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2009年8月13日 (木)

ペルセウスの矢

 

 

***   風の往く道8   ***

 

ハンガーに居並ぶ人々の誰もが、そして整備班のBALLS達が、さらに言うなら、これからパイロット達が乗り込もうとしているそのRBまでもが固唾を呑んで見守る中で、鳴り響くMAKIのカウントダウンがゼロアワーを告げた瞬間、背中合わせに佇んでいた二人は、まるで放たれた矢のように勢いよく正反対の方向へと走り出した。ちょうど改良RBの横で待機しているエノラに向かって走り込む形になったタキガワは、祈るような視線を送るエノラを視界の隅に捉え、瞬間ぐいと拳を握ってみせながらその目前を駆け抜けた。精密な時間測定の為、先にフライトチェックを終わらせ、待ちかねた様に大きく口を開けていたRBに、パイロット達の身体は次々と飲み込まれて行った。

火星独立戦線として数え切れない程の出撃を繰り返したパイロット達にとっても、こんなコンマ1秒をすら争うスタートは、滅多に体験するものではなかった。まして、自他共に認める即席パイロットのはるかは、単調な作業を最短時間で消化する訓練などまるで無縁である上に、性格的にお世辞にもそういった細かい集中が得意とは言えないだろう。一方のタキガワは、やはり正規の動作訓練を幼い頃から叩き込まれていただけのことはあり、こういった所要時間のロスを最小限に押さえ込むために、基本動作を身体に記憶させることに慣れていた。

ひとつひとつの動作におけるその差異は、もちろん極めて小さなものでしかない。これをどれだけ繰り返して蓄積し、実際の記録差として眼に見えるまでに積み上げるのか、それはパイロットの腕に掛かっているのだ。出撃に至るチェックのルーチンを外しても、この差はやはりじりじりと眼に見え始め、二機のRBがレースコースの軌道へと加速を始める頃には、タキガワ機は希望号に、ほんの一歩ではあるが先んじることに成功していた。

「…タキガワはレース向きだな。」
MAKIがランダムに選択した今回のコースが大写しになったスクリーンの中で、二機のRBを表すマーカーが先を争うのを眺めながら、ヤガミは思わず独りごちた。今頃コックピットの中でも、これと同じコース概要が表示され、はるかとタキガワはその攻略に頭を捻っている筈である。限界テスト向けの設定である今回は、まずスタートダッシュで思い切り加速するルートまではあらかじめ予告され、途中からコース分岐のランダム選択がされるようになっていた。その直線から最初のポイント通過後、どう次のポイントへと機体を方向転換させるのかが、第一の関門だった。

「…現在までのところ、二機共に機体の異常は見られません。」
機体データの収集を統括するエノラが、緊張に張り詰めた堅い声を上げた。エノラ達若手チームが手塩にかけた改良RBは、このレースに至るまで大きな問題点を見せる事もなく順調な動作を続けていたが、手加減無しの負荷を掛けたテストはもちろんこれが始めてであり、何が起こるのかは正直予想が付かない状況だった。思いつく限り、有りと有らゆる切り口で観測されるデータが、時事刻々と踊りながら表示されるグラフ群に、誰もが油断なく目を走らせながら、息を潜めるようにして見守っている。しかし、そんな整備班の心配を余所に、タキガワ機のマーカーは希望号を従えたまま、躊躇なく急加速を重ね続けていた。

白兵突撃と一撃離脱を旨として設計された黒い新型RBは、少なくとも直線のスピード勝負においては、これまでも希望号や士翼号に引けを取らない記録を叩き出している。だが、機体の姿勢を大きく変えるようなマニューバ選択に際して、急激に速度を削がれるなどの不安定な部分が有り、結果として動作のロスが大きくなってしまうのが難点となっていた。これが関節部を原因とするものではと見事指摘してみせたのははるかだったが、彼女の操縦する限りにおいては、逆にこのロスが奇妙な程小さくなるのである。

例によって最後にはなんとなくで押し切られてしまうはるかの証言のため、その明確な原因は特定出来ていなかったが、機体全体のデザイン設計的不備といった根本的な問題ではなく、ほんの僅かな姿勢制御のこつのようなもので回避出来ることは明らかだった。その改良を機体性能として実現させるために、努力を重ねてきた整備班員一同が、自分達の成果の現出する瞬間を待って見守る中、風のように走り続けたRB達は、精密な観測のためにそれぞれに用意されたチェックポイントを駆け抜けた。タキガワ機を示すオレンジのマーカーが一瞬先にスクリーン上に瞬き、表示されたその数字に、整備班からどよめきの声が上がった。

「た、タッキー、飛ばし過ぎ…。」
「これだけ思い切りよく加速に踏み切れるとは、いい度胸だ。これは本物だな。タキガワは、限界テスト専門のパイロットになれるぞ。」
「え、だってそれ、戦闘パイロットとどっちもどっちなぐらい、危ないんじゃないの。」
「…まあ、整備班がしっかりしていれば、少しは安全だと思うが。」
続いてスクリーン上に瞬いた希望号のタイムが、最初に付けられた差をそのまま維持しているのを確認しながら、ぼそりとヤガミは答えた。内容はどうあれ、何時になく優しい口調で告げられたその言葉に、唇を尖らせて反論しようとしたエノラは、ぐっとそれを飲み込んで、踊るデータ解析グラフへと食い入るように目を走らせた。

第一から二次元的距離をほとんど空けずに、大きく深海方面に深さだけ潜り込んだ位置に設置された第二ポイントに向かって、タキガワ機が超高速を維持したまま豪快なバレルロールを敢行する。息を詰めてデータ群に視線を動かす整備班の目前で、続いてタキガワ機は滑らかなシールドダイブへと繋いで海をえぐり込んだ。この瞬間を待っていた一同が必死でデータの山を目で追う間に、一歩先んじてその意味を読み終えたヤガミは、エノラに席を譲って声を上げた。

「エノラ、データの状況は。」
「ま、待って…測定サインはオール・グリーン、機体動作のロスは、目標範囲内。……性能確認、オーケーです!」
次の瞬間、ハンガー内に歓声が響き渡る。それは長く地道な、隠された戦いを続けてきた整備班という集団が、目に見える勝利を掴んだ瞬間だった。

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