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2013年2月 1日 (金)

風のかたち

資本主義って、ホーダーに似てる。つまり、それは人間の欲望のひとつの形態であり、ホモ・サピエンスという、動物としてはある意味壊れた種族の病の形態でもある訳だ。でもそれは同時に、エネルギーと物質との関係性とも同じかたちをしている。では、大切なのはどこまでも物じゃない。関係性、フロー、ベクトル、風の軌跡のそのかたち。その図式は、経済の戦場をターゲットに逆流させることが可能な筈だ。一方で、人間が生物として、実在の物質に依存する存在であることを、完全に放棄出来るわけじゃない。色即是空、空即是色。無の深淵から有が産まれ、また無へと還ってゆく大いなる循環。

ナショナリズムを解体してしまった国とは、言葉遊びみたいな存在だな。でもだからこそ、形の無い原形質のような停滞に陥っている。全部を一度に組み立て直すことは無理だろう。では、コアは何処にある。是空の対となる、是色の存在は。最初の一歩、矢印のその形、始まりのAの音。

クリエイターというと、その人の中に最初から作品の原型が眠っていて、それを持ってない人には才能が無いとか、そんな言われ方をするけど。語るべき物語を丸ごと抱えてる人がいるのなら、それはちょっと勿体無いねとか、私は思う。それは探しに行くもので、最初から存在したりするものではない。何処までも不定形で得体が知れなくて、でも構成するピースが集まり始めると、勝手に自己組織化する、そういう奇妙なものだ。

ハーモニーの為にビブラートを削ぎ落とせば、それは確かにクリアで美しい倍音の響きを生むけど、事実として、詰まらない。そういうのを数値化しなくてはならない必要性って、個人的にはちょっと分からないな、だって、その共通認識を一緒に確認出来るような試行錯誤を積み重ねて時間を共有する、私にとって、合唱とはその全部を意味するものだからだ。その向こう側にあるのは。ハモりを求めてビブラートの波まで同期させるような、固定された音階の概念が根こそぎ揺らいだ音の世界、互いが互いの呼吸を読めるようになって始めて実現する和音の姿。

問題なのは。たくさんの情報を集めて、回答を大量に集積しただけでは、それはただの散漫に陥るだけで、相転移は起こらない。必要なのは、量だけではなく密度の方だ。個の意識の中で、それが起きるのは何度も見たし、お膳立てして導くことも可能だろう。そういう体験を持つ個人が集まると、集団でも同じようなことが起きるのは、経験的には知っている。でも、個の経験を全く持たない集団で、その自己組織化が起こるのは、少なくとも私は見たことがない。現状、一般的にデータと呼ばれる情報の蓄積能力だけを言うなら、AIと人間では勝負にならない。でも一方で、人間が生命反応を維持するために行われている情報処理を全部データに置き換えたら、それがどれほどの莫大な量と処理速度になるのか。その上で、密度、ボルテージ、そういうものを演算するのには、どうしたらいいのか。人間の情報処理は、その全体が綿密に絡み合って総体として存在している。その複雑怪奇を再現することが、AIには可能なのかな。つーか、再現じゃ意味が無くて。必要なのは、リアルタイムと同調する能力である訳なのだが。リアルと同調し過ぎると、脊髄反射的反応になって密度が下がる。リアルから多少距離を置けば、個としての密度は上がるけど、そのまま引きこもると、同調が難しくなる。つまりここでも、風のかたちが成立しているかな。

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