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Fairy tale Vol.3

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Fairy tale Vol.2

***   Fairy tale   ***

Vol.3

その声は確かに自分の目前から響いて来るにも関わらず、何処か広い空間に反響してでもいるかのように、深く低く尾を引く余韻をまとって岩神の耳に届いた。しっかりと自分の視野にその生き物を捉え、聞こえる言葉に合わせて口が動いているのを、目の当たりにしていてさえ、その小さな身体から発せられた声であるとは到底信じ難い、重く響く声である。しかしそこまで考えて、岩神ははたと我に返った。この小さな体長にこれだけの言葉を喋る脳を持ち、このボリュームの、しかもこんな低音の発声が可能なのだとしたら、それは少なくとも、岩神の知識には無い原理の器官を持つ生き物の筈である。その時点で既に、自分の常識だけで解析しようとすることそのものに、無理があると言うしかないのだ。あらゆる可能性を想定するのなら、疑うべきはむしろ、いつも通りに見えているこの視覚情報の方だということも、あり得るのかもしれなかった。

その上、咄嗟に自分の口から出た言葉が、研究室なら外部から隔離されて安全なのだと、無意識に頼っていた本音を隠しているのだと思い至って、岩神は自分の甘さを自ら露呈してしまったことに、思わず口元を引き結んだ。そして、その不機嫌な顔付きを隠そうともしないまま、ぎくしゃくとした動きで、もう一度事務椅子に腰を下ろした。
「……頭が硬いと言われれば、確かにそうだな。こんな常識外れを相手に、まともな知識でやり合ってもこっちが不利なだけだ。」
「そういうことだ。使い慣れた得物に頼りたくなる気持ちは分からんでもないが、未知の相手にそれが通じる保証は無い以上、自らの選択肢を狭めても益はあるまい。」
仏頂面の岩神とは対称的に、小さな銀色の獣は、何処か上機嫌にも見えるような人間臭い表情で、口元を歪めてにやりと笑って見せた。確かに、これこそが未知の相手というものだと、思わず納得してしまった岩神は、その生き物の姿にさらに観察の目を走らせた。

言葉の流暢さもさることながら、その内容に宿る紛れもない高度な知性、人間並みに繊細に表情筋を操って、こんな笑みを表現する生物が、在り来たりな常識の範疇に納まっている筈がない。だが目で見る限りにおいては、それはどう見ても、イヌ科の獣の特徴を備えていた。発達した嗅覚を示す長く伸びた鼻面、如何にも肉食獣らしい大きく開く口を備えた三角形を描く頭部には、切れ上がった大きな赤い目が正面に二つ並んで、その上にはピンと尖った耳が乗っている。一見行儀良く揃えられた前脚が、その身体のサイズに較べてがっしりと太く踏み締められているのは、イヌというよりはやはりオオカミだろう。しかし、手の平サイズという小さな体長を反映してでもいるかのように、その尾だけは、イヌ科としてはアンバランスに大きく、まるで天を目指す炎のように豊かに蠢いている。体長の半分ほどを尾が占めているというのは、リスのような比率だと考えを巡らせながら、岩神は別の疑問に口を開いた。

「…あの時は、もっと青かったんじゃないのか。」
素直に認めてしまうのは、微妙に悔しいような気もしたが、透明な光を放つ美しい青の毛並みは、やはり印象深かったのも事実である。岩神の言葉を聞いて、小さな獣は、豊かに波打つ尾をくるりと身体の前へなびかせると、まるで見せびらかすかのようにゆらゆらと動かして見せた。
「ふむ、どちらかと言えばこの方が普通の色だ。あれはまあ、特別な祭りの粧いとでも言うところだな。」
「…祭りか。」
微妙にかみ合わない返答で、はぐらかされたような気がしなくもなかったが、余りに人間臭いその言い回しが妙に可笑しくて、岩神は思わず、微かにその頬を緩めた。まさか服を着替えるように、TPOに合わせて毛皮を替えると言う訳でもないだろうにと、ぼんやりと脳裏で突っ込みを入れながら、岩神は少し背筋を伸ばして、居住まいを改めた。

「…博覧会場では世話になった。礼を言わないとな。」
「世話? 別段そなたの世話を焼いた覚えはない。」
「……いや、そっちがどう考えているにしても、小火騒ぎ程度で消し止められて、我々が助かったのは事実だ。」
「ふむ、そなたの気の済むように、勝手にするがいいだろう。」
予想通りと言うべきか、へその曲がった答えが返ってきて、まるで、自分で自分を眺めてでもいるかのような既視感に、岩神はあいまいな笑みを浮かべて顔を歪めた。だが覚えはないとは言いつつも、その生き物は、正にイヌのような仕草で、お座りの体勢から低く身を伏せると、器用にパソコンの縁にもたれ掛かって後ろ脚を投げ出し、機嫌の良さそうな寛ぎの姿勢へと身体を崩した。
「……で、まだ名前を呼ぶ資格は貰えないのか。」
「ふむ、まあいいだろう。特にさしゆるす。」
「…天狼星とはまた、ご大層な名だ。」
「我は狼では無いし、この名も、同じといっても偶然の一致という奴に過ぎないが。」
「……シリウスのことじゃないのか?」
「違うな、この名は、あれに貰ったものだ。」
「…あれ?」

自分の手の平程の生き物が、大の大人でも滅多にいないような尊大な口調で話すという奇妙な状況に、岩神は改めて自分の頬を歪めながらも、その会話を面白がっていた。あれ、と言う言葉に込められた親しげな響きに、ほんの瞬間思考を巡らせてから、岩神はぼそりと推測を口にした。
「……えるむのことか。」
「そうだ、あれが幼い頃、我の走る姿を見て、青い星のようだと言ったのだ。故に今、我が名は青星、それだけのことだ。」
相変わらずの横柄な言葉の中に、優しく誇らしげな、この上もなく嬉しそうな何かが隠されている気がして、岩神は息を飲んだ。天に輝く最も明るい星の名であるより、小さな子供が何の飾りも含みもなく発した一言の方が、勝るのだという、その誇ると呼ぶには余りに暖かな何かに、圧倒されたのかもしれない。岩神はその絆の強さに、何処か焦りを感じるような気持ちで、それでも反射的に再び口を開いていた。

「……えるむには、もう会いに行ったのか。」
「いや? 祭りの後には会っていないな。」
「何故だ、とても心配していた。」
「ふむ、あれに案じられる程ちから無い我ではない。」
「そうじゃなくてだな…。」
やはり人間とは微妙に価値観が違うのだろうかと、思わず眉根を寄せた岩神に向かって、小さな銀色の生き物は、嬉しそうに笑いながら、甘えるイヌのような顔付きでだらりとその口を開いて見せた。その口の中に、鋭い牙だけがずらりと並んでいるのを見て取った岩神は、確かにこれはイヌ科ではないと気を取られながらも、別の言葉を頭の中から探し出した。
「…急に姿を消したら、安否を確かめたくなるのが人間というものなんだ。それとも、会いに行かない理由でもあるのか。」
「特に理由がある訳では無いが、始終己の行動を告げなければならん義務がある訳でもない。我は人ではないからな。人の理には縛られん。」

特に機嫌を損ねた素振りでもないが、まるで突き放したように付け加えられた言葉に、岩神はもう一度黙り込んだ。彼には彼の理が、そんなえるむの言葉が脳裏に甦る。確かに、こんな人外の存在に、人の価値観を押しつけてみても、無理があるのは間違いないだろう。代々えるむの家に住み着いてと言われたからには、少なくとも、人よりも長く生きて、その長い命に合わせた関係性の価値観を持つのだろうと、岩神は推測を巡らせた。他人よりは幾らか多くの知識を蓄えていることには、一応の自信がある岩神だったが、確かに、未知の相手を目前にしたのでは、過去の蓄積であるところの学問的知識は、余り役には立たないらしい。それでも、その言葉に隠された何かに、そこらの人間相手よりもよっぽど親近感を抱いて、この会話を楽しんでいるというのも、岩神の率直な感想だった。

「……理由は無いというなら、今日ここであんたに会ったことを、えるむに話しても構わないな。」
「構わん。好きなように。」
「…また何処かに行くのか。」
「さあ。何時も通り、我は我の往くべき処へ往く。研究室の中だろうと、あれの処だろうと、何処へでも。あれの一族は、理に従って我を繋ぎ止める。だが、同じ時を共に生きるものはあれではない。」
そう言い放ちながら、妙に人間臭い表情でにやりと笑みを作った小さな獣は、真っ直ぐに岩神を見上げて、紅玉のように赤い瞳で岩神の目を覗き込んだ。それが、己の疑問に対する応えであることに気が付いて、岩神は息を止めた。互いが互いを、家族のように大切に想い合っていることは、間違いないのだ。だが、その間に厳然と、何かの境界が横たわっていることもまた、事実なのだろう。その言葉の裏返しが、自分の望んでいることなのかもしれないと、ふと気が付いて、岩神は改めてまじまじと、その赤い瞳を見つめ返した。同じ時間を、生きてみたかったのだ。自分は、彼女と。
「…その、また会えると、嬉しいんだが。」
「ふむ、風がそのように運命を運ぶなら。」

 

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