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2008年2月20日 (水)

雨水の候

 

 

***  豊かの海   ***

 

はるかが無事意識を取り戻し、回復に向かっているという情報は、瞬時に夜明けの船を駆け抜けた。艦の修理が一段落しても、飛行隊の要であるはるかを欠いた状態での戦闘を避け、安全な深海域に止まっていた夜明けの船は、明るいニュースを得て久しぶりに動き始めた。

火星政府は例の戦闘での惨敗をひた隠しにしていたが、長時間に及ぶ激戦とその間連合軍内部を襲った大混乱は、とても情報の封じ込めが可能なレベルではなかった。まして、元より立ち位置の異なる寄せ集めの軍である。既にその足並みの乱れは情報の漏れとして目に見えるようになり、火星独立軍の圧倒的大勝利とその驚異の戦闘力についての噂は、じわじわと広がりを見せていたのだ。
旗色が良くなれば、如才なく先を見越した支援を申し出る勢力もある。夜明けの船はその最大の危機を乗り越え、火星独立戦線は転換期に向かおうとしていた。

しかしその一方で、艦内の何もかもが順調に元どおり、という訳にはいかなかった。誰もが、引き返せない一線を越えてしまった自覚を、口には出さなくとも気持ちの奥底に抱いていた。
はるかの戦闘能力が、以前から圧倒的なものであったことは間違いない。だが、自ら目撃者となった今にしても、信じ切れないでいるあの脅威を目にしてしまってからは、はるかを何者と考えるのか、その存在の認識はゆらりと変化していこうとしていたのだ。

夜明けの船全体に及んでいたムードメーカーとしてのはるかの存在を失って、その軋みは夜明けの船のそこここで火花を散らすこととなった。はるかの穴を埋めるべく、飛行長席をハリーに譲ってパイロットに復帰したヤガミは、別人のように張り詰めて無言のまま激務をこなし、近寄り難い空気を身にまとうようになった。それどころか、大量の整備ノルマを要求してエノラを激怒させ、しかもこれまでの調子で真っ向から噛み付いた彼女を冷たく突き放し、今度はニャンコポンがヤガミに噛み付くという有り様である。

そんな中、大事を取ってとの名目で、はるかは自室療養を解かれてはいない。面会謝絶が解除されても、これまでのように皆で押しかけるという話にもならず、迷いに迷ったタキガワはやっとのことで決意を振り絞ると、一人はるかの部屋を訪れた。何度か遊びに行ったことのあるはるかの部屋の前で、さらにうろうろと歩き回るタキガワだったが、不意にそのドアが開いて、いつもの調子でひょいとはるかが顔を出したその時、自分がそれを待っていたのだということに、始めて気が付いた。

「何してるの、タキガワ。」
「…ウ、ウィッカ……。」
「遠慮することないのに。入れば?」
そう言い捨てて、さっさと部屋の中へととって返すはるかを慌てて追いかけながら、タキガワはこっそりと、不覚にもにじんだ涙をごまかした。はるかはいつも太陽系総軍の青い軍服を好んで身に付け、それ以外の服装を見ることは滅多になかったが、そんな自分に気を取られていたタキガワは、そのはるかが珍しく、ゆったりとしたワンピース姿なのに遅まきながら気が付き、思わず視線を彷徨わせる羽目になった。

その視界に、花瓶に生けられた黄色の花束が映る。見るともなしにタキガワが眺めていると、それに気が付いたはるかが声をかけた。
「あ、その花、エノラがお見舞いに持って来てくれたの。」
「エノラ、来たの?」
「うん。その前はスイトピーがお菓子を持って来てくれて、その前にイイコちゃんだったかな。みんな、一人ずつ来るのね。忙しい?」
「……え、そうでもないけど、ちょっとはね。」
「その辺に座ってよ。お嬢の差し入れは、さすがに美味しいわよ。味見させてあげる。」

それぞれ一人で来るという皆の気持ちが、タキガワにも分かるような気がした。これまでのようにみんなで一緒にではなく、誰もが独り、自分自身だけで立ち向かわなくてはならない関門と、対峙しているような心持ちなのだということが。そうしてその決意を抱いて、はるかと話をしたくなる、そういう気持ちが。
タキガワは呼吸を整えると、覚悟を決めて口を開いた。

「ウイッカ、あの、この間の戦闘のことで、話があるんだけど。」
一瞬、はるかが息を飲んだような間が在った。それからはるかは、ゆっくりとした動きでタキガワの真正面に座ると、何かの宣告を聞くかのように背筋を延ばした。
「…うん。」
「俺この間の時、飛行長席の解析データ、見せてもらってたんだ。」
予想外だったらしいはるかの目が丸くなる。それからはるかのその顔はじわりと、緊張を含んだ複雑な笑みを浮かべた。
「…ヤガミも、思い切ったことするなあ。」
「お、俺、ホントは俺なんかが見るもんじゃないって分かってっけど」
慌てて弁解を並べようとしたタキガワの言葉を、しかし、はるかは静かに遮った。
「タキガワ。俺なんか、なんて言い方しちゃ、駄目よ。」
如何にもはるからしい口調に、タキガワは思わず、ほっと息を吐き出した。艦内の雰囲気の変化には辛うじて流されていないタキガワだったが、それでもあの戦闘データの衝撃は、RB乗りとしてのこれまでのタキガワの経験を、根底から揺るがしかねない程大きかったのだ。
だが、はるかのその言葉を聞いて、彼女が変わらず彼女である、その確信を取り戻したような気持ちだった。ようやく足元のおぼつかないような漠然とした不安定から解放されて、タキガワは自分のペースを取り戻し、勢いよく話し始めた。

「…あ、ありがと…。あ、いや、だから俺、あれを見せてもらって良かったと思う。その、それで色々考えたんだ、これでも。」
「……うん。」
「ウィッカは、つまり、最初から戦わなくても済む方法を、探してるってことなんだよな。」
唐突なタキガワの言葉に、はるかは虚を突かれたように目を瞠って一瞬表情を失った。
「あ、あれ? えーと、待ってくれよ、順番に」
そのはるかの表情を、脈絡の無さを驚かれたのだと解釈したタキガワは、しどろもどろに言葉を探し始めた。だから。
はるかの瞳がその時、ほんの少し潤んでいたということに、タキガワは気が付かなかった。

「…タキガワ、焦らなくても大丈夫よ。ちゃんと聞いてるから。」
穏やかなはるかの言葉に励まされて、タキガワは苦労して自分の気持ちを言葉に直し始めた。元々順序立ててものをしゃべるというのは苦手な質だったが、それにもまして、自分でも掴みきれない自分自身の今の気持ちを、言葉として表現するというのは、タキガワにとって相当の苦労を強いられることとなった。
「最初は俺、どうやったらあんな風にシー突当てたり、敵艦の動きが予想出来るんだろうって、そればっか考えてたんだ。だってやっぱパイロットなら、あんな神風みたいに格好よく戦うの、夢だよ。」
勢いで口に出してしまってから、タキガワは本当にそれが自分の夢だったのだということを思い出した。それは、思い出の中の父の姿と重なる夢だった。初めて父の乗る機体を、そのアクロバット飛行を目撃した時の、興奮と喜びと、そして誇らしさをこめた、夢。

「だから、どうしたら、どうしたらって、データとにらめっこしてて、あっと思った。もちろん、敵が次にどう動くのかを知ってたら、戦うのは簡単なんだ。だってそれに合わせた武器や作戦を、そこに用意しておけばいいんだから。でも、さ。」
タキガワは一度言葉を切って、ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。そう、夢だったのだ。あんな風に自在にRBを操り、つむじ風のように舞いながら戦うことが。それは今でも変わらず、自分の夢である、それは間違いないのだ、だが、それでも。
自分の中に生まれたもう一つの気持ちを、タキガワは無視することが出来なかった。その想いを、タキガワは慎重に選んだ言葉で、ためらいがちに唇に乗せてみた。

「でも、もし最初からそれが分かるのなら、戦いが始まるより前に、止めさせることだって、出来たりするんだ。」
タキガワはその言葉に、はるかがどんな反応を示すのか、じっと待っていた。そしてはるかが、いつか見た不思議に透明な、静かな笑みを浮かべるのを見て、今度はゆっくりと話し始めた。

「ウィッカやヤガミが言う100年の平和って、正直俺、意味が分からなかった。だって、タキガワ一族は生まれた時から、ていうか生まれる前から代々ずっと軍人なんだ。戦わなくてもいい自分って、俺、ピンとこない。こないんだけど…。」
徐々に小さな声になったタキガワは、自分でも信じられないでいるその気持ちを、そっと呟いた。
「…ウィッカが本当に探してるのは、戦いが始まる前に、終わらせることなんだって、そう思ったら、俺…俺そういうのも、いいよなって。」

言ってしまってから途方に暮れたように、タキガワははるかの顔を伺った。はっきり言って、そんな気持ちを自分が抱くようになるなどとは、考えたことも無かったタキガワだった。RB乗りであるというその衝動は、文字通りタキガワ家のDNAに刻み込まれたようなものだ。それを否定するような考えを、例え欠片でも自分が持っているなどということは、誰よりもタキガワ自身が信じ難いことだったのだ。
そんなタキガワに向かって、はるかは無言でそっと頷いた。自分自身でさえ持てあましているその気持ちを、はるかがきちんと受け止めてくれているということが嬉しくて、タキガワはさらに自分の中から言葉をかき集めた。

「戦うのが嫌なんじゃない。今でもパイロットの自分に、意地ぐらいある。でも、火星に来て、この夜明けの船に乗って、色んな人に会ったし、色んなものを見たんだ。今まで俺、整備の仕事がこんなに大変だなんて、知らなかった。俺がRB壊すと、エノラがこっそり泣いてたりするんだ。そりゃそうだよ、あんな死に物狂いで頑張ってピカピカにしてる機体が、一瞬でぼろになって戻ってくるんだぜ。そんでまた一からやり直し、でもそこで手を抜いたら、誰かが、死ぬかも知れないんだ。」
「タキガワ一族の男だってことは、俺の誇りだ。火星に行けって、そんな遺言を残すご先祖様と、それを先祖代々守ってるバカみたいな一族なのが誇りなんだ。でも、俺、もし戦いが終わったらって、そんなこと考えたら、何だかご先祖様に申し訳ないような気がして……。」

どうしてそんな自分の気持ちをはるかに聞いて欲しいと思ったのか、タキガワは自分でも良く分かっていなかった。だが他の誰でもなく、はるかこそが、タキガワ一族としての己の心境を聞いて貰うのに相応しい人物である気がしてならなかったのだ。
やっと自分の心の深みにたどり着いて、もう自分の中の言葉がからっぽになったかのように黙り込むタキガワの耳に、不思議なほど静かなはるかの声が響いた。
「それでいいのよ、タキガワ。貴方が戦いを終わらせることを選ぶのなら、それがタキガワ一族の選択なのよ。」
「だって、だって俺、父ちゃんとか爺ちゃんとかに」
「タキガワ。代々のタキガワ一族は、戦争が大好きで戦い続けて来たんだと思う?」
「……今までは、そうなのかと思ってた。でも…。」
「貴方のお父様は、貴方が戦わなくても済むような世界を望んで、戦ってきたんじゃないのかな。それは少し、間に合わなかったけど。」

今度は、タキガワが目を丸くしてはるかを見詰め返す番だった。自分の父親の心境など慮ったことがある筈もなく、これまでそんな考えには及びも付かないタキガワだったが、だが今その言葉を聞いて、その瞬間にそれが真実であることが、分かってしまったような気がしたのだ。タキガワはふと、父の表情を思い出した。RB乗りになれと言い、火星に行けと躊躇いなく言う父が、そう言い放った後に見せる、自分に何かを課すようなほんの幽かな緊張の表情を。

「お爺様はお父様のために、ひいお爺様は、お爺様のために。そうやって代々、もしも自分の息子が戦わなくてもいい世界が訪れるのなら、そう考えて、果たせなかったんじゃないのかしら。だからもし、貴方がいつかタキガワ一族の戦いの歴史を終わらせることが出来たなら、それは全てのタキガワ一族の、たった一つの願いが叶う時なのよ、きっと。」
「ねえタキガワ。RBに乗って剣鈴で戦わなくなっても、世界には他の形の、あらゆる戦いが無限に続いている。この夜明けの船に乗る一人一人が、みんな自分の哀しみを背負って、自分の戦場で戦っているように。戦争が終わって、RBを降りても、戦いは続くのよ、タキガワ。」
「他人から見れば、ちっぽけで、取るに足らなくて、そんな一歩でしかなくても。今ある自分の姿から、勇気を振り絞って一歩を進めようとする時、その一歩のための戦いは、皆等しく掛け替えの無い戦いだと思うの。そういう風に、誰もが、自分の戦場で戦い続けている。」

そう言い終えて、はるかはタキガワに向かってにこりと微笑んだ。その笑顔の美しさに、タキガワは反射的に力一杯自分の拳を握りしめた。このはるかという人物は、紛れもなくタキガワ一族が250年待ち続けたその人なのだ。だから、という訳ではなかったが、それでもなお。何故自分がこの女性に惹かれるのかということを、まざまざと思い知らされたような気がしたのだ。だが、この風は、自分の手には入らない。
タキガワははるかの顔から目を逸らしてうつむいた。さっきまであれほど苦労して絞り出していた筈の言葉が、勝手に口からこぼれ落ちた。

「……お、俺、もっと早く生まれれば良かった。もっと早く生まれて、早く一人前になって、同い年でウィッカと会えたら良かった。ヤガミより、先に…。」

それが、限界だった。あふれる涙に言葉を続けることが出来ないタキガワの肩に、鳥のようにはるかが身を寄せる。それから、小さな小さな声で、そっとはるかは囁いた。
「…ありがとう、タキガワ。」

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