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2013年3月17日 (日)

Inter Arma Caritas

***   瑠璃光の萌し 2   ***

その言葉が持つほのぼのとした雰囲気に反して、料理の手順というのは、意外に難しいものである。

下ごしらえ、加熱や調理、そして盛りつけ。それぞれの手間や作業時間も違えば、順序も様々で、合間合間にどう作業を組み合わせるのかによって、同じ時間で作れる品数は変わってくる。まして、それが大人数向けのパーティメニューともなれば、作り手の人員も必要な出来上がりの量も膨れ上がり、要求される段取り力のレベルは、かなりのものになるだろう。

プロのシェフであれば、腕の見せ所という類の面倒なパズルを、持ち前の粘り強さで組み上げて、イイコはほっと息を付いた。目前に広げられたノートに、几帳面な文字で書き込まれた設計図を、目で追いながら、最後のチェックを進めていく。やがて、その出来映えに満足して、イイコは微かにうんと頷くと、ぱたりとノートを閉じ、自室のデスクから立ち上がった。この世界では、実に古めかしい手書きのノートを、まるで宝物のように両腕の中に抱いて、イイコはいそいそとした足取りで部屋を出て、夜明けの船の廊下を歩き始めた。

すっかり身体に染み込んでしまった習慣の通りに、エレベーターホールへ出てから、中央階段を選ぶ。必ず船の中央を目指してしまうのは、激戦を潜り抜けたパイロットとしての癖である。最短時間での反応を求められるパイロットには、いちいち選択に迷っているような暇はとても無かった。考え過ぎてぐるぐるしてしまうのが、自分の悪いところだと、そして嫌いなところだと考えているイイコには、問答無用な反射的行動を身体に刷り込んで、無我夢中で戦うRBパイロットの緊張感は、辛いながらも、いい訓練になっていたのかもと、思ったりもする。

その一方で、ふと、あの激戦の日々を思い起こして、怖くなる時がある。命を懸けたぎりぎりの緊張感に、誰も彼もが支配された戦場に吹き荒れている、見えない嵐。怒濤のような衝動に、気持ちを押し流されていくことは、とても怖いことだ。まるで、自分が自分で無くなってしまうような。

少し物思いに沈んだ俯き加減で、階段を降りてきたイイコは、明るいエレベーターホールへ戻って、はっとして顔を上げた。厨房に続く廊下へと曲がろうとした彼女の目前で、その扉が、狙い澄ましたように開いて、中から勢いよく人影が飛び出して来たのである。
「あれっ、委員長。」
「あ、お、オーキ君。」
「ごめん、驚かせちゃったかな。」
「ううん、大丈夫。ちょっと私も、ぼおっとしてたの。」
「委員長、ウィッカ達と都市船へ出たんじゃなかったのか。」
「…う、うん、私はお料理の準備が担当だから。」
「ああ、成る程ね。」

何事につけ、細かい物事に拘らないマイトが、欠片も疑問も気配も見せなかったことに、イイコはこっそりと、安堵の息を吐き出した。始めは確かに、一緒に出掛ける予定だったのである。ところが、急遽、桜を見に行く話が割り込んで、マイトも誘えばと、はるかやエノラに焚きつけられたあたりで、微妙に後込みしてしまったのだった。マイトを誘うのに、勇気を振り絞ろうかと思ったのも、確かだったのだが。桜の風景は、様々な物思いを呼び起こす。桜じゃなかったら、そんな気持ちが拭い去れなかったのも、本当だった。

「…オーキ君は、トレーニング?」
「そうそう、最近RBの訓練が続いて、身体が鈍ってるからさ。」
「そうかな? 全然そんな風に見えないけど。でも、オーキ君らしいね。」
「まあ、俺はやっぱ、自分の身体を動かしてるのが一番らしいよな。RBも面白いけど。」
「だってオーキ君、凄い上達速度じゃない。タキガワ君も感心してたし。」
「それはさ、実戦とじゃ要求されるレベルが比べ物にならないだろ。委員長も凄いと思うし、ウィッカみたいに、自分の手足のようにRBを乗りこなしてるのとは、俺なんか全然違う。どうしたらああいう風になれるのかな。」

遠い彼方を見据えるように、じっと宙を見つめるマイトの横顔に、一瞬見とれてしまったイイコは、慌てて頭の中から、会話の続きを拾い上げた。
「で、でも、えっと、試験はちょっと苦手みたいだけど。」
「そうだよなー。ははは。」

底抜けに明るいその笑顔から、無意識の内に目を逸らそうとして、イイコの視線が空を流れる。その視界に、煌めく青の光が瞬いたように見えて、イイコは大きく息を吸い込んだ。
「? どうかした、委員長。」
「あ、な、何でもないの。」
「でも、顔色悪いぜ?」
「…あ、あの、アクアリウムに光が反射して、青い光に見えたの。その、また、右手が光ったのかと思って…。」
「あ、ああ、うん。」

まだ顔を強ばらせているイイコを気遣うように、マイトも表情を改めた。互いにすれ違いながら、シーソーのように世界移動を繰り返してきた彼らは、相手が己の知らないところで、どんな体験をしてきたのか、正確に知ることが出来なかった。こうして、夜明けの船での再会を果たしてからは、少しずつ色んな話をしてきたけれども、それで全ての気持ちが、語り尽くされる筈もない。己の知らないところで、彼女がどんな体験をして、どんな想いを抱えているのか、それはマイトには、彼女が自ら望んで語り始めるまでは、触れることの出来ない領域に属している。その無力さを、ぐっと自分の腹の底へと押し込んで、マイトはもう一度笑顔を作った。

「ま、もしも今度落っこちる時には、俺も一緒だからさ。」
「……う、うん。」
「何か変だと思ったら、直ぐに呼んでくれよな。」
「…ありがとう、オーキ君」
「じゃ、俺しばらくトレーニングルームにいるから。パーティのご馳走も楽しみだけどさ、あんま無理しないでくれよな。」
「うん、もう大丈夫だから。心配しないで。」
「…分かった、んじゃ。」
「トレーニング、頑張ってね。」
「おう!」

やや弱々しいながらも、何とか笑顔を作ったイイコに拳を振りながら、マイトはくるりと素早く身を翻した。対照的に、ゆったりとした動作で踵を返し、ドアをくぐったイイコは、少し薄暗くなった廊下を進んで行った。こんな風に、見知らぬ遠い世界へと“落っこちる”ようになってから、色々な出来事があった。こうしてマイトに会えて、夜明けの船で過ごすようになってからも、ずいぶん長い時間が経ったような、一瞬だったような気もする。マイトに会えるまでの時間は、とても長かった。でも、その時間を乗り越えることが出来たのが、自分だけの力だったとは到底思えない。

マイトを信じていたからこそ、ここまで来れた。決して諦めないあのまなざしを、知っていたから。遠い見知らぬ世界へ、飛ばされて、飛ばされて、飛ばされて。それでも自分は、あの明るい笑顔にもう一度巡り会うことが出来た、でも、じゃあ。

イイコの胸が、ずきりと痛んだ。

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