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2012年11月27日 (火)

はんな

実は、それ程映画を観る方でもないんだけど。忘れられないシーンは、いくつかある。私は、そういう印象をそのまま作品として出力するということを、基本的にしない。どうしてもやりたかったら、オリジナルがどれであるのかが、分かるようにするところまでやる。それを目指すと、結局は咀嚼消化して、原型を留めなくなってしまうことの方が、多いんだが。それが、例え業界のごく端っこ、たかがロハのお遊びでしかないんだとしても、表現者として、作品を生み出して作り続けるものの、仁義だと思うからだ。

いつか、そうやって使ってみたかったシーンがあった。ハンナ・セネシュ、詳細は省くけど。拷問を受けてる彼女に対して、彼女の行動によって、母が苦しい立場にあると、ゲシュタポが囁く。母一人子一人、そんな母を苦しめるようなことは、世界中の誰も許さないだろうと。ハンナは、一人だけ赦してくれる人がいると、微笑みさえ浮かべて答える。それは私の母だと。

ハンナを救い出そうと、自分の危険を省みずに活動していた母の元へ、ハンナが帰る日は来ない。彼女が銃殺されたことを、今でも間違いだったとは思わないと、戦後まで生き延びた彼は証言する。それが、現実だ。でもその答えは確かに、彼にとっての真実なんだろう。人間とは何なのか、何度問うても答えは出ない。そのシーンを、自分なりに描いたつもりだった物語はみんな灰になった。

でも。もしも自分のしたことが、どんなことを招くのか、彼女が知っていたというのなら。私の絢爛舞踏祭は間違ってなかったと、私は思う。殺してやると泣いて叫んだ日のことを、私はちゃんと覚えてる。でも、後悔の重さを、罪の痛みを、学びながらここまで生き延びた、それも本当だから。だから、私には貴女の覚悟が、分かったんじゃないかと思う。殺されたかった貴女には、もっと辛いことでしかないのだとしても。

私が貴女を赦してあげるよ。だから、 生き延びよう。この世界から離れる日が来ても。私が貴女の涙を抱いてゆく。

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