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宇宙病対策プロジェクト

  • 「宇宙」開発の時代

私たちの満天星国は、T13において宇宙開発拠点コスモスを建造し、広大な宇宙進出への第一歩を踏み出しました。宇宙空間とは、母なるテラの地で過ごす日常と何もかもが異なっている世界です。惑星重力に縛られない無重量空間には、空と大地、上と下の感覚はなく、地表を覆い守る大気もありません。惑星上という重力の底で暮らす私達が日常目にしている”当たり前”が通用しない世界、それが宇宙空間です。

しかし、実際にコスモスからその宇宙の闇を眺めれば、過酷な宇宙空間こそが、銀河系宇宙という世界の基準においては”一般”であり、むしろ私たちの日常は、奇跡的に”特殊”な命の故郷なのであるという事実が浮かび上がってくるでしょう。母なるテラに守られた小さな命でしかない私たちが、広大な宇宙空間に挑むこと、それは大変困難な冒険であり、私たちはまだそのほんの入り口に立ったに過ぎないのです。

そして一方で、宇宙空間はその過酷さが示す通り、巨大なエネルギーの世界でもあります。コスモスが研究する宇宙空間での太陽光発電システム”満天陽プロジェクト”によって、宇宙空間からほんの少しの光を分けて貰うだけでも、我々には莫大なエネルギーの恩恵となります。また、重力空間という特殊環境に生きる私たちにとって、無重量空間における様々な物理化学現象を探求することは、未知の科学分野の扉をも開く新たな一歩となるでしょう。

  • 宇宙病の定義

このような理念を掲げて出発した満天星国の宇宙開発は、T16、新たな難問と直面することになりました。コスモスを中心とする宇宙開発に携わる人々の間で、ある病が密かに進行していたのです。それは”宇宙病”と総称されました。その命名に象徴されるように、宇宙空間の長期滞在者を中心に発生した疾患は、現在では宇宙での強力な放射線被曝を原因とする症候群であることが判明しています。放射線被曝による健康被害では、大量の放射線を一度に浴びたことによって、直ぐに症状が現れる急性疾患だけではなく、もっと発見や対処の難しい症状が現れます。宇宙病被害者の大半を占めるのは、遺伝子損傷による生殖障害の症状です。

  • 放射線とは

宇宙空間を自在に飛び交うエネルギーのひとつに、放射線があります。放射線には多くの種類が存在しますが、中でも高い電離作用を持つものは、特に電離放射線と呼ばれています。電離作用とは、原子との衝突の際、原子内の軌道電子をはじき飛ばして、原子を陽イオンと電子に分離してしまう作用のことで、このような電離を起こす高いエネルギーをもっているものを、電離放射線として区別しているのです。電離放射線には、アルファ線、ベータ線、中性子線といった粒子線と、ガンマ線やエックス線のような電磁波が含まれています。一般的に放射線という言葉は、この電離放射線を指して使われています。

この放射線の大きな特徴のひとつは、ある原子が別の原子へと変化する”原子核分裂”や”核融合”の際、または原子のエネルギーレベルの変化によって放出されるという点です。小さな一つの原子であっても、アインシュタインの相対性理論、”質量とエネルギーの等価性”に従ってその質量が変換されたエネルギー量は、強大なものになります。

  • 宇宙放射線の種類

コスモス周辺の宇宙空間で観測される宇宙放射線の代表的なものは、太陽から生み出される太陽風です。太陽風のほとんどは陽子、プロトンと呼ばれる水素原子核で、次いでアルファ粒子が多く、重粒子なども含まれています。太陽風は太陽表面の外側、太陽大気の外層であるコロナを飛び交うプラズマが、太陽の重力を振り切って外の空間へと高速で吹き出している姿です。また、太陽表面の黒点付近で、太陽フレアと呼ばれる大爆発が起きる際には、電波やエックス線、電子や陽子等の素粒子が、さらに大量に飛び出してきます。これら太陽の核融合反応によって発生する粒子線や電磁波は、同じく電磁波である可視光線のように人間の眼で見ることは出来ません。しかし太陽からもたらされる放射線は、光と同じように絶えずテラの周囲に降り注いでいます。

また、もっと遠大な距離を旅して太陽系へとやってくる放射線もあります。星々の生成と消滅、超新星爆発等に伴って放出される銀河放射線です。外宇宙での巨大なエネルギー反応によって発生するこの放射線もまた、ほとんどが陽子と重粒子で占められており、残りは電子と陽電子です。この銀河放射線が宇宙放射線に占める割合は小さいものの、強力なエネルギーを持っているために、生物学的にはより深刻な被曝障害を引き起こします。銀河宇宙線は太陽風によって遮られていると考えられ、テラ周辺の宇宙空間で観測される銀河宇宙線は、太陽活動が盛んな時期に小さくなり、逆に太陽活動が小さくなる時期に最大になるという特徴を持っています。

このような宇宙放射線の内、陽子や中性子などの粒子が正体である粒子線は、テラの惑星磁場に捉えられ、惑星周囲の宇宙空間に長く留まっているという場合もあります。このような放射線は捕捉粒子線と呼ばれています。太陽風がテラの磁気圏と衝突する姿は、極北の夜空を彩るオーロラとして観測されます。宇宙を飛び交う放射線の大半は、このように惑星磁場やテラの大気に阻まれていますが、その一部は大気の内部へと侵入しているため、例えば航空機のパイロット等、大気の薄い高高度に滞在する時間の長い場合には、地表に暮らす人々よりもたくさんの放射線を身体に受けています。また、太陽フレアの発生など、通常よりも大量の放射線がテラに吹き寄せて大気圏内に侵入する時には、大規模な磁気嵐が引き起こされ、通信障害や電波障害、珍しいケースでは発電所からの送電網の障害等の原因となります。

  • 放射線の透過能力

放射線のもうひとつの大きな特徴は、高い透過能力、特定の物質以外は通り抜けてしまう性質を持つという点です。放射線の透過能力は、その種類によって大きく異なっています。アルファ線は紙一枚程度で遮蔽することが出来ますが、ガンマ線は厚さ30センチのコンクリートや、鉛でも10センチの厚さが無ければ遮蔽することが出来ません。最も透過能力が高い中性子線になると、水または分厚いコンクリート、正確にはそれらに含まれる水素原子でやっと遮蔽することが出来ます。このような放射線の透過能力を利用し、私たちの良く知っている健康診断でのX線撮影や、物質の形を保ったままでその内部を透視する非破壊試験、身近な例では手荷物検査等が行われているのです。

コスモスのように宇宙空間での長期滞在が可能な施設では、こうした放射線の透過能力に対して、充分な対策が必要になります。満天星国のコスモスにおいても、水による遮蔽に加え、コンクリートと鉛を貼り合わせた防護壁が設置されています。またこうした遮蔽材料の劣化や、元々は放射線を発する能力を持たない安定した遮蔽材料が、一定以上の放射線を受けたことによって放射性物資に変化してしまう放射化の対策として、遮蔽物の交換や処理も定期的に行われています。これに加えて、太陽フレアの発生等、宇宙放射線や荷電粒子の急激な増加に備えて、一時避難用のシェルターやメディカルルームの設置、宇宙空間の様々な観測データの蓄積を元に、宇宙の天候変化を予測する”宇宙天気予報”技術の整備も進んでいます。

そしてもうひとつ、このような放射線の透過能力は生物に向けられた時に、難しい問題を引き起こします。高い電離作用のエネルギーを持つ放射線は、生物を透過する際に、その体表だけでなく、体内組織のさらに内側、微細な細胞内部の中心に存在する細胞核に守られているDNAを、直接損傷してしまうという厄介な性質を持っているのです。

  • DNAとは

DNAとはデオキシリボ核酸の略称です。生物の細胞が細胞分裂を起こす際には、分裂後の細胞に元の細胞と同じ形質を伝達するための構造体、染色体が見えるようになります。この染色体の重要成分がDNAです。DNAは4種類の塩基が規則正しく並んだ二重らせんのひも状構造をしていて、通常は細胞核内に小さく折りたたまれています。このようなDNAの基本的な化学構造は、動物や植物、細菌に至るまであらゆる生物に共通するものです。にもかかわらず、生物が親から子へ、細胞から分裂後の細胞へとそれぞれ特有の形質を伝えていくことが出来るのは、このDNAを構成する基本単位が、どのような順序で並んでいるのか、その配列が暗号のように情報を伝達しているからです。DNAとは、DNAからこの配列を複製したRNAと共に働いて、生物の種や身体の組織に固有のタンパク質生合成を支配し、生物を組み立てて動かしていく、いわば生物の設計図です。そしてこのように、親から子へ、細胞から分裂後の細胞へと、次世代に身体の形や色などの形質が伝わっていくことを、遺伝と呼びます。

  • DNAの変異と修復

DNAはこのように次世代へと遺伝情報を複製して伝達していくのと同時に、少しずつ変化していく性質も持っています。私たちの身体の細胞内では、実はDNAの変異が日常的に起こっているのです。DNAの変異は主に、細胞分裂の前後で複製の間違いが起こる複製ミスと、様々な要因によって生じたDNAの損傷が、修復しきれずに残ってしまう修復ミスの場合があります。DNAのこのような変異の発生に対して、それを修復する働きもまた、私たちの細胞内に存在しています。DNAに並んでいる塩基配列全体を”ゲノム”と呼びますが、例えばヒトのゲノムは、30億個もの塩基の対によって記述されています。たったひとつの細胞である受精卵は、この30億個の遺伝配列を複製しながら分裂し、同じDNAを持つ約60兆個の細胞に成長してヒトの身体を形作るのです。DNAを合成する酵素であるDNAポリメラーゼには、このような複製の際に、同時にDNAの間違いを探知して除去する能力が備わっています。この酵素が見逃した変異や、後から生じた傷については、他のタンパク質が協力しあって除去し、ペアのうち片方のDNAの構造が残っている場合は、それを元に正しい塩基をつないで修復が行われます。DNAが二重らせん構造をしているのは、こうした修復がしやすいからであるとも言われています。

しかしこのような能力でも、修復しきれない損傷もあります。DNAの変異は、私たちが摂取する食品や薬に含まれている化学物質の影響や、紫外線により塩基同士がくっついて歪んでしまう場合、体内で発生する活性酸素がDNAのひもを切断してしまう場合など、様々な要因で発生します。放射線が当たった時にも、その電離作用によって活性酸素が発生し、DNAを切断してしまうことがあります。放射線によってはじき飛ばされた電子自体がDNAを切断することも、放射線そのものが損傷を与えることもあります。大量の放射線を被曝し、生体内の広い範囲にDNAの損傷がたくさん発生した場合等には、その全てを修復するのはかなり困難になります。DNAの変異が修復されないまま細胞が分裂すると、正しい複製と分裂が行われなかったり、変異した細胞が次々と増殖してしまいます。これを防ぐため、細胞分裂の前には様々なタンパク質による数段階のチェックが働きます。この時に大きなDNAの損傷が見付かれば、細胞は分裂を止めてDNAの修復を始めますが、損傷が大きく修復が出来ない場合には、その細胞内で細胞自身の破壊を始める反応も存在します。

とはいえ、こうした修復のためのタンパク質生合成もまた、DNAに記述された情報である以上、細胞分裂を止めたり、必要に応じて自殺をさせる能力を制御する部分にも、損傷の及ぶことがあります。変異が起こった細胞の分裂を止める機能に支障があると、細胞はそのまま増え続け、変異を蓄積していきます。その結果、生命を保つための細胞全体の秩序を守って増えていくことが出来ない、”がん細胞”になるのです。また、親から子へと遺伝情報を伝えていく生殖細胞に、このようなDNAの損傷が発生している場合には、親とは異なった形質が子孫に発現する遺伝的影響や、さらに深刻な場合には、細胞の発育や増殖そのものの障害のために、子供として誕生することが出来ない生殖障害の原因となってしまいます。

  • ”ゲノミクス”から”プロテオミクス”へ

DNAに記述された塩基配列、4種類の塩基の並び順は”ゲノム”と呼ばれています。同じ種の生物であれば、基本的にはほぼ同じゲノムを持っていますが、厳密には個体ごとにそれぞれ少しずつ異なっており、その差が個々の特徴という微妙な違いになって現れてきます。このゲノムに記述された情報の中でも最も重要なのは、タンパク質の設計情報です。生物体の主要な構成要素であるタンパク質は、非常に複雑な構造を持つ有機化合物で、このタンパク質を作るための塩基配列情報が、厳密には”遺伝子”と呼ばれています。長い長いゲノムの内でも、実際にタンパク質のアミノ酸配列に使われる遺伝子は、ごくわずかな部分に過ぎません。30億個のヒトゲノムに含まれる遺伝子は、2万数千個であると言われています。

この遺伝子の情報に従って合成されるタンパク質は、遺伝子の数を大きく上回り、10万から50万の種類が存在すると試算されています。細胞や体組織を形成するもの、体内で様々な酵素反応を起こすもの、筋肉を動かしたり、神経系の情報伝達を行ったり、生体内のエネルギー合成を行ったり、ありとあらゆる生命活動がタンパク質によって行われ、その働きに特化した合成が行われます。2万数千個の遺伝子からその何倍もの種類のタンパク質を合成することが出来るのは、一つの遺伝子から複数のタンパク質が合成される場合があるなど、生合成が大変複雑なステップを踏んで行われているからです。またタンパク質そのものも、基本的原子組成が同じであっても、その配列や三次元的形状によって、生体内では全く異なった性質を示すという特徴を持っています。この複雑な構造を、正確に組み立てるタンパク質生合成は、非常に精密な分子工場のように働いています。このように生命体の活動は、DNAとその情報を転写したRNA、そのRNAが合成するタンパク質とが密接に連携し合い、まるで歯車のように精密に互いを支えながら維持されているのです。タンパク質が生物の体内でどのように作り出されているのか、そのしくみを探求する学問分野は、”プロテオミクス”と呼ばれています。

DNAの損傷は、生命体が自己の同一性を保ちつつ生存していくためのしくみにとって、重大な危機となります。しかし私たちの体内には、それを修復するための何種類ものタンパク質を作り出すしくみもまた、予め備わっているのです。DNAは生命の設計図ではあり、この設計図の記述内容である塩基配列の解読は急速に進んでいます。しかし実際のその設計図の使い方、遺伝子からタンパク質を合成するリアルタイムの働きに対する暗号解読は、まだ始まったばかりです。変異を蓄積した細胞のがん化や、生殖障害、様々な先天的疾患といった、現代の医学では治療が困難であるとされる疾患についても、その新しい治療薬は、私たちが元々持っているDNAの中から解読されるかもしれません。

  • もう一度、”宇宙病”とは何か

宇宙病とは、宇宙空間における強力な宇宙放射線の被曝による健康被害の総称です。放射線被曝は直接的な急性症状だけではなく、その電離作用と透過能力によって体内のDNAを損傷するために、症状の本質を捉えにくい様々な症候群となって現れます。特に対処が難しいのは、次世代への生殖的遺伝的影響や、経年発症を含むがんの発生率増加です。また、このように原因と症状とが結びつきにくい疾患においては、疾患の発見や治療を容易にする治療環境の整備も併せて必要になります。

こうした困難な問題を抱える宇宙病対策ですが、被曝線量の低減を目指した施設改善や線量管理といった予防策が功を奏し、患者数は減少しつつあります。今後は対処の最も難しい、DNA損傷を原因とする症状の治療法が求められることとなるでしょう。DNAの遺伝情報を解読しつつあるゲノミクス、さらにはその遺伝子発現とタンパク質制御のしくみを探求するプロテオミクスが、今後の治療法発見につながる研究として期待されています。

一方でこのようなDNAの変異と修復は、様々な要因によって今後も引き起こされる可能性をはらんでいる、生命の本質的な危機とその対処の機構であるとも言えます。DNAの変異は生物種の進化の基本的なしくみであり、生物が多様性を持って、様々な環境に適応し生存し続けるために必要不可欠な機能でもあります。変わり続けることこそが、どんな環境にも適応する生命の柔軟性を支えているのです。生物の設計図とその発現に関する暗号は、これからも飽くなき解読の探求が進められていくに違いありません。

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