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2008年2月15日 (金)

白羽の矢

 

 

***  荒野の羊   ***

 

ヤガミが立ち去り、ひっそりと静まり返った部屋の中で。

太陽が沈んで世界に満ちてくる漆黒の闇を拒み、天空の星が音も無く輝き始めるように、はるかは独り、ゆっくりとその瞳を開いた。高熱を発していた機械義体は過負荷から脱して正常な制御を取り戻し、呼吸も脈拍も急速に標準域に戻りつつあった。
ヤガミを欺いていたという訳ではない。ヤガミの選択が、はるかを呼び戻したのだ。

どんなに精巧に組み上げようとも、システムが目的のために設計される機械義体では、人体と同等の情報処理が行える訳ではない。目的とする動作結果を実現するためだけに特化されたシステムは、同時に硬直化し、予め計算され単純化された以外の要求に対してほとんど無力になってしまうからだった。
それとは対照的に、人体とは駆動装置であると同時に、それ全体がひとつの記憶装置でもあるという極めて柔軟な複雑さを持っている。各器官がそれぞれの経験値を、電気信号から化学反応に至るまでの様々な形で保持し、情報全体の制御処理を脳神経系が行うことで、動作と情報記録とを同時に実行し、さらに状況に対応する予測までを実現するシステムは、人体の神秘そのものなのだ。それによって人体は驚異的な大量情報蓄積を可能とし、人間の勘と呼ばれるものは、その集大成の発現だった。

機械義体に人体と同じ情報を、しかも未来予測が可能なほどの大量の情報をそのまま処理させようとしても、オーバーフローを引き起こすだけになってしまう。それがはるかの不調の原因だった。未来を掴み取ろうとする人間の勘を、機械義体に実行させるにはどうしたらいいのか、それをはるかは模索し続けていた。
機械義体にも対応可能な、要求する結果を得るために必要な情報だけに限定した入力をする、それはつまり、望む未来の結果から逆算した情報を、時の流れを行き来して用意するということに他ならない。だがこんなことは、この世界の法則の内側では在り得ない、また在ってはならない許されざるものでしかない。

いずれ世界は己の秩序を守るため、そのイレギュラーを排除することになるだろう。それはまるで、母がその手に抱いた幼子を守るために、炎の苛烈さで戦うような容赦のない攻撃となる。自分の想いとどこか似ているその激しさを、はるかは知っているような気がした。世界の秩序がはるかを敵として認識するまで、さほど時間はかからない、それがはるかにはよく分かっていた。

それでも、戦わねばならないものがここに存在する。それ故、はるかはこの場所へと立ち戻ることを選択したのだ。

もう、ヤガミがここに来ることはないだろう、そうはるかは思った。
世界の理を読み解き、隠された法則を組上げることで、魔術師達はさも在り得ないように見えるにもかかわらず、逆に当然至極の事象を操ってゆく。それは科学と呼ばれる人知の領域より、さらに外側に広がる万物の法則の視座だった。
その魔術師が自分の欲望で世界を捻じ曲げれば、脆く儚い世界の姿はあっと言う間に打ち砕かれ飛散してしまう。己の願望のままに世界の有り様を変えてしまう魔法と、科学法則よりもさらに精緻に組み上げる魔術とは、実は正反対の性質を持つものだ。
大規模魔術を行う者であればあるほど、それを目の当たりにし、結果魔術師達は自らの望みを封じるようになっていく。それは、原因と結果を秤にかけたなら、他には道が無いと思い知らされることになるからだった。

しかも何百年にも渡る長大な魔術の贄を、土壇場で助けようなどということは、正気の沙汰ではない。動き始めている運命の圧倒的な車輪のその行方を変えることは、この魔術を組み上げた当の本人にさえ、既に不可能であるに違いなかった。
はるかを救う引き換えとして、世界は代償の生贄を求めることになるだろう。その歪みの責を負うべく、ヤガミが自分の想いを切り捨てようとする裂かれるような苦しみが、隠しても隠してもこぼれてくるその痛みが、はるかの胸に響いていた。
一頭の羊は屠られて祭壇に崇め奉られ、一頭の羊は全ての罪を負わされて闇に捨てられ忘れられる。その二頭が、どれほど互いを想い合っているのか、そんなことが誰に分かるだろうか。

はるかを助けるために無謀な賭けに挑もうとする、そのヤガミの気持ちはとても嬉しかった。だが、この選択肢では、駄目なのだ。この道の未来は閉ざされている。絶望の苦しみはやがて、ヤガミの心をも闇の中に引きずり降ろすことになる、それをはるかは知っていた。

はるかは横たわったまま、まるで花が開くような滑らかさでその両手を天井に向かって差し伸べた。その外側を包む夜明けの船に、さらに外に満ちている火星の海に、それら全てを抱いてわだかまる宇宙の闇に、手を伸ばすように。そして、時空を超えて打ち寄せて来る、未来の哀しみを抱くように。

永い永い孤独な戦いを続けてきたヤガミにとって、この夜明けの船はかけがえのない「家」なのだということを、はるかは理解していた。例えそれが、仕組まれ造られた仮初めの姿でしかないのだとしても、この夜明けの船だけが、ヤガミの数百年に及ぶ孤独から逃れるたったひとつの還るべき場所であった筈なのだ。
はるかを喪い、一度は手にしたその温もりをも再び奪い取られ、絶望に蝕まれたヤガミの魂がゆるゆると闇に染まってゆくのを、永遠に堕ち続ける事象の地平へと飲み込まれるその未来を、はるかはじっと見つめていた。だが。

はるかの瞳がすっと研ぎ澄まされ、ヤガミですら見たことの無い、鋭利な刃のような光を放つ。
このまま手をこまねいているつもりは、さらさら無かった。だからこそ遥かな時空を超えて、はるかはこの夜明けの船へとやってきた。例えそれが、自分を救うために為された選択なのだとしても、その行方に待つものが暗い絶望の闇でしかないのなら。己が敵と定めたありとあらゆるものと戦うために、彼女はこの絢爛舞踏祭へと登壇したのだ。

この強大な運命の力に逆らおうとすれば、その反動だけでも世界を揺るがすことになってしまう。そんな強引な正面突破ではなく、魔術の構図を変えずに、誰も気が付かないような些細でさり気ない、最も分かりにくい方法で。運命のその轍をほんの少しだけ逸らして未来へと進む、その方法は。

はるかの唇が動いて、ほんの短い、大切な言葉を形作る。それでもその言葉が音になることは終に無かった。

 

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