« レポート・システム4 その壱 | トップページ | レポート・システム4 その参 »

2018年1月29日 (月)

レポート・システム4 その弐

つまるとこ、物理法則というのは、ひとつのテイストに過ぎない、個人的には。それが、ハードSFなのか、超高物理としてのサイエンスファンタジーなのかというのは、世界観のセレクトによるだけのことだ。既にデータとして見えているように、便利をお手軽に求めようとした高物理が爆発するのなんて火を見るよりも明らかだろうし、それはご都合主義の権化でしかない、まんがチック現実継ぎ接ぎファンタジーでも、確率的には変わらないんじゃないの。

じゃあ、低物理は時代が進んだら、現実的世界観に駆逐されなくてはならないのか、というのが、どうしても納得いかない、私は。超高物理のファンタジーは存在し得るだろう、ていうか、私にはどうしてその方向性が開拓されないのかの方が、不思議だ、正直。

こんなに、サイエンスが不可思議な時代なのにね。魔術師たるもの、量子論の思考実験ぐらいは一般常識だろうとか、そういう世界観は、有って然るべきだと思うんだがな。だから、魔術師に、物理や化学の教科書を与えたらどうなるのかってのは、面白いんじゃないかとは、思うよ、もちろん、超危険だけれども、と思いながらも。

どうも、世界を破壊するからくりが一方的に存在する感覚って、よく分からない、それこそ、中二病的な、自分の自我世界が、他者の客観的世界の巨大さに比べて、如何に脆弱であるのかに気が付き始めたような青さでしかない気がするんだけど。

世界はいつも残虐で無残で、その全てを払拭するに匹敵するほど限りなく神聖で美しい。そのダイナミズムの脅威を考えたら、滅びるばっかりの世界なんて、とっても狭い気がしてならないんだがな。

じゃあ、それを作品にするにあたって、綺麗なCGを描いたら、それで納得されるのかという話だ。テイストやトーンを構築するために必要なテクニックというのはもちろん存在するけれども、テクニックのみを売りとするのか、中身も整合性を確保するのかというのは、作品構築の戦略となるべきかと思う。

正直、中身との整合性が存在しなくても、物語作品が成立するというのは、私にだって良く分かっている。良くできたピタゴラスイッチは十二分にエンターテイメントとして通用するだろう。偶然に大きく左右されるスポーツの面白さとか、それそのものが楽しいと感じる主眼であることを否定するつもりは全くない。美学だけをクローズアップするのなら、滅びの物語だって、お涙頂戴だって、ギャグ次元な世界観だって、それはテイストのセレクトとして優劣を付けられるようなものではない。そんなことを云えるほど、自分が偉いなんて毛頭考えてない。

だが、それが何かと戦うべく戦略として構築された物語であるのなら、それだけでは勝てない、再三指摘しているように。

んで。現状私が選択している物語戦略も、現実世界の物理法則に依存している形で構築しているという意味では、同様のレベルだと思ってる。部分部分で拡張物理を導入してはいるけれども、全部を還元するような規模で抜本的に再構築するというのは、なかなかに難しいよなと。全ての背後に理力が存在する、そういう世界のテイストやトーンが、どのようになるのかということだよね。

どうでもいい寄り道だけど。日本のエネルギー戦略は、現状戦術の延長線上に、無理難題な目標を掲げようとして、だから、異次元になっちゃうんだな。目標値の定規を異次元に伸ばすようなパッチワークじゃなくて、抜本的な改革ってのは、現状の破壊から始まるんでないのか。ていう方法論としての終末には、私も否定のしようがない程度に同意するんだがね。

てのは、措いとくが。

でかいシステムで全体を一緒というのが非効率なので、小規模グリッド分割による最適化へと構造転換をする、しかも国家エネルギーシステムを、ってのは、壮大な着眼点だな。でも、この方向性は、様々な分野で同時に進行している現象でもある、エネルギーシステムだけが特別ということでもないのだろう。というのをだ、物語戦略に導入するとして。

物語システム特有の課題、特に日本における特異な障害がちっとも考慮されないまま、形だけ導入しようとしたって、それはやっぱ無理だろう。

|

« レポート・システム4 その壱 | トップページ | レポート・システム4 その参 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: レポート・システム4 その弐:

« レポート・システム4 その壱 | トップページ | レポート・システム4 その参 »