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2012年9月 7日 (金)

伽羅求羅虫

***   闇の鬨   ***

しなやかな白い腕の振るう銀剣の軌跡が、宙に翼の躍るように軽やかに回廊の空気を切り裂く。その裂かれた隙間から舞い上がる風が、幻の子供の小さな唇から零れ落ちたか細い生まれたての歌を、優しく抱くように掬い上げて響かせた。全てを等しく孕んだが故に、何時までも何処までも何者も生まれ出でる筈の無い無辺の回廊に、刹那の風達に守られた新しい歌が、温かい渦を描き始めた。懸命に手足を動かし続けるせわしい息の間から零れる声は、切れ切れに掠れて頼りなく、今にも途切れてしまいそうなのに、己の歌が風に谺するその微かな囁きに和して、それでもなお幻の子供は歌の流れを紡ぎ続けた。その糸のように細い声が、風に谺し、幾重にも響き返して膨らみながら、煌めいて消えゆく歌の定めを覆し、新たな流れを織り成してゆく。

銀剣の舞い手は、生まれたての歌に寄り添うように、同じひとつの密やかな響きを唇から響かせていた。その胸に満たされた息吹が歌の衣をまとって回廊に舞うと、回廊に満ちた虹色の流れもまた、己の身を震わせて七色の欠片を煌めかせながら、薄衣が風に流れるように柔らかく膨らんで、歌の姿を形作った。眼には見えない筈の歌の形をまとった七色の流れは、雛鳥の翼が風を求めて打ち振られるように、回廊の空を薙いで波打つ。刹那の歌の響きが、大いなる沈黙を求めて高く昇るように。舞い手は、全ての外側に横たわる広大無辺の沈黙に耳を澄ませた。何時か全ては、等しくあの沈黙の深淵へと還るのだ。その定めに抗うことなど出来よう筈もないのに。それでもなお、最も儚い刹那の歌こそが、無辺の沈黙と対峙し身を閃かせて躍るように。頑是無い雛鳥の翼こそが、身を切るような風を求めて虚空を羽ばたくのだというのなら。銀剣の舞い手は、その口元に冴えたる笑みを刻みつけた。風の業を自ら背負う愚か者がここにも在るのだというのなら。

その翼に、風を。

舞い手の声なき声が、回廊に轟いた。何処でもない何処かと何時でもない何時かを結ぶ幻の回廊の全てが、たったひとつの声に叩かれて大きく波打ち身を震わせる。声は即ち無限と呼応して谺に谺を重ねて無秩序に膨れ拡がり、瞬間で回廊の何もかもを粉々に引き裂いた。虹色の煌めきは微塵に打ち砕かれて四散し、圧倒的な闇の怒濤が雪崩れ込んで全てを飲み込み覆い尽くす。存在の全てを繋ぎ止める厳然たる鎖、切るように冷たい運命の戒めが、底のない虚無の沈黙へと全部を残らず引きずり込んだ。この大いなる闇の前では、何もかもが全て等しく儚い幻でしかない。与えられた一瞬を煌めいて跡形もなく消え行く歌の運命と同じ、抗うことなど叶う筈もない強大な裁きの剣に切り刻まれて虚空に散る刹那の欠片に過ぎないというのに。この定めに、否と応えるもの。自らの敗北を知りながら、最期の最期の最期まで、己の魂の炎が闇に飲まれて消え往くその際まで、否と叫び返す騙りものの血が今なおひとの内に途絶えていないのなら。

形の無い指が、震えながら前を指差す。ただその想いだけが、断罪の確定を逃れて刻を凌いだ。前へ、立ち止まることもなくただ前へ、そうでなければ己の魂を失う風の命。ただのその小さな指だけが、無辺の漆黒を裂いて前を形作り、何もかもがひとつに溶け合う混沌に否と応えた。何時かは全てが還るのだとしても。それは未だ、今ではない。ただそれだけの前進が風の命を繋いで全てを覆す。打ち返されたその想いに響いて闇に溶けた筈の笑みが形の無い柔らかな吐息をもらした。全てが反転する。小さな指先の描くその魂の響きに導かれて、小さな幻の子供が、その姿を取り戻す。闇の深さに、その冷たさに、取り戻したその姿のあまりの儚さに慄く小さな姿を、灼熱の獣がその背にすくい上げ、再びの怒号を轟かせた。散り散りに引き裂かれた七色の風が、闇を駆け抜ける声に揺さぶられて彼らの周囲に揺らめき始める。虹色の浪を身にまとい、幻の子供を乗せた呪われた獣は、まるで七色の翼を繰るように、時の無い闇に流れる在り得ない流れを率いて前へ進み始めた。幻の子供の、そのまなざしの見詰める処、時も処も姿も無くとも、その想いの示す道こそが、ただ前へと進む架け橋となる。応えるものの在る限り、打たれた音がまた打ち返されて、無辺の闇を揺り動かす限り、終わりの深淵を意味する筈の沈黙の闇こそが、新しい歌の調べを生み落とす。沈黙の深淵のその際にこそ光を放つひとつの意志がある限り。

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