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2012年10月 3日 (水)

勇者

別に難問を募集する趣味とかは無いので。必要も無いのに無闇に呼ばないように。マナーを守れない奴は評価レベルを下げる。

自分の視点に閉鎖しているものの認識を覆すことはとても難しい。自分の正義に酔ってる場合には尚更だ。被害が出てからなら、被害者に文句を言われるのが一番ストレートだろうけど。毎度被害が出るのを待っているようではちっとも進歩がないし、大抵の場合、文句がきちんと伝達されることは余りなくて、恨みばかりが蓄積されることになる。

必要なのは客観性、言ってしまえばメタの視点だよね。自分のしていることを、外から眺めて判断する能力。物語の中で罠を仕掛けるということは、つまり世界内での異なる視点を導入して、側方から攻撃を仕掛けるという意味になる。攻撃を防ごうとするのなら、さらに外側の視点からの判断が必要になるだろう。でも、余所者が勝手に文句つける発言は、確実に当事者からは嫌われる。

おたくと呼ばれる人々は、物語の視点にどっぷり漬かっているような振りをしながら、実際にはメタな部外者の視点から降りてこない、高いところから見下しているだけの人々なんじゃないのか。自分は結局絶対の安全地帯にいるから、好き放題に非難ばかりができる。当事者からは嫌われることこの上ない。アイドルに奉ったきり、ひれ伏すばかりでろくに相手の顔を見てないのだって違いはないな。当事者の視点に立つ姿勢が無いから、その足元に隠されている解決のヒントに気が付くこともない。

通勤電車に乗っているのなら分かると思うけど、イヤホンでも携帯でもスマホでもゲームでも、みんな自閉のための道具だ。安全地帯にこもって、自分の足元に穴が開いていたとしても、それを見たくない人々の行動だろう。空気読めないって、そういうことだ。新聞とか文庫本とか、古くからその傾向はあったんだと思うけど、あれはまだ、外部への反撃を養う準備のための自閉行動だからな。自閉の為の自閉を無限ループさせるメディアばかりが増殖して、外部との接点を持たない、そういう環境でなければ自我を保てないパーソナリティがどんどん増えていく。

ただ、確かに最初の一歩で必要なのは観察力とかになるのかもしれないが、それをきちんと全体の視野から解読できる能力とセットでなければ、何となく気になる以上のレベルへ進軍することは出来ないんだよ。全体に対処し得るのは全体だけだ。理想に燃えて足元が見えない世間知らずの王子の頭を引っぱたくのも、安全地帯からやいやい無責任な発言ばかりを繰り返す連中の頭を引っぱたくのも、同じこと。一撃必殺の奇跡の弾丸は存在しない。私のしていることが一撃に見えるのなら、それは私が周囲に張り巡らせた糸が見えていないだけのことだ。

広畑が一歩を踏み出す、ただけそれだけの物語を描く為に、あれだけの文章量が必要になる。きちんと書籍向けの文体に推敲変換したら、もっと増えるよ。これからは、よりコンパクトな文章表現形態が必要とされるだろうと思うし、私がネットに描くにあたっては、一応その方向性を模索しているつもりだから、かさが増えることだけがいいとは思ってないけどね。

最初そのつもりは全く無かったし、描き始めた時に彼は存在すらしていなかったが、結局広畑は生まれるべくしてあの物語の中に自ら出現するキャラクターだ。私がそういう総体の構築の伝達に成功しているのか否かは別として。千と千尋で、宮崎監督は、あれはカオナシの物語だったと気が付いたって、そんな発言があったかな。物語の悪として憐れな犠牲者に終わる筈だった存在が生き延びることで、物語の書割りにどんでん返しを仕掛ける鍵になる、そういう物語類型が、そろそろ構築されてもいいかなと思うのだが。

その全体を描き出すのに必要なものは、罠の構図を読み解くさらに上からの視点だ。でも無名世界観には、レベルが上がると謎に絡まって公開されなくなるという、構造的な欠陥が存在している。お稽古なんだから、被害の小さいレベルで何度も回して、成功と失敗を繰り返しながら勘を鍛える訓練をしていくのが必須なのに、一度に全部が出来なければならないなんてやり方は、愚の骨頂だ。小さいサイクルを自分で回したり、転んでも何とか自分で起き上がれるという自信が付けば、それなり勝手に自走する。私はかつて、それなりの手間隙をかければ駆け込み寺として呼び出しに応えるという形で、こけても何とかなるをバックアップしていた。実際のところは、呼ばれてから腰を上げたところで手遅れなので、途中経過の把握は必須だったけどね。計画をどんどん肥大化させる傾向というのは、でかいゲームがやりたい実力があるというより、机上の空論を広げることしか知らないホラ吹きのすることなんじゃないのかと思うが、如何。

ひとつの認識の中に複数の視点を共存させる能力が無いのなら、複数の頭を動員して、それぞれの立場に基づいて討論させるしかないだろう。でも、その討論をかみ合わせる能力が、未だに育たない。結局ぐるっと回って同じ課題に戻ってきたのに、問題点はちっとも改善されていないと。それも、先達からの指導を受けた経験が乏しい人格は、上からの視点で語られるだけで、圧迫感と被害妄想で自閉症状に陥るからな。もしくは、感じることすら出来ないか。竜が監視しているという状況を、どれくらい当事者として認識出来ているのか、この辺りが踏み絵になってる筈だよ。プレイヤー諸氏は今でも、キャラより自分達が上等な存在だと信じてるだろう。可哀想な愚か者どもを指導してやらなくてはとか、思ってるだろう。その認識に凝り固まってる限り、自分を客観視する冷静さは育たない気がするんだけど。

どれだけミスを犯しても全部ノーカウント問題なしで済ませるのの、何処がゲームなんだか、私には分からない。単なる自分勝手を垂れ流すのと、信念を持って物理的影響を及ぼす意志の力が、どうして一緒くたに扱われるのか、私には分からない。全部を肯定するということは、好き放題の欲望垂れ流しがどれでもオッケーになることじゃないよね。プラスとマイナスが存在することをちゃんと認識した上で、それでも全部がイエスと言える抜け道を探すということなんじゃないのか。それこそが避けの真骨頂だろう。既存の価値観を乗り越えることは大切かもしれないけど、新しい価値判断の基準が何も無くていいということにはならないと思う。

たくさんの意見を出させてそこからのピックアップを行うなら、選んだ意見を総意として全体にフィードバックさせるように認識を揉まないと。サンデル教授の上手いところは、そこだと思うんだが。あのメソッドにも、バグはあると思うけどね。それぞれ複数の立場が存在するんだ、という共通認識だけでも、ずいぶん違う。反発があるなら、そこできちんと意見として吸収しておく。発想が認識として定着するよりも前に捏ねておけば、結構自分の意見みたいな気分になるものだ。洗脳ともいうけど。ミスショットをオープンするにしたって、リカバリの手段とセットなら、それ程の打撃にはならないよ。結局、自分の過ちを自覚させたケースの方が、その後の成長が飛躍的に大きいことは証明されている筈だ。必要なのは、どうやって自力で立ち直れる範囲で失敗させるのかなんだ。その状況の周知徹底が財産になると共通認識されれば、その時に初めて本物の鉄砲玉が育つんじゃないのかな。私もまだ、実物にはお目にかかったことはないけど。

英雄と言う言葉が語られるのは、それが物語の段階になるくらいに事実が忘れ去られた後世のことだろう。物語の枠しか知らなくて、作られたヒーロー像を描きたいと思うなら、その類型を焼き直しし続けるしかない。私はあんまりそういうことには興味が無い。自分がそういう扱いをされるということにもね。でも、自分がなるという意味でなら、勝敗も、善悪もまだ分かたれる以前、途中で命を落として忘れ去られるかもしれない勇者として立ち上がる、必要とされてるのはそういう勇気なんじゃないのかね。

お月様は惜しいとは思うんだが、残念ながらコールにはやや未達か。人間関係の前提が無いとおまけのしようがない。断っておくが、夏休みのはおまけのおまけのおまけぐらいなので。次は無いから。

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