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2010年8月 9日 (月)

あなりすとれぽーと

TLOというシステムを作ったとしても、それが単純に技術移転や交流だけを視野に入れていたのでは、結局は知的財産という経済の戦場で、成長し生き延びることが出来ない。経済という指標、売れるか否かという価値が全部で無いのは、もちろんのこととしても、少なくとも現在の社会においてその流動に乗ることが出来なければ、飲み込まれて終わってしまうということは、ただの事実だ。周辺特許を固めるというような戦術的行動を取るという思想が無ければ、死の谷を越えられないということは、当然のような気がするね。

爆発はまずいから回避策を考えるというのは分からないでもない。それなり痛い目を見て来たんだ、心情的にはもっともなことだとは思うけど。だけど、安全な道だけを選んで進めばいいのなら、自分の足元だけ見てればいいだろう。彼方の星を仰ぐ必要なんてないじゃないか。危険な手段と分かっていて、どうして、星を読んで、闇の道を歩まなくてはならないのか、それでも一歩を踏み出す魂を持つものは、稀有な存在だ。星読むものを、壮麗な塔に囲って役人にするなどという制度は、それそのものが大仰な罠にしか見えない、私には。

別にわざわざ戦争なんて起こさなくても、戦うべき敵は日常の中に幾らでもいて、それと恒常的に戦って生き延びるためならば、現代社会の人間達は払える限りのコストを払うことに躊躇しないじゃないか。むしろ、進んで財布のひもを緩めるんじゃないの。健康と言う幻想を支える健食や化粧品、ダイエット、そういう分野におちる財の額は日本だけじゃなく、どこでも半端じゃないだろう。だから、生命科学、医療分野にそういう投資が流れ込むんじゃないのかな。そういうメガファーマと真っ向戦うなどということが可能な、日本型の伝統的な製薬会社は、いくつも無いだろう。勝てない相手に、真正直から戦ったりしてはいけない。隙間やニッチに潜り込んで、共存共栄を目指せばいい。でも、そうやって巨大な軍事力で征服した筈の相手に、いつの間にか内側から喰らい尽くされて、消滅してしまった文化体系もまた、たくさん存在した筈だ。

人々の命を秤にかけて金儲けをするという意味では、悪質さにはさして変わりないかもしれないけど。病でも、天変地異でも、戦わなければならない圧倒的な敵が目前に存在するのなら、呉越同舟も実現するだろう。

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