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2012年1月29日 (日)

青と白

詰まるところ、青と白との問題な訳だな。

キャラ萌えのプレイヤーは、最初からその気持ちを抱いて無名世界にやってくる。だからアイドレスに対する順応が早い。だけど、ゲームが遊びたくてやってくるタイプは、そうじゃないよね。楽しいのは、いいけど。単純に楽しいだけの快楽に、気持ちが発生する余地は、あるのか。

アイドレスみたいなゲームなら、その世界の内側で気持ちを育てることが出来る筈なんだ。勝って嬉しいでも敗けて悔しいでも、そういう感情の積み重ねが多層性を生むし、他者の感情への配慮を学習させる。だけど、現状のアイドレスは、結局そういう感情の起伏から、逃げてしまっている。地道にこつこつとやってきたプレイヤーが客光を浴びて羨ましいでも、もしくは自分より初心者だった誰かが、自分を追い抜いて悔しいだっていいんだ、そういう負の感情が自分の中から生まれてくるんだって、きちんと自覚できて、始めて内なる敵と向き合うことが出来る。お手て繋いで横並びにゴールインでは学べないことがある、そういうことだよね。勝利者に権威が与えられることは、しょうもないやっかみから、身を守るための手段でもある。結局そういう人間社会の習慣というものには、人間心理を操作し無用なトラブルを防止するための知恵が、ちゃんと蓄積されているということだ。なのにその一方の側面だけを捉えて、顔の無い仲良しごっこのぬるま湯に浸っていたのでは、自我なんて成長する筈がない。

私が疑問なのは、結局のところ本当の意味での「アイドレス」を望んでいるプレイヤーが、どれだけいるのかということだ。みんなで作ってデバッグして、それは私のような人間にはとても楽しいけど。だけど、少なくともこれまでの無名世界のゲームは、最初からボスが存在することを前提に存在している。号令かけて取り締まりをして余所者を排除して表彰をする、そういう機関が存在することを前提として、そういうゲームがしたくて集まってくるプレイヤーは、本当にアイドレスを望んでいるのか。適応しなければ勝てないと言われたって、負けても悔しいとも思わないんじゃ、効果は期待出来ないだろう。同じ「萌え」の言葉でくくったところで、恋愛というプロトコルに憑依しているのと、本物の恋愛感情では、その気持ちのリアルさには雲泥の差がある。

私は私の子供達を、白を抱いて歩いて行ける存在として育てたい。役者を育てるのと同じ、結局は紛い物に過ぎず、自己満足に過ぎないことは承知している。だけど、物語の枠組みだけ格好つけたところで、中身が無かったら、私には意味が無いんだ。

第六のインフレーションがアイドレスを巻き込むのなら、そこに魂を吹き込むチャンスはあるのだろう、からくり的には。だが、現状のアイドレスに、それに値する白がどれぐらい存在するのか。うちの息子達の方が、まだましなんじゃないのかね。本人達が何かを学びたいと望むのなら、私は結構誰とでも共闘する、それは別に最初から少しも変わっていない。でも、押し売りをするつもりはさらさらないな。

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