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2015年1月 5日 (月)

囲碁の日

 

 

***   活色の航路11   ***

 

きょとんとしたエノラの声に対して、むしろそのことに驚いたとでも言いたげな、不思議そうな響きを含んだ土岐の言葉が返された。
「おや、ミズ・エノラは、桜の贈呈式でのおばあさまの逸話を、ご存じないのかな?」
「えっと、おばあちゃんが桜の女王を務めたことは、おじいちゃんから聞いたけど、私はその、おばあちゃんに会ったことがなくて…。」
「そうか、みんなはあの、世紀の名演説と謳われたスピーチを聞いたことがないんだね。以前なら両星友好関連の報道では、桜の女王アヤ・タフトの映像が定番のように流されていたんだが。残念ながら、地球と火星の仲が不穏になって以降は見掛けなくなったからな。」

昔を懐かしんで、そして惜しんでもいるような、何処か上の空な響きのにじむ土岐の声に導かれて、ヤガミの脳裏にもまた、柔らかくも芯の強い、高らかな女性の声の記憶が浮かび上がった。確かにそのスピーチは、何度となくヤガミも耳にした覚えがある。地球と火星との蜜月、互いに手を取り同胞として共通の敵と戦った時代の象徴は、火星独立軍の蜂起と同時に、すっかり置き去りにされて久しかった。それこそ世間から忘れられ、ひっそりと隠されていたからこそ、あの桜並木が排斥の槍玉に挙げられることもなく、無事に残ったというべきなのかもしれない。そこまでを考えて、ヤガミはふと、微妙な違和感に首を捻った。記憶力にはもちろん絶対の自信があるヤガミだったが、何かの整合性が、上手くかみ合わないような気がしたのだ。しかし、ヤガミがその違和感の手掛かりを捕まえる機先を制するように、土岐の声が続けられた。

「異なる文化圏同士の友好を訴える演説は、古来より数え切れない程存在するだろうが、その中でも出色の名演説と高い評価を得ていた。私も大好きなスピーチだったのでね、エノラ嬢の声を聴いてとても懐かしかったんだ。ミズ・エノラの声は、おばあさまにそっくりだね。」
「とっ、土岐、あの、あのですね…。」
珍しくも本気で慌てたはるかの声が響いて、ヤガミは完全に自分の考え事から引き戻された。エノラの出生に関する話題は、夜明けの船のクルーにとっては取り扱いに最も注意を要するデリケートな情報だった。そしてそれはまた、誘拐というイレギュラーな成り行きで火星独立戦線に彼女を巻き込んでしまった、クルー達の後ろめたさの表れでもあったのかもしれない。だが、そんなはるかの気遣いなど歯牙にもかけずに、土岐は自分のペースで話し続けた。

「いや、口さがないゴシップでは、下らないことをあれこれ言われたりもするんだろうが、そんなものを気にすることはないんだ。エノラ嬢は紛れもなく、あの桜の女王の資質を継いでいる、私が保証するよ。」
「んだよ、事情も知らないくせに、知った風なこと言うんじゃねーよ!」
「ちょっ、ちょっとタッキー、落ち着いて。」
案の定というべきか、食って掛かるようなタキガワの言葉がハンガーに大きく反響したのを聞いて、ヤガミは端末のシミュレーション画面から顔を上げ、むすりと口元を引き結びながら振り返った。

その視線の先に、懸命に宥める身振りのはるかとエノラを従えながら、タキガワが土岐の目前まで詰め寄っている姿が見える。だが、土岐の方はと言えば、タキガワの剣幕などさほど気にする様子も無く、寛いだ姿勢すら崩してはいない有様だった。彼の乗船以降、様々な意味でやきもきしていたのであろうタキガワが、エノラの為にここぞとばかり気負っているのは良く分かったが、この落ち着きぶりだけをとってみても、相手は数枚上手だと言わざるを得ないだろう。振り返ったヤガミに気が付き、ほっとしたような表情を見せるはるかに促されて、ヤガミは素早く身を翻し足早に彼等の元へと歩み寄った。

しかしそのヤガミに向かってさえ、土岐は大丈夫だとでも言うように、ちらりと笑みを含んだ余裕の視線を投げ掛けた。思わず、むっと口元をへの字に曲げたヤガミは、これではとてもタキガワの手には負えないだろうと内心で独りごちながら、低く押し超した声を上げた。
「…何の騒ぎだ。」
「えっと、ヤガミ、あのね…。」
「いや、お騒がせして申し訳ない。多少強引でも、こういうことは第三者がオブザーバーとして踏み込んでしまった方が、腹を割って話せるんじゃないかと思ったんだがね。」
「え? 土岐、あの…。」
「酷いな、はるか。センシティブな話題であることは、もちろん承知しているよ。確信が持てなかったらこんな話し方はしない。私の耳で聴いて同じ声だと言ってるんだ、分からないかな。」
「えっ、えーっ!? じゃあもしかして本当に…。」
「…内輪以外にも分かるように説明して頂けると有難いんだが。」

嬉しそうに頬を紅潮させながら、口元を綻ばせたはるかを横目で眺めながら、今度はヤガミが八つ当たり紛いの剣呑さで、土岐へと厳しい表情を向けた。自分が発端らしいことだけは分かっても、話の流れが見えていないらしいエノラが、不安げに視線を彷徨わせているのと、その傍らで忠実な番犬とばかりに仁王立ちになっているタキガワも目に入る。その二人の方へと、一瞬優しい視線を向けてから、にこやかな表情を少しも崩さないまま、土岐はヤガミへと向き直った。

「ふむ、分かってもらえるのかどうかは、やや難しいんだけどね。私の耳はちょっと特殊で、いわゆる非可聴域の波長を聴き分ける能力があるんだよ。我が家の家系に時々出現する、遺伝的特異体質のようなものらしい。タキガワ家が操縦技能で名を馳せているように、私の一族ではこの能力を生かして、代々一風変わった仕事をしている者が多いんだ。火星では能力者を起用して、水測という特殊部署が発達しているそうだね。私が空飛ぶ棺桶に詰め込まれたのは、エンジンの不調を音で聴き分けることが出来るからだった。それに、声紋分析による血縁判定というのも、得意技のひとつなんだよ。」
「血縁の判定?」
「そう、人の声というのは不思議なもので、声質も遺伝する。同年代になると親に声が似てくるというような話は、良く聞くんじゃないかな。言語や年齢で大きく変わってしまうので判別は難しいし、単純な遺伝情報として確定的に継承されるものではないから、必ず伝わるとは限らないんだけどね。だが、互いの声を聞いたことのない赤の他人が、ここまで同質の声を偶然に持つ確率はほとんど無い。ご不満なら、桜の女王の演説を探し出してMAKIに鑑定させてみればいい。」
「だが、しかし…。」
「うん、じゃあどうしてこんなややこしい話になったのか、ということだね。それについては、たぶん、シンフォリカルプスの姫君が理由をご存じなんじゃないかと思うよ。」
「……スイトピーが?」

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