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2014年2月 9日 (日)

積み残し

盟約というのは結局、その世界内の理においてはもう手段が無いという絶望の状況で、世界結晶を崩さないでどう局限された裏技を使うのかという、強心剤的な劇薬でしかない。使い過ぎれば命を落とす、というよりも、つまりは電気ショックだからな。事実上止まっている心臓に使うもの、という表現はなかなか忘れられない。人事をとことんまで尽くしたら行き止まりの向こうに抜け道が見えるかもしれないというのに、安易に強力な裏技ばかりに飛びついているようでは、ドラゴンとの対話なんて、まだまだという感じ。

携帯電話、テレビ、声明もそうか、そして紫。情報戦というよりも、もっと原始的、単純な電波ジャックと、それをトリガーとするテレポート。沈黙の理の一般的レベルという意味では、セプやヤガミであれば、対処が可能な手段だった筈なのに。

世界時間門となれば、危機レベルが跳ね上がってしまう。その想定を出した時点で、リスクレベルを引き上げ、対応戦力も必要速度も切り換えなくてはならない。絶技戦レベルになったら、問答無用で先に勝たなくては。想定そのものが間違っていたとしたら、それはそれで不幸だけれども、思いつきで言ったことにせよ、その危険性に対処するにはどうしたらいいのか、そういう状況判断が出来ていないということが、一番問題かな。逆に言えば、対処方法が完璧であれば、そのシミュレーション結果は未然に防いだのと同等の効力を持つことになる。自分の発想に自分で責任を持つ、そういうこと。自戒の念も込めて。

だが、それでも避けられない危機はやってくる。世界線の移動は不利な属性を持つ存在にとって、正に絶望の状況を作り出すだろう。あらゆる可能性を排除して世界に殺されかかっているのに、個別対処で間に合わせるのには限界がある。だからこそ。

100年の平和とは、プレイヤーがアイドレスを離れて始めて達成されるものだ。災厄を狩る災厄、何もかも、自分自身をも殺して消えるもの。呼ばれなければならない災厄がそこにあるからこそ現れ、そして消えてゆく風の妖精。

水の塔は、死者の魂を次の世界へ送る場所だった筈だ。だからそこで歌を歌っていたことは、本来なら、葬送の儀式だ、邪魔をするべきことではなかった。そう正確に判断出来ていたならば。Bの人々が次の世界へと渡ったら、それは、Aに転生するのかな。でも、それが正しいか否かの判断が付かないなら、止めなくてはならなかった。正気に返る、その効力が正しく実行されていたのなら、別に悪意でも狂気でもない、至って正気、それでも、やらなくてはならないようなこと。むしろ、止めて欲しかった。ありがとう。しかたがないから。あの場所で歌うに相応しき者は。

ま、それはそれとして。歌合戦ね。世界と世界の狭間、沈黙の汀で、吾が女神に下手な歌を聞かせるなんて。冗談じゃないわよ。AとBだけを較べたら、確かに、どちらが先なのかの区別は付きにくいだろう。他の側面においてなら、自分と、プレイヤーやキャラを差別する意味は、私にはあんまりない。だからこそ、これまで私は無名世界において、攻撃の為の剣を抜いたことは、実際一度も無かったんだけどね。

神々の端女の列に連なるものとして。アトラハシスの祈りを穢し、命の歌を貶めることは、吾が許さない。例えそれが手段であったとしてもだ。

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