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2010年10月 1日 (金)

でぃめんしょん

中央世界時間門に、直径なんてない。少なくとも、既存の世界内の単位基準で、その径を測るというのは、矛盾しているだろう。世界の内部に、セントラルは存在しないのだから。内円は、あってはならない筈なのに存在する。仮想概念モデルの、さらに内部にうっかり仮定されてしまったイレギュラーそのものだ。

可能性の伝達は光速を越えない有限の速度で、という規定は、因果律は破綻しない、という我々の経験則に基づいて代入されたものであって、それに従うのであれば、七つの螺旋モデルは円筒形ではなく、光円錐の形になる。内円が存在しないのであれば、世界の運動は、螺旋軌道ではなくて、自転運動になる筈だ。内円が存在するのだとしても、世界の内部で観測される時間には、直接測定出来るような影響は、存在してはいけない。この二つが両立するためには、世界の速度には、私達が認識している世界の内部を流れている時間軸とは異なる、回転速度のための別の運動軌道が必要になる。

それがセントラルを意味するのだとしても、世界の内部から、直接観測することは出来ない。ただ、その影響が世界内に転写されて、ありえない現象が起こる範囲を、測定することは可能だろう。それを測るのは、径ではない。正確には、「有り得ない」か否かを判定する、確率の異常分布、つまりは可能性の集積の測定となる。

でも、直接見ることは出来なくても、その存在が確かであると信じられているものなんて、いくらでもあるじゃないか。一体誰が、我々の銀河を外から眺めて、渦巻き状だと「見る」ことが出来るだろう。数学がどんなに便利でも、それは数というモデルに転写された仮想のマニューバであることに変わりはない。それでも、その仮想の矢印が指差す姿を、実在だと信じることが、出来る筈だ。

そう、見ることも触ることも出来なくても。彼方の星が歪んでいる、その観測をもって、彼我の間に横たわる重力レンズの実在を信じるように。

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