、自分よりもずっと大きな彼の身体を支えようとするかのように、その腕に手を置いて寄り添った。その動きに合わせて、ふわりと甘い香りが漂う。岩神は思わず、彼としては大変珍しく真っ直ぐにえるむの顔を見詰め返した。
「……その香水を、使ってくれてるのか。」
「え、はい。あの、ずっと使わせて頂いてますけれども…。」
「…ずっと?」
「はい、今日も朝から使ってましたですよ。柔らかい香りなので、気が付かれませんでしたか?」
「…そうか、気が付かなかった。俺が迂闊だったんだな…。」
「えと、あの、今日もお菓子を焼いて来てますので、座って休憩されたら如何ですか。紅茶もありますし…。」

 

 

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