赤い三角形
夕べははあいにくの曇り空でしたが、2年2ヶ月ぶり、火星最接近の日だそうですね。2003年、2005年の時よりは、ちょっと距離があるとのことですけど。
そしてもうしばらくの間、オリオン座ベテルギウス、おうし座アルデバラン、そして火星という赤い星が、天空に三角形を描いているのが見られるのだそうな。絢爛舞踏な夜ですねい。
既に何度目かになる被弾の鈍い振動に、タキガワは思わず首をすくめた。第一種アラートの赤い光に席捲されたハンガー内を、死に物狂いの整備員達が駆けずり回っている。辛うじて致命的な損害を出すには到っていない夜明けの船だが、徐々に被弾の間隔が短くなっているのを、乗組員の誰もが感じ取り、戦況は明らかにぎりぎりの瀬戸際を呈していた。
夜明けの船の形勢が苦境に追い込まれたのは、あっという間のことだった。各派遣軍の連携が取れ始め、海域に一定以上の戦力が投入されるようになると、神出鬼没のゲリラ戦が困難になってしまったのだ。激戦が続けば、物資の補給を頻繁に行わざるを得ない。その都市船の入出港を狙われ、足止めを喰らっている間に増援に包囲される。子供でも分かる、絵に描いたような旗色の悪さであった。
今も追いすがる敵艦隊を振り切ることが出来ず、距離が遠いとはいえ射程圏内に捉えられたままの逃走劇真っ只中だった。夜明けの船の速度を武器に逃げ惑う最中では、おいそれとRBを出撃させる訳にもいかず、パイロット達は重苦しい緊張と戦いながら、赤く染められたハンガーに閉じこもっているしかなかった。
「……あの、どう、なるんでしょうか。」
飛行隊に呼び戻されたイイコが、震える声で話しかけてくる。そんなことを俺に聞くなと頭の中でわめいてから、タキガワはまるで違うセリフを、何とか口から絞り出すのに成功した。
「ヤガミと艦長が結論出すまで、俺たちは待機してるしかねえ。せいぜいリラックスしておくようにしようぜ。」
タキガワの必死の虚勢に、イイコはあまり上手くいっていないとはいえ、何とか弱々しい笑顔を返した。
ここまで追い込まれてしまっては、夜明けの船に残された選択肢は幾つもない。このまま何とか敵を振り切るか、一か八かの勝負に出て、飛行隊を展開して血路を開くぐらいしか残されてはいないだろう。その決断をエリザベスが下したなら、ヤガミがそれを艦橋から持ちかえってくる筈だった。そして二人は示し合わせたように、もう一人のパイロットへと同時に視線を投げかけた。その二人のすがるような視線の先で、はるかはコックピットに乗り込むでもなく、RBの縁に腰掛けて、ぼんやりと宙を眺めていた。
頼みの綱のはるかの様子が、このところしばらくおかしいのだ。そのことがパイロット達は言うに及ばず、ハンガー内の誰をも、そしておそらくは夜明けの船のメンバーのほとんどに、さらなるプレッシャーとして圧し掛かっていた。これまでのはるかなら、こんな緊張状態でも驚くべきマイペースを崩すことなく、周囲を和ませ盛り上げるのが常だった。だが最近のはるかは、誰とも口をきかずに、一人でいることが多かった。希望号のそばでぼうっとしている時間があまりに長く、体調を心配するタキガワの言葉にも、生返事で取り合わない。その上ヤガミもまた、一向にハンガーに姿を現すことなく、妙にがむしゃらに仕事をこなしては、倒れて医務室に運ばれているような有様だった。
その時、一際大きな振動が艦内を揺るがせた。立ってはいられないほどの揺れに反射的に腰をかがめたクルー達の頭上へと、内壁の破片がばらばらと落ちてくる。小さく悲鳴を上げて頭を抱え込んだイイコの上に、タキガワが覆いかぶさった瞬間だった。
そのさらに上に、細くしなやかな腕が伸び、二人の身体をまとめて抱き締めた。機械義体のパワーを絶妙にコントロールして、それでもしっかりと力いっぱい二人を抱いて、艦の揺れが収まるのを待っている。イイコとタキガワが何とか平静を取り戻して立ち上がると、いつもと変わらないはるかの優しい笑顔が、それを迎えた。
「二人とも、怪我は無い?」
「ウィッカ!」
「ウィッカさん、あ、あの……」
驚きと安堵に声を上げる二人に、アラートの赤い光にはまるで不似合いな静かな笑顔を見せると、はるかはもう一度腕を伸ばして二人を抱き締めた。そして唐突に手を離すと、そのままくるりと二人に背を向け、歩き出した。呆気に取られたイイコとタキガワを余所に、浮き足立っている整備員に檄を飛ばすニャンコポンに話しかける。
「ニャンコポン、お願いがあるんだけど。」
「……何?」
あまりにもあっけらかんとしたはるかの口調に、対照的に探るような表情のニャンコポンが慎重に返事を返す。久しぶりに元気そうなはるかの声に気が付いて、エノラが駆け寄ってくると、また唐突にはるかはエノラを掴まえて抱き締めた。
「ええっ、ちょっと、ウィッカどうしたの?」
「あのね、ニャンコポン。希望号単独で出るから、それ以外のRB装備は全部外して再出撃の待機に回して欲しいんだけど。」
「ウィッカ!? 何言ってんだよ!!」
「そ、そうよ絶対駄目よそんなのっ! み、認めませんっ!!」
逆上して文句を言い立てまとわりついてくる若手達を余裕でさばきながら、はるかはじっとニャンコポンを見つめ、それから上機嫌というしかない場違いな笑顔を見せた。
「大丈夫よ、別に特攻とか考えてないし。ちゃんと戻ってくるから再出撃の準備をしておいてねって、言ってるのよ。三、四回連続になるかもね。お願い、貴女にしか頼めないの、ニャンコポン。」
何かを言おうとして口を開きかけたニャンコポンは、だがその言葉を諦め、小さなため息をついた。そして不意に、今度はニャンコポンが腕を伸ばして、はるかを抱き締める。
「…貸しにしておくわ。」
「んー、じゃあ戻ってきたら、マッサージでも、手作り料理でも。」
にこにこと笑顔を崩さないはるかは、まるで都市船に買い物へでも行くような口調で答えると、素早く踵を返して希望号に歩み寄った。一瞬遅れたタキガワが、掴まえようと伸ばした手を風のようにかわして、ひらりとコックピットに滑り込む。閉まるハッチを身を挺して阻止しようとしたタキガワを、だが背後から伸びた腕が引き留めた。
「邪魔をするな。」
「ヤガミっ、何言ってんだ、離せ! 離せよっ!!」
はるかがヤガミの姿に気が付いて、にやりと猫のような笑みを向け、ラフな敬礼を投げる。それをヤガミが眉ひとつ動かすことなく無表情に見つめ返すのを見て、ほんの刹那、はるかは不思議に透明な夢見るような笑顔を見せた。その笑顔がハッチの向こうに消えるまで、瞬間の出来事だった。
「冗談じゃねぇっ! MAKI、出撃させるな!!」
「無駄だ、タキガワ。あれを止めることは、誰にも出来やしない。」
そのヤガミの言葉を証明するかのように、すぐさま希望号は射出されてゆく。拳を握り締めて怒りに身を震わせていたタキガワが、いきなり身を翻すのを、予想していたかのようなヤガミの腕が再び抑えこんだ。
「離せよ、ヤガミ、俺も出るっ!!」
「…邪魔をするなと言ってるんだ。はるかの足手まといになるつもりか。」
「頭おかしくなったのかよ、ヤガミ。いくらウィッカだって、こんな状況で戦える訳ねぇじゃねぇか!!」
いつもにも増して仏頂面のヤガミは、じろりとタキガワを睨みつけた。だがその視線に怯みもせずに、真っ向からタキガワが睨み返すのを見て、ヤガミは何かを堪えるようにしわがれた声で、MAKIに命を下した。
「……MAKI、希望号の戦果を逐一艦内に放送しろ。」
「はい。希望号はまもなく敵艦隊を射程に捉えます。」
その場にいた誰もが、命じた当のヤガミですらも予想外の速さに眼を瞠った。だが間髪を入れず、高らかにMAKIはさらにその続きを夜明けの船の内部に鳴り響かせた。
「希望号、シールド突撃にて中型艦を撃破。」
「…え、んな馬鹿な、接触していきなり…」
己の耳を疑ったのはタキガワだけでない。誰もが宙を振り仰いだ。だが放送はまだ立て続けに繰り返されてゆく。
「続いて希望号、剣鈴にて小型艦撃破。シールド突撃にて、中型艦を撃破。」
よどみなく続くMAKIの放送に、タキガワは呆然と立ち尽くした。その場にいた皆が一様に、混乱して同じく目に見えて当惑しているのは、実に奇妙な光景だった。その間にも流れるように滑らかに、MAKIの実況ははるかの戦果を並べ続ける。それが冗談でも間違いでもなく、自分たちの苦境にもたらされた紛れもない奇跡であることを認識するのに、誰もが、酷く苦労する羽目になった。
ヤガミは、追い詰められた緊張から解き放たれ、ゆっくりとハンガー内に勢いが戻ってくるのを、苦々しく眺めていた。これまでのはるかの戦績はもちろん驚異的ではあったが、これほどまでに示威的な、容赦のない戦い方をしたことはなかったのだ。今頃敵艦隊の作戦司令部は、悪夢の侵略を目の当たりにして、パニック状態に陥っていることだろう。
そしてそれと同じように、絶大な戦闘能力に対する本能的恐怖は、おそらく夜明けの船をもじわじわと浸食していくであろうことは、目に見えていた。
「タキガワ、飛行隊長席の戦況情報の閲覧を許可してやる。お前もパイロットなら、今何が起こっているのか自分の眼で確かめて来い。」
タキガワはヤガミの言葉にはっと我に返ると、勢いよくハンガーを飛び出してゆく。その後を追って、ヤガミは重い足取りで歩き始めた。おそらく艦橋では、この悪夢の戦場をダイレクトに観測する不運に見舞われた水測のミズキあたりが、蒼白になっていることだろう。
そのヤガミの隣にすっとニャンコポンが並んで、囁くように話しかけた。
「決戦存在の覚醒、という訳ね。」
「…遅過ぎたぐらいだがな。」
それは半ば言い訳であり、半ば自分に対する皮肉でもあった。計算外にこれほど長い穏やかな時間を共に過ごさなければ、はるかに対して、こんなにも深く想い入れることにはならなかったのかもしれない。だが自分の気持ちの中をどこを探してみても、これがもっと遅かったならと願っている本音がじわりとにじみ出て、打算的な想定を喰らい尽くしてゆくのだ。
「……貴方相変わらず、自分のことには鈍い。」
「…何だと?」
「彼女がここまで、一体誰のために、日常という城を守り続けてきたと思ってるの?」
予想もしなかったニャンコポンの言葉に、ヤガミはその場で立ち尽くした。遅れたヤガミを振り返り、凍るように冷たい視線を投げかけると、ニャンコポンはふと、どこか寂しい笑顔を見せ、さらに追い討ちをかけた。
「無くしてから嘆いても、遅いわよ。」
五回にも及ぶ再出撃を繰り返し、丸一日を超える死闘を勝ち抜いたはるかは、夜明けの船を包囲していた敵艦隊全てを飲み込んで勝利をもぎ取った。
薄くベールのように澱んだ畏怖と共に、その帰還を遠巻きに出迎えた仲間たちの目の前で、はるかは意識を失うと、そのまま医務室へと運び込まれることとなった。
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