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2014年6月 8日 (日)

成層圏発見の日

***   瑠璃光の萌し 4   ***

「なんっ…。」
無意識に洩れてしまった自らの驚きの声に、はたと気が付いて、我に返ったスイトピーは激しく後悔した。会話の戦場においては、投げられた言葉にどんなリアクションを見せるのかもまた、互いの情報量を探る重要な手懸かりとなる。素直な驚愕を晒してしまうとは、こちらの弱みを自分で暴露したも同然だった。彼女としては失態としか言いようのない初歩的なミスに、油断したわっ、と脳裏で盛大な抗議を叩きつけてから、スイトピーは改めて目前の男の様子に目を走らせた。

格好の隙を見せてしまったにも関わらず、黒髪の男はそれに付け込んで畳みかけてくることもなく、大人しくスイトピーの言葉を待っている。だが、この殊勝な態度もまた、彼女の油断を誘う為の罠である可能性が高かった。実際、相当に剣呑な視線で睨んでしまっている自覚はあるものの、先程の繊細な反応とは打って変わって、男が動じる気配はまるで見られなかった。それどころか、無神経とも言えるようなにこやかな微笑を余裕で返してくるあたり、とても接遇応対を生業とするサービス業の人種とは思えない剛胆さである。

黒いスーツ、そう大ざっぱに判断した途端に、ろくに相手の顔さえ目に留めてはいなかったスイトピーだが、改めてその容姿を観察してみれば、男はひどく端正な顔立ちをしていた。中性的とも言えるような細身の身体で、すっと姿勢の良い立ち姿には、暗色の上下が良く似合っている。スイトピーのドレスコード感覚から言えば、黒いスーツなどというものはマナー違反でしかなかったが、今にして思うと、何の疑いも無く相手を誰かの差し金と信じ込んでしまったのは、その如何にもお仕着せのような黒のせいだろう。彼女達マワスプが無意識の内に陥っているような、外見で階級を判断し、差別する思考を逆手に取り、油断を誘うために敢えて選ばれたカムフラージュだとすれば、こちらの手の内を正確に読んで、攻略を仕組んでいると考えるべきかもしれなかった。

自分自身の容姿に余りに恵まれた反動からか、スイトピーは普段、あまり他人の見た目に興味がある方ではなかった。言ってしまえば、姿形など、いくらでも作り替えられる時代である。そういった見目麗しい姿によって上流階級に奉仕し、また取り入ろうとする人物は、それこそ掃いて捨てる程いることも、マワスプの彼女には当たり前の事実でしかなかった。しかし、切れ長の美しい眼の印象を和らげる目的でもあるかのような、縁の細い眼鏡が放つ光に、遅蒔きながら気が付いたスイトピーは、何時にない緊張を感じて冷たい息を吸い込んだ。夜明けの船ではあまりにも見慣れた東洋系の顔立ちに、もしかしたら、何処か気を許していたのかもしれない自分に、気が付いてしまったのだ。

とはいえ、腹の探り合い化かし合いの社交術の戦場においてなら、彼女もまた歴戦の猛者である。先手を譲られたことをこれ幸いとばかりに、スイトピーはわざと話題のポイントを巻き戻して、つけつけとした口調で反撃の口火を切った。
「わたくしの名前を知っていて、通りすがりにいきなり呼び止めた挙げ句に頼みがあるなどとおっしゃるんですの?」
「…そうですね、姫君に対する作法ではないことは、重々承知しているのですが。」
「礼儀知らずな真似と分かっていながら平然とやっておしまいになるような方に、何を頼まれる覚えもありませんわ。第一、そのはるかという方とわたくしとの間にどういう関係があると?」

多少強引であることは否めなかったが、はるかの名前が出るよりも前、相手が不作法な態度に出た時点で怒っているのだと論点をスライドさせ、情報を攪乱するつもりだった。自分のプライドを傷つけられた程度で冷静さを失う、何処にでもいる小娘程度に相手が解釈してくれたなら、適当にこちらのご機嫌を取りながら、さらに情報を探ろうとしてくるのではと踏んだのである。そのまま適当にバラ弾で足止めしながら、頃合いを見て離脱してしまうことも可能だろう。だが、一度は驚きの表情を見せてしまっている以上、相手がどの程度の情報を掴んでいるのか、それを確認せずに逃げられてしまうことも避けたいスイトピーは、大急ぎで情報の再検討をし始めていた。

現在の火星において、はるかの名前は、あらゆる意味で最重要機密に類する特ダネだった。希望号パイロットがどのような人物であるのかというネタは、街角で無責任に囁かれるゴシップ雀の格好の餌であると同時に、地球軍諜報部から、再起を企むマワスプまでの誰もが、喉から手が出るほど欲しがっている情報なのである。だが、はるかの名前を知っていることと、彼女のもう一つの名前を知っていることは、単純なイコールではない。その情報を探るために鎌を掛けた程度の相手なら、こちらがうっかりと乗せられてあまりに過敏な反応を見せれば、それに乗じて、さらに情報を掠めとっていこうとするに違いない。これ以上の情報を与えないよう対処しつつ、それと同時に、相手が何処までを知っているのか、どうやって情報を入手したのか、それを探らなければならなかった。

「……では、姫君は、この名前をご存じではないのですね。」
「さあ? 貴方の方こそご存じかどうか分かりませんけど、戦艦というものには、大変たくさんの乗員が必要なんですのよ。残念ながら、全ての部署の方のお名前を覚えているという訳ではありませんわ。」
これでパイロットというような単語が相手の口から出てくるのなら、どうにかしてこの人物を確保しなければと、スイトピーは姫君らしからぬ物騒な算段を、脳裏で組み立て始めた。背後の夜明けの船への入船ゲートまで、もう然したる距離は無いところまで来ている。この辺りで少し態度を緩めて、おびき寄せるべきかと考えたスイトピーに向かって、黒髪の男は、またしても予想外の言葉を投げ掛けた。

「…でも貴女は、はるかのことを守ろうとして下さっている。その貴女のお気持ちに心から感謝申し上げます、シンフォリカルプスの姫君。」
静かで柔らかなそのテノールの声に、とても演技とは思えない真摯な響きを聞き取ったスイトピーは、次の台詞を発しようとしたままで凍り付いてしまった唇を、慌てて引き結んだ。きゃんきゃんと騒ぎ立てて、相手を煙に巻こうとしていた自分の作戦が、急に莫迦らしくなってしまったのである。これが全て作り物だというのなら、大した役者という他はないが、少なくとも、場当たりな攪乱作戦に引っかかってくれるレベルの相手でないことだけは、確かのようだった。まるで、自分が出来の悪い生徒にでもなったような、常に無い居心地の悪さを感じながら、スイトピーは今度こそ慎重に言葉を選びながら、溜息交じりの言葉を継いだ。
「……貴方は、そのはるかという方の、何なのです。」

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