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2008年12月12日 (金)

想いのこだま

 

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 ツアー・コンダクター

 

***   般若湯   ***

 

「えー、やっぱりみんなっていうのは無理かー。夜明けの船を空っぽにする訳にも、いかないもんね。じゃあ、誰と誰…。」
このままはるかの調子に流されてしまったなら、胃の痛くなりそうな程のここまでの葛藤が、水の泡になってしまう。決死の努力で否定の言葉を絞り出したものの、その意味にすら気が付いていないらしいはるかの返答に、正直頭を抱えたくなったヤガミだった。

「……はるか、お前もしかして、分かっててからかってるのか?」
「む、なによ、また私のせいなの? ヤガミの話し方が分かりにくいのがいけないんでしょ。」
子供のように唇を尖らせてむくれている顔を見る限り、わざとはぐらかしているという訳でもないらしい。頭の中を根こそぎにするようにして次の言葉を探していたヤガミは、つい口を滑らせ、普段なら絶対に言葉にしないような本音を呟いた。
「…俺と二人きりで出掛けるんじゃ、嫌なのか。」
「へ? 二人ってヤガミと誰?」
「お前、いい加減にしろよ。」

さすがのはるかも、一瞬黙り込む。そして、緊張の極限で立ち尽くしているヤガミが飛び上がりそうな、素っ頓狂な声を張り上げた。
「えっ、もしかして、私?」
「だから、嫌なのか、俺と二人じゃ。」
「あ、だって、び、びっくりしたんだもん、ええと…。」

はるかは丸々と眼を見開いて、両の手で自分の頬を押さえ込んだまま、如何にも困ったと言わんばかりの表情で眉根を寄せている。非常に分かり辛いヤガミの真意に、気が付かないまではともかく、はるかに断られるかもしれないなどということは微塵も考えていなかったヤガミは、予想だにしなかった事態に硬直した。
想定外などというものではない。むしろそんな状況を想像しようものなら、正気がどこかへ遁走してしまいそうで、意識の外へ追い出していたというのが正解かもしれない。

絶体絶命のピンチに顔を引きつらせているヤガミを他所に、しかしはるかは、何かを思い出したようにはたと顔を上げると、ぽんとこぶしを打ち鳴らした。そして、探るようにしてヤガミの顔を覗き込み、まるで脈絡の繋がらない唐突な言葉を口にした。
「そうだ、ヤガミ、ちょっとお酒でも飲まない?」
「酒?」
「とりあえずその辺に座ってよ、えっと、おつまみ…。ジンジャークッキーでいいかな。」
はるかの言葉の、あまりの飛躍に頭が着いて行かず、反応も出来ないままヤガミは固まっていた。だが、その返答を待つ気もないらしいはるかは、ごそごそと動き回って勝手に準備を始めている。放ったらかしにされたヤガミはようやく我に返ると、改めてはるかの部屋の中を見回した。

夜明けの船最高の威信点を叩き出すはるかは、艦長室に次いで艦内で大きなこの部屋に、常に陣取っている。訪れる人の絶えないこの部屋には、いつの間にやら、簡単な応接セットが運び込まれていた。忙しさを言い訳に、滅多にここへとやって来ることのないヤガミは、所在なげにそこへ腰を降ろすと、我知らず力の無いため息をもらした。互いの部屋を訪れるという、普通の恋人達であれば至極当然の経験さえろくにない、自分とはるかとの関係を、思い知らされた気がしたのだ。

少し気落ちしたヤガミに気が付いているのかどうか、あれこれとトレーに用意して戻ってきたはるかは、そこに乗せられた一本の瓶をヤガミに指し示した。
「これ、覚えてる?」
それを、ヤガミが忘れるはずは無かった。それはずいぶん以前に、陣中見舞いと称してはるかから贈られたのと同じ銘柄の吟醸酒の瓶だった。またしてもあまりの偶然に、思わず、はるかの顔を物問いた気に見つめ返したヤガミに、はるかは気恥ずかしげな表情で答えを返した。
「ヤガミにあげた時に、同じのを買ってたのよ。」
「…まだ、そんなものを。」
「私お酒飲まないんだもん。いいじゃないの、記念に取って置こうと思ってたんだから。ちゃんと温度管理はしてました。」

拗ねたような物言いをしながらも、機嫌を損ねた様子もないはるかは、少しだけ迷う気配を見せた後で、ヤガミの隣に座り込んだ。
「でも、祝杯でもいいかなと思って。」
「祝杯…。」
「ヤガミからちゃんと誘ってくれたの、初めてじゃない。この間のパーティだって、仕事とかついでとか散々言い訳してたくせに。」

おしゃべりを続けながらも手際よく準備を続けるはるかは、世話を焼かれるという状況に慣れないヤガミに構わず、その手にグラスを押し付けると、透明な液体を注ぎ込んだ。芳しい神酒の香りが立ち上るのをぼんやりと眺めてしまったヤガミを、置いてけぼりにしたまま、はるかは自分のグラスにもさっさと注ぎ分けると、そのまま素早くヤガミのグラスにかちりと当てて、涼やかな音を響かせた。そして、相当にアルコールが苦手なのかぐっと一瞬躊躇した後、勢いをつけてくいと飲み込んでいる。

そんなはるかを見て、やっと自分の手の中の酒に気が付いたようなヤガミは、ゆっくりとグラスを口へ運んだ。甘露を味わうように、舌の上でその液体を転がしながら、まるで飲み込んでしまうのがもったいないとでもいうかのように、慎重にのどへと滑らせる。
実を言えば、はるかに貰ったこの同じ酒を、ヤガミも同じようにまだ飲めないままでいたのだ。祝杯、そう思って取って置いたのも同じだった。もしも二人きりで旅行に行けたなら、その時にこうして封を切るつもりだった。同じようなことを考えていながら、見事はるかに先を越されてしまったことを、ヤガミは柄にも無く、羨ましいと思った。

「味、大丈夫かな。私には違いがよく分からないし。」
「あ、ああ。甘い、酒だな。」
「え、そうなの。すっきりしたのを、選んだつもりだったんだけど。そういえば今、私の妹がね、お酒で有名な土地に住んでるの。そういうところに旅行も、いいかもね。」
「…妹の話なんて、始めて聞いた。」
「えー、だってヤガミがおしゃべりに付き合ってくれることなんて、滅多にないじゃないですか。」
冗談めかして言いながら、はるかは少し寂しそうな笑みを浮かべている。その横顔をそれとなく伺いながらも、ヤガミは返す言葉を持たずに黙り込んだ。その沈黙を埋めるように、ぽつりとはるかが、小さな声で呟きをもらした。
「ヤガミは私と一緒にいて嬉しいのかどうか、よく分かんないんだもん。」
答えを期待するという口調でもない独り言のような響きが、逆にヤガミを急き立てた。唇を緩めたまま言葉を捜していたヤガミは、結局、恐らくは最も本音に近いであろう言葉を選んで、低く返事を返す。
「…そんなことも分からないのか。」
「なによー、じゃあヤガミは私の気持ちがちゃんと分かるっていうの?」
それが分かれば苦労はないと、ヤガミは思わず心中で呟いた。諦めていた返事が返ってきて、少し嬉しいらしい笑顔をヤガミに向けた後、はるかは真っ直ぐに前を見て、ヤガミが一番気に入っている、柔らかくて力強い、魂に染みるように優しい声で、言葉を続けた。
「自分の気持ちに自信は持てるけど、他人の気持ちを思い込んだら、駄目かなと思う。どんな気持ちでも、それはその人の自由だから。」

「…自信なんて、あるのか、自分の気持ちに。」
「ん? あるよ?」
「まあ、お前はそうかもしれないな…。」
「そうよ、私はヤガミが好きなの、それだけよ。」
あまりにさらりと口にされた言葉に、ヤガミは一瞬その意味を掴み損ねた。一拍遅れて振り返ったヤガミに、少しも迷いのないはるかの微笑みが向けられる。
「聞こえなかった? 私はヤガミが好きなの。」
「…どう、して。」
「理由なんて必要ないでしょ。私が好きと言ったら好きなの、それだけ。」

ヤガミは思わず、自分の手の中のグラスをしっかりと握り締めた。またしても先を越されてしまったことを、今度こそヤガミは、悔しいと思った。はるかはいつも自分勝手に物事を決めて進めてしまうようでいて、何処かヤガミの苦手なことを、さり気なく自分から引き受けているような節があるのだ。同じ方向を見て、同じ道を進みながら、彼女はほんの少しだけ、何時でもヤガミより前へと飛び込んで行く。それはまるで、彼女の意思の強さが、その真っ直ぐに未来を指し示す指先の差だけが、自分よりも抜きん出ている証拠のようにヤガミには思えたのだった。

今度こそこの言葉に、答えなければならない。ヤガミが決意を固めて振り返った、その時だった。
「あの、あのね、私ずっと、ヤガミに話しておかなきゃと、思ってたんだけども…。」
「…はるか?」
うつむいたままのはるかの身体が、ゆらゆらと揺れている。グラスを持った手が、見るからに億劫そうにゆっくりと下がって行くのを、何とか持ち直しながら、はるかは揺れているままの顔を斜めに持ち上げ、ヤガミを下から見上げるように覗き込んだ。

そのはるかの顔が、一目で分かるほど真っ赤になっているのに驚愕し、ヤガミは思い切り眼を見開いた。見たこともないような無防備でとろりとした表情をしたはるかは、笑顔とも泣き顔ともつかない潤んだ瞳をして、一心にヤガミを見詰めている。有り体に言ってしまうと、ほとんど別人のように艶めいて見える。ヤガミは反射的に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「お、おい、はるか」
「私、お酒、まるで駄目なの。前の義体の時は、もおちょっと、大丈夫だったんだけどね、このボディになってから、なんか全然ね…。」
「だ、大丈夫なのか。」
「だからー、旅行に行っても、お酒は駄目ってね、先にゆっとかないと、わるいかなーっと…。」

既に相当呂律が怪しくなっているはるかは、危うく引っ繰り返しそうないい加減さで、ろくに減ってもいないグラスを辛うじてテーブルに置いた。そしてそのままいきなり、くしゃりとヤガミにしなだれかかった。慌てて腕を伸ばしたヤガミに抱きつくような格好で、一応はその手を出したものの、腕も身体もまるで力の入っていないはるかを、ヤガミは体当たりを受け止めるようにようにして抱き抱えた。

「好きよ、ヤガミ…。」
その耳にもう一度、泣き出しそうなはるかの声が響く。一瞬それに茫然としたヤガミが思わず腕の力を緩めると、完全に力が抜けてしまっているはるかの身体はずるりと滑って、ヤガミの膝の上にどさりと着地した。
またしても予想外の事態に思考が全く追いつけないでいたヤガミは、自分の膝に乗り上げた暖かく柔らかい重みと、あろうことか規則正しく伝わって来る安らかな寝息を確認し、思わず脱力して特大のため息をついた。

「…ちょっと、待て。一体何処から酔っ払いだったんだ?」

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