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2012年11月23日 (金)

創作ノート・加賀見の真名衆 弐

真名が称号。本来なら、それは矛盾している。だから加賀見の真名は、順序が逆で、定められた真名が先に存在し、それに共振する魂が選ばれる。真名を知ったからと言って、それは現という界を構成する一部として動かし難く強固で、他者が操るというようなことは出来ない。名前という鎧であると言ってもいい。そういう真名を定めた誰かがかつて存在したのだとも、経験からそういう特異的な響きを探し出したのだとも言われている。いずれにしても、その名前が持つ傾向は知られてしまう弱点はやはり存在するけれども、人の魂がその真名から「揺れ動く」ことが許容されているので、人の選択が、真名によって自動的に決定されてしまうということはない。その意味で、やっぱり確率的特異点の目印を示しているのが、真名衆なのかもしれない。

九十九の真名が全て埋まる時は、加賀見一党最強の時代であるし、真名衆が減ることそのものが、氷上の媛を守る結界の衰退を示している。生まれながらにして<向こう側>に属するものを縛る真名を知っている氷上媛の存在は、真名という名前のちからの源となるけど、その帰趨は、彼女の気持ちだけによって決定される、この上も無く危うい賽でもある。氷上の媛は何時でも存在する訳では無くて、つまりは勝手に生まれてくる訳だけれども、人間の集団としての加賀見一党は、人の世を戦い抜いて命脈を繋がなくてはならないので、加賀見の結界の要は、別に存在する。それが、人にして人から最も遠く、氷上媛に近い存在である真名衆の長、山姫様だ。真名衆は、特に階級的な上下関係を持たないので、尊称を付けて呼ばれる者は何人もいない。最も霊力の強い年齢で真名を襲名することが多い山姫は、その後ほとんど年を取らないで若い姿を保ち続ける。必ずしも純潔性を求められるものではないけれども、山姫様が子供を産むなら、能力の高い子供となることはほぼ間違いないし、下手をすると、人間の領域から微妙にはみ出してしまうこともある。上手く真名衆に収まって安定することが出来るまでは、騒ぎの元になることも多い。その最たるケースが、氷上媛の再来となる。

加賀見の本拠地は、お約束的に山奥にあって、山姫様は基本、その場所を動くことがない。結界を守っている、とは言われるが。でも、加賀見の結界の本質は、山姫という真名そのものなので。城という場に彼女が収まることで、術は完成するけれども、本当はその場所を動けないということでもない。真名衆という生きた鎧の要が、山姫という真名に結集した生きた城そのものということだ。

城という界、場は、周囲の攻撃から中を守る為のものであると同時に、内側に存在するものを封じる牢獄でもある。結界内になら、外の世界へ溢れたら困るようなものを、囲っておくことも出来る。つまりは、舞台とはそういう場所だから。加賀見の結界は、外の世界では生きていくのが難しいような狭間の存在を、たくさん飼っている、確かに。竜の巣のようなものだな。実験場であるとも、るつぼであるとも言える。鉄砲玉二匹は、ちゃんと自分の所属世界観を持ってたので、別に真名を持ってる訳じゃ無いんだが、ま、武者所で遣われたら、その先は決まったようなものだ。つーか、杉宮は、本当に怖い男なんだがな。私は、原型を定めて、そのギミックに合わせてキャラクターを作るようなことは、絶対にしない。それは真名の理に反するからだ。彼らは、自らの選択で自らの真名を手に入れるだろう。人と真名は、対等なんだ、それが崩れたら、占術にならないじゃないか。それでは、加賀見の真名の意味が無いんだよ。誰と誰が符合するとか答え合わせがしたいなら、そっちで勝手にこじつければ。こういうことを、一緒に相談しながら決めていくということそのものは、私は嫌いじゃない。でもそれを、こんなブラインドゲームでやるようなつもりはないね。

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