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2009年6月15日 (月)

ゆきのおおみけ

 

 

***   みたらし問答   ***

 

ヤガミの本音を余所に、夜明けの船上層部はRBレースを火星全体へと普及させる密かな根回しに向けて、着々と動き出しつつあった。実際のレースに対して最も目の色を変えている、艦内のRBパイロット連や、陸戦隊を始めとする面白半分の野次馬どもにも内密に計画が進められているのは、その意図が紛れもなく、政治的色彩の色濃いことの証拠であると言えるかもしれない。星間戦争向けの燃料用水資源輸出という特需から、戦争終結による急速な需要の停止という混乱を経て、構造的不況に停滞している火星経済を揺り動かし、未来への軌道に乗せて前進させるには、確かにそれなりのプロパガンダでも用意しなくては難しいだろう。加えて、ついこの間まで曲がりなりにも海賊と呼ばれていた夜明けの船の面々が、今後政治経済の表舞台にある程度関わらなくてはならない可能性が高い以上、過去のイメージを払拭し、なおかつ優位な立場を確保する政治的工作は、やはり必要不可欠だったのだ。

そんな建前については百も承知しているヤガミではあったが、それでも心中の個人的本音というのは、そう簡単に割り切れるものではない。希望号とはるかの存在が、火星派遣軍にとって掛け値なしに死の代名詞であったという事実は動かし難く、それを少しでも拭い去るような情報操作は、ヤガミとしても最優先の課題ではあるのだ。だが、それでも。はるかが多くの人目に晒されるような状況は、どうにも気が進まないとしか言いようがなかった。あの自分にとって唯一無二の存在が、他者からもまた唯一無二として評価を受けるかもしれない、そんなことを考えただけで、自分に可能なあらゆるカードを切ってでも阻止したいと思ってしまう自分の気持ちを、ヤガミはどうにも止められないでいた。

にもかかわらず、結局のところヤガミは、はるか自身がこの状況をどう考えているのか、最後の一歩でそれを確認し損ねたままだった。二人乗りRBまで持ち出して、MAKIの目も届かない数少ない密室を用意したにも関わらず、その真の目的を達成できずに、である。はるかが嫌だと言うのなら、それこそ大手を振って計画を阻止できる、そんなことまで考えていたヤガミは、最初の一歩で挫折してしまった綿密な妨害工作を思い浮かべて、思わずため息をついた。先程からこの調子の繰り返しで、仕事は一向にはかどらない。滞りがちな業務のスケジュールを脳裏から追い払ったヤガミは、再度あきらめのため息をもらしながら、ぎしりと飛行長席から立ち上がった。

こんな時には重ねて間の悪いことに、はるかも今日は姿を見せていなかった。例によって厨房あたりにはるかがいるのを、既に確認済みのヤガミだったが、艦橋へは顔を出さずに何やらうろうろと歩き回っているようである。気分転換にコーヒーでもと、取って付けたような言い訳を誰にともなく脳内で呟きながら、ヤガミはそのまま浮かない足取りで艦内を歩き始めた。それとなく周囲に視線を投げながらエレベータホールを抜け、食堂横の廊下までたどり着いたヤガミは、そこで懐かしいにおいをかいで、ふと立ち止まった。

懐かしい、と反射的に感じながらも、それが何のにおいであるのか、一瞬ヤガミは思い出せずに首をひねった。食べ物のにおいであることは間違いないが、最近ではとんと見かけなくなった類の、そこまで考えて、ヤガミはそれが醤油のにおいであることにはっと気がついた。火にかけられた醤油の、懐かしく香ばしいにおい。そのまま意識もせずに足早に廊下を抜けたヤガミは、何の疑いもなく勢いよく厨房へと駆け込んだ。扉が開くと、一層においは強くなる。その只中で案の定、調理台の前に立ったはるかがはたと振り返った。

「あれっ、ヤガミ?」
驚いたように目を見張って振り返ったはるかが、次の瞬間慌てて手元に視線を戻す。小さな片手鍋とそれをかき回していた菜箸を、電磁調理器から持ち上げて避難させると、はるかは改めて顔を上げた。
「なあに、コーヒーでも取りに来たの?」
「…まあ、そんなところだが。お前は一体、何をやってるんだ。」
「ああ、分かった。においに釣られて来たのね?」
「……だから、何をやってるのかと聞いてるんだ。」

あっさり自分の言い訳が看破されてしまったのに、むっとしかけたヤガミだったが、目前のはるかが如何にも嬉しそうな笑みを作るのを見て、とりあえずその矛先を納めることにした。にこやかな笑顔を見せながらも、その手元をまだゆっくりと動かしているはるかに、ヤガミは気のないふりを無駄に装いながら歩み寄った。問題の鍋へとそれとなく目をやると、中にはつややかな濃い飴色の何かが、菜箸の渦を刻みながらかき混ぜられている。
「今日は久しぶりに、和菓子を食べさせてあげようかと思ったのよ。」
「…和菓子?」
「そうよ、ほら。」

ひょいと菜箸ではるかが示した先には、小さくて白く丸い何かが、串刺しになって並べられている。思わずその皿と、はるかの手元の鍋との間に視線を彷徨わせたヤガミは、その時になってやっとのことで、立ちこめるにおいの正体に思い至った。
「…ああ、みたらし団子の醤油あんか。」
「そうそう。あのね、イイコちゃんと話しててそんな話になったんだけど、意外とみんな知らないって言うから。なんか色々と手に入らないものがあって、代用品も多いんだけど、けっこうにおいはいい感じでしょ?」

そう言いながらはるかは、今正に鍋をかき回していた菜箸をついと持ち上げると、無造作にヤガミの口元に差し出してみせた。その動きに合わせて、香ばしい醤油あんの甘いにおいが、あたりにふわりと立ちこめる。瞬間思わず、差し出された菜箸の先を凝視してしまったヤガミは、その背後にある何の屈託もないはるかの笑顔との間に視線を彷徨わせてから、意を決したように、ぱくりとそれに噛み付いた。甘辛の醤油あんの香ばしい味が口の中に広がって、自分の頬が緩みそうになるのを必死で食い止めながら、ヤガミはその懐かしい甘さをゆっくりと飲み下した。
「やだなあ、食べられないようなものは、入ってないわよ。」
ヤガミの躊躇をどう解釈したのか、それでもはるかが機嫌のいい声を弾ませながら、唇を尖らせてみせる。それなりに材料の調達に苦労して、工夫した上の自信作なのだろう。予想以上の味に少し驚きながらも、苦労してしかめ面しく表情を引き締めたまま、ヤガミは無難な誉め言葉を探し出した。

「ああ、うん、まあまあなんじゃないか。」
「んー、ヤガミとしては、珍しく合格って感じ?」
またしても本音を見破られたヤガミが、何とか切り返そうと口を開きかけた、その時だった。たった今までヤガミが口にしていた菜箸の先を、はるかはそのまま、自分の口の中へとまた無造作に放り込んだ。予想外の事態に固まったヤガミの目前で、もぐもぐと口元を動かして箸に残ったあんを味見したはるかは、もう一度改めて満面の笑みを浮かべてみせた。

「ほらー、美味しいでしょーが。なんかね、エノラとスイトピーが、凄い楽しみにしてくれてるの。二人ともグルメだから、今回は特に気合いを入れてね……あれ、ヤガミ? なんか真っ赤だけど、大丈夫?」

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