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2008年11月23日 (日)

たなつもの

 

 

***   ツアー・コンダクター   ***

 

立っては座り、座っては立ち上がるという堂々巡りを何度か繰り返した挙句、ヤガミはそんな自分自身に呆れてはたと立ち止まり、思わず深々とため息をついた。人目のない自室の中とはいえ、我ながらこの有り様は、あまりに情けない。

隣のはるかの部屋に、既にその主が帰って来ていることは、とっくの昔に確認済みである。ついで、廊下には誰もいないことを、これもまた何度目かに確認して、もう一度座ってしまいたくなる自分に心中で悪態をつきながら、ヤガミはその勢いを借りて今度こそ部屋を飛び出した。そして素早い動作で、そのまま目指す隣室へと滑り込んだ。

その目前に、背を向けたはるかが座っている。いきなり部屋へと入り込んだ文句を彼女が言い出す前にと、ヤガミは慌てて口を開いた。
「…はるか、今、暇か。」
「んー、暇じゃないけど、なーに?」
「あ、いや、別に、急ぎでもないんだが…。」

椅子に座ったまま振り返りもしないはるかの態度に、いきなりへたれそうになったヤガミは、反射的に言葉を濁した。だが、その言葉の中に何かを感じ取ったかのように、はるかは手にした雑誌から顔を上げると、今度は振り返ってヤガミの顔を見上げ、ことりと首をかしげてみせた。

「あのねぇ、話があるんだったら、ちゃんとそう言えばいいのよ。どうぞ。」
「あ、ああ。」
ヤガミはぎくしゃくとした足取りで部屋を進んで、何とかはるかの傍らへとたどり着いた。デスクの上にはコーヒーが置かれ、最近はるかが凝っているシナモンの香りが部屋に満ちている。
「何か飲む?」
「いや、そんなに時間はかからないんだが…。」

さっさと目的を済ませて退散してしまいたい気持ちと、逆に何も言わないままコーヒーでも貰って、話を誤魔化してしまいたい気持ちが葛藤し、ヤガミは視線を彷徨わせた。その視界に、はるかが手にした雑誌の内容が写り、ヤガミは思わぬ偶然に一瞬息を止めた。

「…観光ガイド?」
「そうなの。今までは行き先も選べなかったし、時間制限のある寄港だと余裕もないから、あんまり気にしてなかったけど、意外と色んなところがあるのね。」
「まあ、そうだな。知類が生存していくためには、やはり娯楽は不可欠だ。観光娯楽産業というのは、どんな環境でも、その場所なりに発生してくるものだ。」
「ふーん。」
「しかし何故急に、わざわざガイドブックまで買い込んで。」
「んー、実は、スイトピーが最近、経済の勉強とかしててね。」
「お嬢が?」
「うん、それでこれからの火星で、観光産業とかを考えるとしたら、どういうのがあるかなーとかいう話になって…。」
「そうか、スイトピーが、そんなことを…。」

ぱらぱらとページをめくるはるかの手に気を取られながらも、ヤガミはやや自分の思考の中に沈み込んで、言葉を飲み込んだ。
これからの火星を担う彼ら彼女らに託されたものは、決して平坦な道程ではない。火星独立、100年の平和という大義を果たしはしても、それで全てが丸く収まるなどとは、お世辞にも言えるような状況ではなかった。戦争という、危険ではあっても強力な経済のエンジンを止めてしまったからには、それに替わる動力源を手に入れなければ、この星が立ち行かないことは、紛れも無い事実なのである。

「って言っても、自分で体験してみないと、意見も出せないから。まー、とにかく行ってみないとねー、という話になったの。」
そんなヤガミの心中には、まるでお構いなしのいつも通りのはるかの声に、しかしヤガミは少しほっとして表情を緩めた。この声が聞こえてさえいれば、もう少し、前へと歩みを進められる、そんな想いが、胸を掠めたのだ。

「…つまりは、お前が遊びに行きたいだけなんだろうが。」
「いいじゃないのよー。ヤガミに連れてってとか、言わないもん。」
本気でそう思っているらしいはるかの口調に、ヤガミは少なからず傷ついた。実を言えば、今正にはるかを誘うべく、一代決心を固めてヤガミはここへとやって来たのだ。そしてヤガミは、はるかが雑誌のページをめくる手を止め、たった今目の前で読んでいるその記事が、先程まで自分が見ていたものと同じであることに気が付いて、ごくりと唾を飲み込んだ。

「……だったら、行ってくるか。」
「え?」
「だ、だから、その、情勢が落ち着いて余裕があるうちにだな、各都市船の実際を確認しておくというのも必要だろうと…。」
「…それ、物凄く遠回しに、旅行に行こうとか言いたい訳なの?」
「いや、つまり社会見学というか…。」

目を丸くしてヤガミを見詰めているはるかの表情にひるんで、どうしたらこれを冗談にしてしまえるかと、ヤガミが口を開きかけたその時だった。はるかの表情が、ふわりと緩んだ。ヤガミが初めて見るような、柔らかいはにかんだような笑みを浮かべて、はるかは微かに頬を赤くした。
「うん、遊びに行こう。嬉しい、かも。」
「かもっていうのは、なんだ、かもって。」
「私ねえ、温泉行きたいんだけど、火星は温泉ないのかなー。」
「お、おんせ…」
「温水プールとかがあれば、みんなでわいわい出来ていいよね。あと、美味しいものを食べてー。」
「…待て、みんなって…」
「え? みんなで行くんじゃないの?」
「……ち、ち、違うっ!」

 

 

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