ピアノの日
「うーん、やっぱり綺麗だったなー、あの景色。光がゆらゆらするのが、すっごく素敵で、ファンタジックで、ロマンチックでー。」
「エノラ、さっきからおんなじことばっか言ってんじゃん。」
「なによー、ボキャブラリーが乏しいとか言いたいの? タッキーみたいに、”すげー”だけ連発してるよりは、語彙は豊富だもーん。」
RBの整備中とは思えないほどの賑やかさで、ハンガーには明るく弾んだエノラの声が響いている。先日のRBピクニックから此の方、すっかりパイロット実習に夢中になっているエノラは、タキガワを相手におしゃべりに興じながら、それでもきちんと手元を動かして整備の作業を続けていた。
ぷっくりとふくれてみせた割には、目は笑ったままのエノラのその顔を、微かに頬を赤らめながら横目で見やったタキガワは、咄嗟に言い返す言葉を用意出来ずに、むっと唇を尖らせた。口と手とを同時にてきぱきと動かし続けるエノラのその頭の回転の速さは、最近では時にヤガミとすら対等に言い合ってしまう程のレベルである。これに言葉で対抗するのは、元よりそれほど口が達者な訳ではないタキガワには、少し荷が重いという他はない。
「…まあ、確かに綺麗だったのは、そうなんだけどさ。RBの操縦レベルが上がれば、速度はこの間とは段違いだぜ。とてもあんな、のんびり景色なんて眺めてられねーよ。」
「それはそうかもしれないけど。でもそれは、戦闘を目的とした運用の場合であって、これからは観光向けの操縦マニュアルとかも、充実させなくちゃ、でしょ。」
「……俺にはそういうの、よく分かんねーけど。」
屈託のないエノラの言葉に、一抹の引っ掛かりを感じたらしいタキガワは、珍しくも眉をひそめるようにして、微妙に不機嫌さのにじむ言葉を返した。タキガワにしてみれば、RBとはあくまでも兵器であり、自分と仲間達との命を預ける神聖にして不可侵の守りの盾だった。それはタキガワ家の血と共に彼の身体に織り込まれた、動かし難い世界の秩序にも等しい価値観と言えるかもしれない。そんなRBを、よりにもよって観光用に乗り回したり、ましてや観光専用機の開発などと言われても、タキガワにとっては理解不能としか反応のしようが無かったのだ。
一方のエノラからすれば、RBは兵器であるよりも前にまず、整備班の技術と努力の結晶であり、自分達の大事な作品なのである。だが、かつては彼女にとっても、RBとは火星独立軍というならず者たちが引き起こした、悲劇の戦争の象徴そのものであったことを、その恐怖の感覚を、エノラは忘れてはいなかった。火星における戦闘が収束している現状においては、兵器としてのRBの存在価値が、低下していく一方になるのは避けられないのではないかと思われた。むしろRBに兵器以外の活用方向を開拓して、民生用として生き残る未来が開けるのであれば、そちらの方がエノラには重要な現実だったのである。人間よりも遥かに大きなその巨体を見上げ、エノラはまるで、可愛い弟の自慢をする姉のような笑顔で、得意気に言葉を続けた。
「でもね、やっぱりレースの時みたいなRBのアクロバットも、格好いいと思うのよねー。」
「おう、やっぱそう思うだろ?」
「これからはRBレース仕様に特化したコンセプト設計とかも、考えなくちゃ。操縦訓練も頑張ろっと。早くバレルロールとか、出来るようになりたいなー。」
「何言ってんだよ、エノラ。バレルロールとか言う前に、まずはレベル1のマニューバが、きちんと身に付かなきゃ駄目なんだぜ。」
「え、わ、分かってるけど。でもほら、基本のレッスンて、何かちょっと退屈なんだもん。」
「んなこと言ってるから、なかなかカリキュラム進まないんじゃんか。」
タキガワのストレートな言い様に、今度こそエノラがむっと唇を尖らせた。RBの構造については上から下まで知り尽くしているエノラだが、やはり実際にパイロットシートに座ってみれば、操縦の技術としては全く別種の訓練が必要になる。元々お嬢様育ちのため、自分で乗り物を運転するという感覚に不慣れなエノラは、操縦カリキュラムの進度と言えば、現状いまいちであることは否めなかった。同時に習い始めたマイトの進歩があまりに早いため、比べてしまえばさらに遅れている感が強いこともあって、エノラの操縦訓練はその熱意が空回りしたまま、夢の部分がどんどん広がってしまっている気配が強かった。その辺りの感覚を、飛行学校での同級生との体験などから感じ取っているらしいタキガワが、何かにつけ小言めいた雰囲気で地道な訓練を勧めるのに、さらに素直になれないという部分もある。
「でも、戦闘に出る訳じゃないんだから、オートパイロットと、後ちょっと基本の操縦さえ出来たらいいんだし。」
「シールド展開出来るようにならなきゃ、バレルロールなんて出来ないぜ。」
「…周りに誰もいなくて広いところでしかやらないなら、ちょっと姿勢制御下手でも、大丈夫だもん。」
「エノラ、マニューバのレベルが二段階に分けられてるのだって、ちゃんと意味があるんだ。シールド展開してRB本来の速度が出てたら、大きく機動変える時に機体にかかるシールド外からの圧力が、どのくらい強烈になるのか分かってるんだろ。基本のマニューバがしっかり身に付いてからじゃなきゃ、姿勢保つだけだって、舐めてかかったら危ないんだぜ。」
兵器としてのRBの威力と危険性を知り尽くしているタキガワとしては、エノラが簡単に口にしてしまう言葉は、あまりにいい加減であるとしか思えなかった。如何に夜明けの船の仲間として共に戦ってきたのだとはいえ、やはりパイロットの身体に染み付いた戦闘の記憶は、他のクルーとは比べ物にならない程限界ぎりぎりに張り詰めた、命のやり取りそのものである。そのプレッシャーに鍛え上げられた感覚、極限状況から生還するために必要不可欠である、身体に叩き込むような基本的な機体操作の重要性というようなものは、しかし、エノラには今ひとつ認識し難いものであったらしい。頑とした口調で言い切ったタキガワの言葉を、高圧的態度と解釈したらしいエノラは、目に薄っすらと涙を浮かべて強張った唇を震わせながら、辛うじて言い返した。
「…タッキー、なに怒ってるのよ。」
「え、俺別に怒ってる訳じゃ」
その反応があまりにも想定外であったために、タキガワは驚きのあまり、思わず素っ頓狂な声を上げてエノラの顔をまじまじと見詰め返した。飛行学校の後輩指導の調子でつい厳しい口調になってしまったが、それは取りも直さず、エノラの身を案じるからこそのことである。しかしエノラの側からすれば、目前でいきなり大声を上げられたのは完全な逆効果だった。何とか堪えていた緊張感が一気に爆発して、エノラはタキガワに負けじと大声を上げ、後は堰を切ったように、常日頃押さえ込んでいた気持ちが声となってあふれ出した。
「何よ、私が操縦ちっとも上手くならないから、いちいち教えるのが面倒なんでしょ。」
「そんなこと言ってないじゃんかよ!」
「いくら頑張ったって、タッキーみたいになんて操縦出来る訳ないじゃないの!」
「真面目に練習しもしねーで、上手くなる訳ないだろうが。」
「ばかっっ! タッキーのいじわる!!」
反射的にあれこれ言い返してしまったものの、エノラの両の眼に透明な涙があふれ出すに至って、タキガワははたと我に返った。エノラがおしゃべりでこそあれこれと文句を言ってはいたものの、操縦訓練について、決して不真面目だったという訳ではなかったのは、タキガワが一番良く知っていた。どちらかと言えば、慣れない操縦という体験に少しでも早く馴染もうと、真剣にじっと取り組んでいるその姿に、タキガワとしては密かに好感を抱いていたことすら事実なのである。しかし一度口からこぼれてしまった言葉を、今更回収する訳にもいかず、頭の中が真っ白になって立ち尽くすタキガワを、きりりと睨み返したエノラは、そのままくるりと背を向けると、ぱたぱたと賑やかに足音を響かせながら、一直線にハンガーを飛び出して行った。
呆然と固まっているそのタキガワの視界の隅を、お馴染みの濃い青の制服が近付いてくる。一向に回らない思考を停止させたまま、機械的にそちらへと首を巡らせたタキガワに向かって、はるかがにやりと笑みを返すのが眼に入った。
「こら、女の子泣かしたわね。」
「……んだよ、立ち聞きかよ。」
「私は最初からずーっと、希望号の隣でお仕事してましたー。」
言われてみれば、確かにはるかはいつも通り、希望号の周囲で作業についていた筈である。エノラと話し込むうち、そういう周囲の状況にやや鈍くなっている自分に今更のように気が付いて、タキガワは思わず再び眉間に皺を刻んで、口元を引き結んだ。
「…ちぇっ、ウィッカはいつも女の味方じゃん。」
「そんなこと無いわよ。女の子の方が悪いと思ったら、ちゃんとそれなりに言うんだけど、夜明けの船の場合、大抵は男共に問題ありなんだもん。」
「…俺が悪者なのかよ。」
少なくともタキガワの善悪の判断基準からするなら、それが事実であることは、誰よりもタキガワ自身がよく分かっていた。確かにエノラの発言には、基礎訓練の繰り返しにうんざりしている様子がくっきりとにじんでいたし、彼女の判断が未だ甘いのも事実である。それを直していかなくては、という先輩パイロットとしての責任感もさることながら、と言ってもそういった訓練が、本当の意味で身体に染み込んで自分のものとして体得出来るには、それなりの時間がかかるものだということは、タキガワも分かり過ぎる程に良く分かっていたのである。
はるかの断罪を待つような心持で、奥歯を噛み締めて立ち尽くしていたタキガワの耳に、柔らかく囁くようなはるかの声が響いた。
「タッキーは、エノラのことが心配だったんでしょ?」
その言葉が、自分の内側に染み込んで来るのを待っているかのように、タキガワはそのまま身じろぎもせずに視線を下げて宙を睨んでいた。それからのろのろと、ぜんまいじかけの古ぼけたおもちゃのようなぎこちなさで、上目遣いに見上げたタキガワに向かって、はるかがため息交じりのなだめるような笑みを返した。
「…RBの操縦を舐めてたら、本人が危ねぇだけだろ。」
「うーん、まあ、でもそれは、もうちょっとパイロット体験してみてからじゃないと、分からないかもね。」
「……分かんないのかな。」
「タッキーだって、最初から整備班のみんなが、直ぐボロになって帰ってくるRBを、徹夜してぴかぴかに磨いてる気持ちが分かってた?」
「…あ、えっと、その…。」
「エノラは、負けず嫌いだからそういう風に見せないようにしてたけど、カリキュラムなかなか進まないからって、ずっと気にしてたの、ちゃんと分かってる? タキガワの指導が悪い訳じゃないからって、何度もヤガミに言ってたんだから。」
「……。」
「今のやり取りだけだと、タッキーが言ってたこともだいたい間違ってないと思うけど。でもそういうエノラの気持ちに今まで気が付いてなくて、無神経なことを言ったのは、事実だよね。」
いつにない静かな口調でそこまでを告げたはるかが、黙って見詰めているその目の前で、タキガワはゆっくりと沈み込むように、一度視線を下げた。そのまま、瞬きもせずに真っ直ぐに自分の気持ちと向かい合っていたタキガワは、やがて決心がついたとでもいうように、揺るぎ無い気持ちの表れのような真っ直ぐな視線を上げて、はるかを見詰め返した。
「…俺、ちょっとエノラに謝ってくるわ。」
「うん、行ってらっしゃい。」
さも当たり前のことを為しに行くのだとでも言いたげな、気負いの無い落ち着いたタキガワの声を聞いて、はるかはにこりと笑みを見せた。そのはるかにぺこりと、大人びて機敏な動きで一礼すると、そのままタキガワは一目散にエノラの後を追って、ハンガーを駆け出していった。
その後姿を見送ったはるかは、もう一度優しい笑みをその口元に浮かべながら、小さな声で呟いた。
「うーん、なかなか将来有望、かも。惜しいことをしたかなー。」
まるでその言葉に呼ばれたかのように、希望号の影からするりと音も無くヤガミが姿を見せる。優しい笑みを見せたままのはるかに向かって、こちらは対照的に憮然とした表情のまま、不機嫌を隠しもしない口調でぼそりとヤガミは呟きを返した。
「……聞き捨てならないことを聞いた気がするんだが。」
「えー、そんなところに隠れたまんまのヤガミとは、違うかなーとか思うでしょ。」
「何かと言うと俺が出て行って甘やかしてると、本人達の為にならない。」
「またそういう屁理屈を言うし。いいじゃないの、今回はちゃんと自分で考えて答えを出せたんだから、少しぐらい誉めてあげたって。だいたいヤガミだって、心配でしょうがないくせにー。」
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