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2014年6月16日 (月)

無重力の日

 

***   瑠璃光の萌し 5   ***

 

スイトピーの言葉を聞いた男は、改めて彼女の目を覗き込むように視線を定めてから、笑みを深めた。黒髪に黒い瞳の、あまりに整い過ぎて冷たい印象を与えるその表情が、ふわりと緩み、優しい暖かさを漂わせる。不意を突かれたスイトピーは、反射的に息を飲んで、自分でも無意識の動きで視線を逸らせていた。すると彼は間髪を入れず、彼女の隙に滑り込むように気配無く数歩を進め、スイトピーへと歩み寄った。はたと気が付いて、慌てて視線を戻した瞬間に、男はぴたりとまた立ち止まり、そして、彼女が口を開く機先を制して話し始めた。

「それは少し、説明が難しいのですが。そうですね、遠い親戚というところでしょうか。」
「…ではその御親戚の方が、わたくしに一体何のご用なのかしら。」
「はい。伝言をお願いしたいのです、姫君。」
「いい加減なお話ね、親戚というのなら、直接連絡を取り合えば済むことでは?」
「確かに、普通ならそうだと思います。しかし、些か事情がありまして。はるかは、私の名前や顔を、覚えていないかもしれないのです。」
「……顔も覚えていないような遠い親戚が、いきなり現れて会いたいと。まるで説得力がありませんわね。」

相手の言葉を打ち返すように、てきぱきとした返答を返しながらも、内心でスイトピーは、戸惑いの気持ちを抑えられずにいた。こんな状況で話し掛けてきたからには、如何にも用意周到な筋書きが聞けるのかと思いきや、男が口にした台詞には、今のところまるで具体性が見当たらない。どこにもそこにもある、言い逃れの見本のような言葉を並べられたところで、とてもそんな内容を鵜呑みに出来る状況ではないのだ。いつもの彼女であれば、さっさと見切りを付け、次の行動へと検討を始めているところだろう。

だが、その理性の判断を裏切って、彼の言葉に嘘は無いと、自分自身の勘が脳裏で囁き続けていた。スイトピーは、相手の言葉の真贋を判断する己の第六感に、絶対の信頼を置いている。その自信は、交渉という戦場で戦う彼女が、これまで自分の運命を切り拓いてきた重要な武器のひとつでもあった。スイトピーにとってその勘は、簡単に無視出来るような軽々しいものではなかったし、その第一の難関を突破したと考えたからこそ、この男の話を聞いてもいいとそう判断したのである。にもかかわらず、自分の印象とは裏腹に、信用に値すると判断出来るような証言が相手の口から出て来なかったことの方が、むしろスイトピーにとっては、違和感であったと言ってもいい。こんな風に、己の勘と状況判断とが、全く食い違ってしまうというのは、彼女にとっては始めてのことだった。

この黒髪の男が、自分を納得させるだけの情報を提供しようとしないことに、何処か失望さえ感じている自分自身の気持ちに、スイトピーは何よりも困惑をぬぐい去れないでいた。現状の彼女にとって、唯一の安全地帯である夜明けの船には、確かに東洋系のクルーが多い。彼らに巡り会うまでは、あまり身近な存在ではなかった黒髪に黒い瞳が、今ではむしろ、火星の白い人々よりも余程安心出来る存在なのは、事実であるかもしれなかった。かといって、東洋系の人物に対して無差別に親近感を抱いているようなことがあるとすれば、スイトピーにとってそれは、自分で自分に釘を差さなければならない事態である。思わず、似たような背格好のマイトを思い浮かべ、似ているかしら、と考えてしまってから、スイトピーは自分のその思考を慌てて否定した。

「ええ、我ながら、怪しい話だということは重々承知しております。親戚筋と言っても、家同士の折り合いが悪く、はるかと会ったのは彼女が子供の頃のことで、それきり機会がありませんでしたので。」
「…ですから、御親戚の方であれば、多少の時間はかかっても身分の照会を取れば、何の問題もないと思いますけれど。夜明けの船に対してきちんと連絡を入れ、事情を説明すればよろしいのでは?」
「うーん、そうですね。例えば現状、夜明けの船に対し、外部の人間がいきなり正攻法ではるかと話がしたいと打診したら、果たして何が起こるでしょうね。」

変わらぬ愛想のいい表情を少しも崩さないままなのに、黒髪の男の視線に、探るように意味有り気な剣呑さがちらついた。黒い瞳の色が、さらに深みを増し、別人のような鋭利さを隠した威圧感を漂わせる。その視線と真っ直ぐに向かい合って、スイトピーは可愛らしい唇をきゅっと結びながら、自分の意識を醒まさせようと、呼吸を整えていた。この男は少なくとも、はるかという人物の秘密に関して、何らかの事実を嗅ぎ付けているのだろう、それは間違いない。だがこの会話の流れで、それをわざわざ自分から白状することに、メリットがあるとは思えなかった。これではまるで、自分が危険人物であることを喧伝しているようなものでしかない。

これだけ頭の切れそうな男が、交渉に当たって無意味なことをするとは、スイトピーにはとても思えなかった。確かに、身内しか知り得ない情報を持っているというのなら、それを証拠として、本当にこの男がはるかの知り合いだと考えることも、可能かもしれない。自分の手持ちの情報を自ら明かすことは、交渉のテーブルにおいては即ち、相手の信用を得るための取引でもある。だが、それでもなお、この男が何を目的としているのか、その核心部分は判然としなかった。彼が要求しているのは、はるかに会いたいということではなく、伝言を届けろという、余りに曖昧な依頼である。スイトピーは、混乱に形の良い眉をひそめながら、低く抑えた声を何とか絞り出した。

「……それはわたくしの知るところではありませんわね。でも少なくとも、火星独立が成った現在においても、夜明けの船に対する攻撃が払拭されているとは言い難いのです。それが誰であれ、乗員の身辺には相応の安全対策が取られるでしょう。」
「もちろん、それが正しい判断であると思います。ですから、こんな曖昧な情報だけで、不審者が面会を申し出たところで、要求は通らない、それも承知しております、姫君。」
「でしたら、わたくしが伝言を伝えるということに、意味があるとは思えませんわ。伝言など伝えたところで、そのはるかという方が貴方のことを思い出せなかったら、どうなさるおつもりなんですの?」
「…分からないというのなら、それまでのことです、姫君。」

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