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Fairy tale Vol.2

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Fairy tale Vol.1

***   Fairy tale   ***

Vol.2

とっくの昔に自分以外の人影が消え失せた研究室に、独りきり居残って、特に急ぎでも無いようなデータの解析に没頭しようとしていた岩神は、ふと何かの物音に気を取られて、はっと眼を上げた。自分の周囲を照らし出す灯りだけを残し、闇へと沈むに任せている室内は、しかし、当然の如く何の変哲もない、いつも通りの表情を見せているだけである。透明な青の光が、今にも闇の中から走り出て来るのでは身構えてしまった岩神は、固まった息を、腹いせ紛れにふうと勢いよく吐き出した。そして、自分の勘違いを誤魔化し、何も無かった振りを装うかのように、目前に展開されているデータ解析に戻ろうと試みた。とはいうものの、いつもなら水を飲むように容易く理解出来る筈の数字の意味が、まるで頭に入って来ないことに、改めて気が付いてしまった岩神は、再びの溜息と共に勢いよくペンを卓上に放り出すと、悪足掻きを諦め、さして安定の良くない事務椅子をぎしりと鳴らしながら、だらしなく背もたれに身を預けた。

先日の博覧会場での爆破騒動の後、藩国内は文字通り、上を下への大騒ぎに陥っていた。何しろ藩国を上げての一大イベントの会場で、本格的な威力を持つ爆発物が使用されてしまったのである。奇跡的とも言える幸運のお陰で、重傷者無しという結果を得てはいたものの、それで良かったと済まされるような事態ではない。元より、国内に民族間対立を抱えた藩国として、多数の人間が集まるイベントでは、常に厳しい警備配置が為されるお国柄ではあったが、その網の目を擦り抜けられてしまったという衝撃と共に、さらにクローズアップされたのは、事件の背後に藩国外の存在がちらついているという、まことしやかな噂の影だった。判明した事実のみを、淡々とも言えるような冷静さでアナウンスする関係機関の発表とは裏腹に、出所も定かでない噂話ばかりが一人歩きしている様を、岩神は苦々しい心持ちで観察し続けていた。言ってしまうなら、民族間のわだかまりですらも、また同じような属性のものなのかもしれない。まるで、噂には噂をもって戦うとでもいうかのように、藩国内で結束の機運がじわりと熱を持ち始めるのは、誰かの筋書きに踊らされているかのような、何とも言えない不安を感じさせる状況だった。

とはいえ、岩神がそんな気持ちを拭い去れないのは、何しろ自分がその渦中の真っ直中に居合わせ、しかも最も重い怪我人の一人であるという、これ以上ない程の当事者であるからかもしれなかった。己の体験を他人に面白可笑しく語られたのでは、どんな脚色であろうと眉唾物にしか見えないのも、致し方ないところなのかもしれない。面倒な事情聴取から解放されて、ようやく日常へと戻ってきた岩神は、その当たり前の筈の日々に、逆に違和感を感じている自分を持て余していた。そして、その違和感をさらに大きく膨らましているのは、あの青い光の記憶に他ならなかった。

秘密ではないというえるむの言葉を、信じていない訳では無かったのだが、岩神は少し迷ったものの、あの青い獣の存在を、当局の事情聴取には答えないまま通してしまっていた。手土産のドーナツを買おうとして、火事に出くわしたと言う方が、青く光る獣に導かれたと言われるより、事情聴取の担当官も仕事が早く済むというところである。実習の参考にしようとして調理場を覗いたと、自分の口から勝手に出任せが飛び出したあたりは、我ながら自分の頭の廻りように呆れてしまった岩神だが、それは取りも直さず、自分が下手な事を喋れば、最終的に迷惑を被るのは、他ならぬえるむなのだと意識していたからだった。

あの生き物が、実際にどんな能力を持つどんな存在であるのか、科学者として興味が無いと言えば、嘘になるだろう。だが、暴くことによって、誰かが傷付くことになる、そんな謎が、世界には隠されているのだということも、岩神は良く知っている人間だった。だからこそ、仁義という表現の意味が、岩神には分かるような気がしてならなかった。摩訶不思議な存在に関係していると吹聴されれば、あの青い獣自身には、秘密を求める必要が無いとしても、その身近にいる人々が、身勝手な世間の好奇心に晒されるのは避けられない。かつて、伝承の中でのみ語られていた黄金の果実を、密かに守り続けた人々が、世間からどのように扱われていたのか、岩神は誰よりも良く記憶している、言わば関係者の一人だった。苦みが強く食用には適さない柑橘の一種を、その薬効を知り、その副作用も知って、伝承の中に隠しながら静かに寄り添って生きてきた人々の歴史を、科学の光の下に暴き立てることに荷担した、その結果と後悔とを、忘れるつもりはなかった。

秘密として強制されるよりも、仁義と言われて、互いの価値観を尊重して守れるような人間でなければ、確かにこんな隠された闇に関わる資格を持たないのかもしれない。秘密では無いと言われて、迂闊に口を開くような真似をすれば、その時にこそあの青く光る獣は、えるむの一族を守る為に牙を剥くことになる、岩神はひしひしとその予感を感じ取っていた。しかし、当局の事情聴取に出任せを並べたところで、さしたる罪悪感がある訳ではなかったが、えるむにも嘘を押し通すのかどうか、それに岩神は迷っていた。正直に白状するなら、あの黒い瞳に見詰められて、それでも嘘をつき通せる自信が無いというのが本音かもしれない。彼女に知らせるべきではない事実なら、隠し通すことも出来るだろうが、今回の場合、むしろあの青星という生き物の行動は、この爆破事件の別働隊を阻止する意図があったとしか思えないのだ。ちゃんと、理由が、えるむの声が、自分の内側に幾度も響き続けている気がする。その想いを、自分もまた彼女と同じように理解しているのだと、伝えたい、その衝動を抑え続けることが出来るとは、到底思えなかった。

「……青星、か」
脳裏に響くえるむの声に応えるように、岩神はぽつりと呟いた。それが冬の夜空に耀く天狼の星、シリウスの別名であることを、岩神は知っていた。太陽と月に次いで明るい星の名を持つのなら、確かに、神の如き大層な存在であるのかもしれない。
「…その名を呼ぶことを許した覚えはないが。」
その時、事務椅子に背を預けて、天井を振り仰いでいた岩神の隙を突く様に、真正面の卓上から、威圧感を放つ低い声が響いた。一瞬息を詰まらせた岩神が、はっと我に返って、つい先程まで睨んでいたデスク上のパソコンに視線を戻すと、その視界に、青味がかかった銀色の炎のようなものがゆらりと蠢いた。派手に椅子を鳴らしながら、反射的に立ち上がった岩神に向かって、キーボードの前に座り込んだ小さな獣の顔が、ナイフのように鋭く細められた赤い瞳を、その鈍色がかった青の毛並みに刻んで、余りに剣呑な笑みらしきものを形作る。
「……ど、こ、から、入った…。」
「ふむ、なかなかに硬い頭だ。難儀なことだな。」

 

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