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2009年9月19日 (土)

吉田の流鏑馬

 

 

***   風の往く道18   ***

 

結局じりじりとリードを広げられ、最終的にはくっきりと差を付けられてしまったタキガワ機を残して、希望号がゴールを突破した瞬間、ハンガーのあちこちでは再び失望のため息が響いた。前回の勝利で欲が出たのいうのは、何もタキガワだけのことではなかった。地道な日常を積み重ねる整備班にとって、こんな晴舞台の機会など滅多に回って来るものではなかったし、それだけ彼らが、今回のRB改良プロジェクトに自信と思い入れを持っていたことの現れでもあるだろう。

そんな整備班の面々に現実を宣告するかのように、冷静なMAKIのアナウンスが正確なタイムを告げて響いている。その声を聞きながら、たった今まで繰り広げられていたレースの生データが、刻々と集まって来るのをじっと観察していたエノラは、ふと顔を上げてヤガミに話しかけた。
「…えっと、あの、ヤガミ…ウィッカのマニューバ選択が表示されてないのは、測定ミスじゃなくて、既存マニューバには無いパターンセットだから、よね?」

自分の感覚を何とか言い表そうと、苦労して言葉を選んでいるエノラに、ヤガミは思わず驚きを隠し切れない視線を投げかけた。確かにエノラは整備班として大変優秀な仕事ぶりを見せて、今回の改良プロジェクトにおいても、アイデアの着想から実際の基本設計や作業計画の遂行まで、中心的な役割を果たしてきたことは紛れも無い事実である。とはいえ、彼女がRBに携わったのはあくまでも夜明けの船にやってきてからのことであり、実際の整備経験から言えば、おそらくハンガー内でも最も期間は短いくらいの筈である。その彼女が、他の整備班員達が情報の把握に右往左往する中、いち早く状況の核心を捉えている。ヤガミは思わず心中で、彼女の勘の良さに舌を巻きながら、こちらも慎重に言葉を選びながら返事を返した。

「…まあ、その可能性が、一番高いだろうな。」
「実はね、新しいマニューバ開発については、タッキーともちょっと相談してたの。機体の特性が、他のRBと大きく違うようなレベルになったら、その機体特有のマニューバとか、あっても良いわよね。」
「……言う程簡単には行かないぞ。」
「それはタッキーにも言われたけど。でも、シールドを小さくする方向へコントロールするなんて、ウィッカがやるまで誰も考えなかったのに、ちゃんとタイムとして成績上げてるんだし。それを機体性能として、RBに取り込めたらいいなと思ってたんだけど…。」

ヤガミに向かって話を続けながらも、エノラはヤガミの意見を聞いているというより、自分の内部でもやもやと感じている情報をはっきりとした形に捕まえようとしているかのように、じっくりと考えながら言葉を確認している。セオリーという経験の積み重ねから発生する常識を覆してしまう、はるかのような存在を理解するのは、やはり経験よりも目前の観察と直感に集中出来るエノラのようなタイプなのかと、ヤガミとしては、どこか嫉妬にも似た羨ましさを感じなくもない。ともあれ、一度のレースの勝敗に気を取られることもなく、きちんと未来への眼差しを持ち続けるエノラの様子は、十分に頼もしいというのも事実である。その揺るぎない表情に満足したヤガミが、口元が緩みそうになるのを何とか引き締めつつ、現実的な渋いコメントを返そうとしたその時、遅れてゴールした筈の、タキガワ機着艦のアナウンスが響き渡った。はたと顔を上げたエノラを始めとする整備班の面々が、あたふたと対応作業に動き出す中、一抹の不安を感じたヤガミは、ぼそりとした声を上げた。

「…MAKI、希望号はどうした。」
「希望号は現在オートパイロットにて、夜明けの船に接近中です。」
「……オートパイロット?」
地道な定型作業の苦手なはるかが、機械任せに出来る自動ルーチンに頼ってしまうのはいつものことだが、それにしてもその帰艦態勢に入るまでの間にも、微妙に時間的空白がある。ヤガミは、先程から気持ちの奥底に感じつつも、自分で否定して押し込めていた嫌な予感が、ゆっくりと立ち上がって現実味を帯びて来たことに、表情を固くした。

たった今はるかが見せ付けたような彼女の本気は、これまでたった一度だけ披露され、その結果、夜明けの船は火星独立戦線の勝利を勝ち取った。しかしその代償として、はるかは生死の縁を彷徨うような衰弱に陥ったのである。どうしてあんなことになってしまったのか、はるかの口を割らせてその説明を得る機会は終になく、結局真相は未だ闇の中ではあるが、だが、あれと同じことがもう起きないという保証は、何処にも無かった。忍び寄る悪い予感に、思わずごくりと乾いた唾を飲み下したヤガミを、まるで意地悪く驚かすかのように、タキガワ機が戻って来る大音響がハンガーに響き渡った。

ゴールからの時間を考えると、一目散に夜明けの船へと向かったらしい最短時間での着艦に、やや上の空で対応する整備班の見守る間を、常と少しも変わらない生真面目さで作業をするBALLS達が行き交っている。前回の大勝利に逆に激怒したタキガワを考えると、くっきりと差を付けられた今回の敗北に、当のタキガワがどんな反応を示すのか、今一つ掴めないでいるエノラ達の目前で、いつものようにハッチが高く口を開けた。しかしいつもなら、それを待ち兼ねるように勢いよく飛び出してくるタキガワが、今日はそのままコックピットに身を沈めたままでいる。

その表情に思わず不安の色をにじませているエノラが、そっとコックピットの影の中を覗き込んだ。タキガワはシートに身体を預けるようにもたれたままで、目前のコンソールをじっと睨みつけるようにしている。声をかけようなどうしようかと迷うエノラの前で、しかしタキガワは、何の前触れも無くはっと勢いよく顔を上げた。
「……そうか、回転だ!」
「…あ、えっ?」
いきなり上がった大声に、思わずびっくりと固まったエノラをくるりと振り返りながら、タキガワは明るい声でそのまままくし立てた。

「ウィッカはシールドの内側でわざと希望号を回転させて、自分で流れを作り出してるんだ。あの力がシールドの外側と接触する時に、これまでのマニューバ展開には無かった反応を起こす、これを利用して機体操作をするから、今のRBには出来なかったパターンセットが組めるんじゃねーかな。」
興奮を隠し切れない様子で声を上げながら、賑やかにタキガワはコックピットから這い出して来た。こちらもレースの勝敗はすっかり忘れ去って、今後の新たな方向性を夢中で考えているらしいタキガワの声に、ようやく安堵の息を吐いたエノラは、こちらも明るい声で調子を合わせた。

「…そっか、ハンガーからのデータ収集だと断片しか追えなくて、新しいマニューバかもとしか分からなかったけど、シールドの内部での動作が今までと違う訳なのね。」
「おう、これまでと同じように、RB全体の速度や機動のバランスだけ考えてたら、あんな行動パターンはとても選択出来ないぜ。別の物理条件が存在するとしたら、シールドの内側で起こってることを織り込むしかないと思う。パイロットでないと分かんねー感覚かもな…。」

まるでそのまま、次の改良プランの計画に突入してしまいそうなタキガワとエノラの様子に聞き耳を立てながら、そちらは放っておいても大丈夫そうだと判断したヤガミは、目前で着艦して来ようとしている希望号に、改めて意識を集中させた。以前の時にも、出撃前のはるかに体調不良の兆候は全く無かった。戦闘を終えたはるかが、昏睡状態に陥る程の容体になってしまったのは、火星独立戦線も末期、人間の限界を大きく超えた長時間の激闘を、機械義体ならではの能力で押し切った反動であると、当時誰もが考えていた。

だから、今回のような短時間のテストレースと、あの時の事を結び付けて考えるような人間は、少なくとも今のハンガーには、ヤガミの他にはいないだろう。しかしヤガミは、急き立てられるような自分の焦燥感と戦うようにして、じっと足を踏み締めて仁王立ちに腕を組んだまま、希望号のチェックが済むのを睨みつけていた。やけに長く感じられるルーチン作業が終了し、希望号のハッチがその重い口を開けた瞬間、ヤガミはそれ以上我慢仕切れず、希望号へと足早に歩み寄った。ヤガミがコックピットの中を覗き込もうとするまでもなく、まるでその扉が開くのを待ち兼ねていたとでもいうように、その縁にはるかの腕がかかるのが見える。それに続いて這い出して来たはるかが、その顔を重そうに伏せたまま、よろめくように身体を操っているのを目にしたヤガミは、反射的に大声を上げその名前を呼んでいた。

「はるか!」
その声に気だるげに振り返ったはるかは、緩慢な動作でコックピットから身を引き上げたものの、そのままハッチの縁に身を預けたまま喘ぐように大きく息を吐いている。無意識にはるかに向かって走り出したヤガミへと向けられたその顔が、微かに歪められたかと思うと、細い腕が重そうにもたげられた。大慌てで駆け寄ったヤガミがこちらも腕を伸ばすと、はるかはその腕を迷わずヤガミの首へと回し、全身を預けて身を投げ出すようにしてすがり付いた。柔らかい頬をヤガミの胸に埋めているはるかを抱きとめながら、希望号に足を掛けて何とかバランスを保っているヤガミの周囲で、いつにないその二人の行動に、周囲の整備班員から驚きの声が上がる。

「おいっ、はるか、しっかりしろ!」
呑気な周囲の反応もろくに耳には入らないまま、焦りの声を上げてはるかの身体を揺すり上げるヤガミに、辛うじてはるかのか細い呟きが届いた。
「……お腹…空いた…。」
「……は?」
素っ頓狂な返事を反射的に返しながらも、思わず自分の耳を疑って硬直したヤガミに、容赦なく追い打ちを掛けるかのように、胸の中のはるかが切なそうな声を上げた。
「…うーん、お腹空いたよう、ヤガミ…シュークリームかケーキ、でもチョコレートも捨てがたい…ううーん…。」

その言葉のあまりに予想外の内容に、瞬間で頭の中が真っ白になったヤガミは、何とか保っていた身体のバランスを見事に崩し、二人分の体重を合せてぐらりとよろめいた。辛くもはるかの身体を胸に庇いつつ、その下敷きになる形で派手な音を立てながら、そのままヤガミは成す術もなく背中から床に墜落する。その音に何事かと集まってくる人々に囲まれつつも、我関せずとヤガミに抱き着いたままのはるかは、まるで駄々をこねる子供さながらにその頬をヤガミの胸に擦り付けるようにしながら、ぶつぶつとお菓子の名前を並べ立てている。

その傍らにしゃがみこんで言葉を聞き取っていたエノラは、引きつった曖昧な笑みを周囲に向けながら、律義に待機するBALLSに声を掛けた。
「ええっと、BALLS達、ウィッカを運んであげてね。ついでだから、ヤガミごと…ヤガミの方が重症かもだけど。医務室……んー、食堂?」

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