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2012年12月24日 (月)

納めの地蔵

 

***   残楽   ***

 

例によって例の如く、はるかが蹴飛ばした雲を掴むように漠然としたヒントに対して、現実的な対処プランを模索して考え込んでいたヤガミは、艦橋に満ちた沈黙にふと気が付いて、飛行隊長席でひとり、はたと我に返った。曲がりなりにも平和を手に入れた現在の火星の海を航行する夜明けの船にとって、入港に対する意味合いは、かつてのような命拾いの開放感では無くなっていたが、今でもなお、潜水艦という閉鎖環境から都市船の広々とした空間に解き放たれるのは、乗組員の総員にとって貴重なストレス解消の機会である。MAKIに任せておけば、万事が滞りなく運営される夜明けの船において、このチャンスを簡単に無駄にしてしまうクルーは、ヤガミぐらいというところだった。

反射的に気の抜けた長い息を吐き出しながら、空っぽの艦橋を改めてぐるりと見回したヤガミの脳裏を、微かな緊張感が横切った。この夜明けの船に、いつまでも仲間達の全部を繋ぎ止めておくことは出来ないだろう。既に世界の状況は、次のステージへと移り変わりつつあるのだ。これから徐々に、仲間達はそれぞれの在るべき場所へと羽ばたいていくことになる。このタイミングに遅れを取ること無く、戦友としての絆を保つホットラインを堅固に構築し、旅立ちと連帯との両方を成立させなければ、たった一隻の革命軍として戦い抜いた真の意味を、未来へと生かし切ることは出来ないかもしれない。アリアンという存在が置かれたポジションは、夜明けの船の勝利によって大きく変貌してはいても、世界の表と裏とを同時に見据えながら、未来への航路を選択しなくてはならないその重責は、今でもヤガミの両肩に、ずしりとのしかかっているようだった。

その幻の重さに対して、無意識のまま、密閉空間に閉ざされた人間が本能的に広い空を求めるように、口元を釣り上げた笑顔を探そうとしてしまったヤガミは、そんな自分に言い訳するかのようにして、はるかもまた都市船へと繰り出している筈なのを思い出した。ヤガミの誕生日が近付いているのに合わせ、都市船で目新しい食材でも買い込んで、自分ではこっそりと用意をするつもりでいるらしいはるかは、ここ数日あれこれと買い出しの段取りを進めていた筈である。口に出してそう言った訳ではなかったが、自分の誕生日と言えど、それを口実に騒ぎたいだけの賑やかな場に引っ張り出されるのを、ヤガミが好まないのだということも、はるかは承知しているようだった。とはいえ、入港の短い滞在時間であれもこれもと欲張った挙げ句、結局は若手連中の皆に筒抜けになり、団体での買い物ツアーに変貌しているあたり、既に当初の目的を忘れてしまっている可能性も否定出来ないところではあるのだが。

今更都市船へ出たい訳でも無かったが、置いてけ堀の疎外感を微妙に持て余しつつ、取りあえずは自室に引き上げるかと、ヤガミは隊長席からゆったりと立ち上がった。艦橋を後にして静まり返ったエレベータホールを横切ろうと歩みを進めていたヤガミは、しかし、何かの気配に気が付いてその場でぴたりと足を止めた。そのまま、身動ぎもせずに周囲の気配を探りながら、じっと耳を澄ます。艦内に、幽霊が、そんな昔の噂話が思わず思い起こされた。いや、幽霊ならここにいるんだがと、皮肉な笑みに口元を歪めながら、ヤガミはハンガーへと続く扉に視点を定めた。何かの気配が、音の無い音が、知覚を超えた直感の琴線を揺らしている。勿論、MAKIに尋ねれば、艦内に誰が残っているのかなどということは、一瞬で確認出来る筈なのだ。だがヤガミは敢えてそうはせずに、己の勘に導かれるようにして足早にドアを潜り、音を殺した無駄の無い動作でハンガーへと続く階段を駆け下りた。

この世界の何処よりも安全である筈の、この夜明けの船の艦内で、何故自分が戦闘態勢を取らなくてはならないのか、確たる理由はヤガミにも見付からない。にもかかわらず、行かなくてはならないという急き立てられるような予感は、強くなる一方である。意を決するようにして、足元を踏み締めながらハンガーへと突進したヤガミは、ドアが開いたその瞬間、潜水艦の艦内にあるまじき涼やかな風がその内側から吹き出したような気がして、はっと息を飲んだ。剥き出しの整備機械達が奏でるいつも通りの通奏低音が、いつも通りの赤い光に照らされて洩れだしてくるのに混じって、何かが、微かに流れている。それが、切れ切れの細い歌声であることに、遅蒔きながら気が付いたヤガミは、頭上に疑問符を浮かべるようにして、そそくさと足を速めた。

見慣れたハンガーの内部をきょろきょろと見下ろすと、いつも通りの希望号の前ではなく、三号機との間の通路に青い太陽系総軍の制服の色が隠れている。ほっと表情を緩めたヤガミは、先程までの緊張は何処へやら、自分の第六感に盛大な疑いを投げ掛けつつ、密やかな流れを遡るように通路を進んでいった。細く紡がれた歌声はまだ続いていたが、それがいつもとは違う、単純な音階を組み合わせただけの静かな音色を響かせていることに、ヤガミは気が付かなかった。足音を控えることも無くハンガーの通路を回り込むと、赤く暗い光の下に座り込んだ青い制服の姿が改めて見えてきて、ヤガミはそのまま無造作に声を掛けた。
「…はるか、都市船へ出たんじゃなかったのか。」
「……ヤガミ。」

真っ直ぐに背筋を伸ばした綺麗な姿勢で床に腰を下ろすはるかは、ヤガミの接近に気が付いていなかった訳でも無い筈なのに、声を掛けられて始めて、落としていた視線をゆっくりともたげ、ヤガミの顔を見上げて静かな微笑みを見せたようだった。とはいえ、作業用ライトの暗い光の下では、濃い陰影の刻まれた顔からはっきりとした表情は読み取れない。歌が途切れてしまったことを僅かに後悔しながら、ヤガミがそのまま距離を詰めて歩み寄ろうとすると、はるかは流れるように美しい動きで立ち上がると、ゆるゆると歩き始めた。
「……はるか?」
「…ええ、今出ようと思っていたところ。」
そう低い声で答えながら、はるかはヤガミの傍らを、音も無くすれ違って通り過ぎようとした。先程作られた微笑みの形が、少しも崩れることなく保たれたままで、傍らを滑るように進んでいく。瞬間、ヤガミは反射的に背後へと飛びすさった。身体が反応してしまってから、ヤガミはその微笑が、機械義体の表情パターンであることを思い出した。

唐突なヤガミの反応に少しも驚くこと無く、はるかの顔をしたその人物はそのまま歩みを進めると、充分な距離を確保してからゆらりと振り返った。ゆったりとした動作のように見えるのに、その動きが描く曲線には微塵の無駄も淀みも無く、舞のように美しい軌跡を描いている。ヤガミと対峙したその義体の人物は、まるでヤガミに見せつけようとでも言うかのように、再び静かに微笑みを形作った。
「…お前は、誰だ。何故その義体に…。」
美しく整った笑みに叩き付けるように、剣呑な口調で疑問を口走ったヤガミは、はっと気が付いて自らその言葉を飲み込んだ。これと同じ事が、以前にもあった。もう思い出すことも難しいような、近くて遠い過去、はるかがまだ機械義体を操って火星の海に災厄の嵐を巻き起こしていた頃に。結局あの後、はるかに事実関係を問い質す機会も無かったが、少なくともあの人物は、はるかの知り合いであるような口振りで話をしていた筈である。

「……あの時の?」
「そうとも言えるし、そうでは無いとも言える。ただ、私もまたウィッカだということかな。」
「……回りくどくて分かりにくいところも、同じなんじゃないのか。」
思わずむっとした不機嫌さを隠しもせずに言い返したヤガミの言葉に、逆にその機械義体の人物は、一層笑みを深めた。そうして感情のこもった笑いを見せると、その表情はやはりはるかの表情とは違っていて、ヤガミはほんの少しだけ緊張を緩めた。
「まあ、確かに。とりあえず、貴方達に害を及ぼすつもりはない、一応ね。運命の神話の系譜に列なる者として、挨拶にお邪魔しただけだよ。」
「…運命の神話?」
「私達の言葉では。冬の神話は、始まりの神話じゃないのか。それこそが運命だろう。」
「…運命なんてものは……」

再び反射的に口を突いて出たヤガミの言葉に、一瞬だけその人物は笑みを納めた。そうやって笑顔を形作るのを止めると、その表情が何処かで、みふゆの顔によく似ていることに気が付いて、ヤガミはまじまじと、見慣れている筈の義体の顔を改めて見直した。斬り込むように真っ直ぐな視線が、ヤガミへと向けられる。その深い闇色の瞳の色を、ヤガミはぐっと息を詰めて見詰め返した。確かに、これははるかと同じ系譜の魂を持つものなのだろう。まるで、ヤガミがそれを認識するのを待っていたとでもいうかのように、一瞬の間を置いてから、再びその義体の人物は、柔らかな笑みを浮かび上がらせた。
「貴方達の言葉ではどうなのか知らないが、私達にとっての運命の神は、天の車輪を廻すもの、覆され続けるものの意味だ。今はもう、何処にも無い国の伝説だが。」
その言葉の背後に秘められたあまりに静謐な響きに、ヤガミは今度こそ言い返す台詞を見つけ出すことが出来なかった。そしてふと、はるかが語っていた月の鏡の伝説を思い出した。
「……月は太陽の娘?」
「…ああ、そうだ。はるかは、覚えていたのかな。」
低く小さな声でそう呟くと、はるかと同じ姿のその人物は、変わらぬ滑らかな動作で踵を返しながら、ヤガミに向かって言葉を投げ掛けた。
「うっかり鉢合わせでもして騒ぎにならない内に、退散しよう。次にお会いする時には、もう少し混乱の無さそうな姿を選んで来ることにする。」

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