サーカスの日
「で、どうしてヤガミがここにいるの?」
「…それは、俺の台詞だろう。」
「えー、だってお誘いの現場に居合わせたからには、お見送りしなくちゃでしょ。」
「……脈絡がおかしいんじゃないのか。」
「そんなことないわよ。当然の権利でしょうが。」
「……?」
「あっ、違った、義務でした。いやだから、新しい門出を見届けるというね、すーこーな責務をね、」
「…墓穴を広げてる気がするんだが。」
火星の海を自由に航行することが可能となった現在の夜明けの船では、都市船への入港も艦内と都市船との”時差”を考慮し、到着時間を考えた航行速度の調整が行われるようになっていた。特に都市船での朝の時間帯の入港の場合、外出時の行動が最も効率良く計画出来ることもあって、出掛けて行くクルーで混雑する光景が見られるような状況となる。普段ならそんな風に、休日に浮かれる人々でごった返す筈の夜明けの船の艦外ハッチ付近は、その日、奇妙な緊張感を隠す閑散とした静けさに包まれていた。何処からとも無くタキガワとエノラの外出の噂は、夜明けの船の艦内に瞬く間に広がっていたが、それを見事読んでいたヤガミが、最も野次馬根性のあからさまな陸戦隊員達を、体よくトレーニングルームに閉じ込めたのを始め、各部署にそつなく外せない業務を割り振って、空白の時間を作り出すことに成功していたのである。
とはいえ、パイロットであるはるかだけは、都市船入港時に外せない業務を押し付けるというのもなかなかに難しい。どの道はるかの性格からすれば、どんな仕事を言い付けようと来る時には来る、そう諦めでもしたのか、一人放置された形のはるかは、朝早くからエレベータホールのソファに陣取ったままである。そこから動こうとしないはるかの横には、ヤガミが佇んだままで、先程から妙な掛け合いを続けている。
「で、何時頃出掛けるのかなー。」
「…そんなことは知らん。」
「え、だってヤガミがそんなに長い時間、ぼーっと大人しく立って待ってるとは思えないもん。タッキーと作戦会議とかしてるんじゃないの?」
見事に行動パターンを読まれてしまっていることに、微妙に嬉しさを隠した憮然とした表情を見せながら、ヤガミはちらと視線を腕時計に走らせた。具体的な外出のスケジュールは、タキガワからエノラに伝えられている筈だったが、はるかがそれを、エノラから聞き出しているということでもないらしい。お節介に他人の事情に首を突っ込む割りには、他人への興味本位の関心はどこか希薄で、ある一線のプライベートの向こう側には一切頓着しないという、はるからしいところであるかもしれない。
「…はっきりと予定を聞いた訳じゃないが、タキガワが拘って確認していた時間帯からすると、そろそろ出発だろう。」
「ふーん、確かめてもいないのに、こんなに徹底的に人払いまでしちゃってるんだ。何処へ遊びに行くのかとかも、マニュアル伝授でもしてるんじゃないの?」
「……別に、俺は、人払いなんてものは何もしていないし、遊びのスケジュールぐらい、自分で立てられなくてどうするんだ。」
「ああ、はいはい。まあ、ヤガミにデートマニュアルを教わっても、ねえ。」
「…何か、不満でもあるのか。」
「ん? 別に不満はないけど。」
「……それはつまり、特に期待もしないという意味か。」
「えー、何もそこで拗ねなくても。」
タキガワが泣き付いてきた時に備えてと、自らに言い訳しながら、都市船で話題のスポットなど物色している内に、自分でもはるかと出掛けてみようかと密かに計画を膨らませていたヤガミは、はるかの態度にへそを曲げて、むっつりと口元を引き結んだ。そんなヤガミの横顔を、ソファに座った低い位置から見上げつつ、はるかは少し柔らかい声で言葉を続けた。
「ま、男の子は、何処へ行こうか何をしようかとか、そういうのを考えるのが好きよね。でも、女の子としては、誰と行くのかの方が問題なのよ。相手を飽きさせないようにとか、もちろん退屈よりはいいけど、お互いがちゃんと話しを出来るなら、あんまり関係ない気がするけど。」
はるかは一度言葉を途切れさせて、ヤガミを見上げたままにこりと笑って見せた。それからぽつりと、小さな声で言葉を続けた。
「別に、特別なお出掛けとかじゃなくても、夜明けの船の中でも、普通の公園でも、そういうのでいいのよ。」
「……エノラは、そこまで枯れてない気もするがな。」
「あはは、確かに。エノラはお持て成しされなれてるだろうし、その辺りはタッキーが少し頭使わないとな分は、普通の女の子より大変かもね。まー、色々楽しく遊べれば、その方がいいけどー。」
いつも通りのはるかの笑顔を見下ろしながら、ヤガミがそのソファの横へと座ろうかどうしようか、躊躇したその時だった。エレベータの到着を告げる軽やかなチャイムの音が、ホールに響き渡る。ヤガミとはるかとがそっくり同じタイミングで投げかけた視線のその先で、気合のこもったきりりとした表情のタキガワが、エレベータから勢いよく降りて来た。が、自分に注がれている二人の視線に気が付いた途端、今までの勢いは何処へやら、タキガワは顔を真っ赤に染めながら悲鳴のような声を上げた。
「な、何でヤガミとウィッカがこんなところにいるんだよ!」
「えー、別にー、ただふつーにソファで休憩して、ヤガミとおしゃべりしてるだけよ、ねー。」
「…まあ、嘘ではないな。」
「ていうかさ、何でこんな誰もいないんだよ…。」
まるでホールに響いた自分の声に驚いたとでもいうように、タキガワの声は急速に小さくなった。どうやら外出するクルーで混雑しているところに紛れて、艦外へと出て行こうとしていたらしいが、自分達の噂がすっかり艦内に知れ渡っているということなど、想像だにしていないらしい。がらんとしたホールにはただでさえ声は響きやすいが、それを極力押さえ込もうというつもりなのか、ぼそぼそと呟きながらよろめく様にソファへと歩み寄ってくるタキガワだったが、はるかはそんな気遣いを蹴り飛ばすかのような、平然とした声で答えた。
「今日は何だか、たまたまー、どこの部署もまだ仕事の片づけが終わってないみたい、よ?」
「……何なんだよ、それ…。」
「そうか、陸戦隊員一同の万歳三唱で送り出して欲しかったのか?」
「だから一体何なんだよ、それは!」
「だって、もう、艦内のみーんな知ってるのよ? ちなみに私は、誓ってリークしていません。」
「もちろん俺もしていないが。艦内ゴシップの情報網を甘く見たな。」
完全に予想外のことを言われたらしいタキガワは、反射的に大きく息を吸い込んだそのままで見事に硬直した。あまりに予想通りの反応ではあったが、はるかとヤガミとが辛抱強く立ち直るのを待っていると、やがてぜいぜいと肩で息をしながらも、やっと事でタキガワは言葉を取り戻した。
「…それでなんか昨夜から、変な顔でみんなにやにやして…。」
「なあに、そこまで気が付いてて、バレてるとは思わなかったの?」
あまりに至極当然なはるかの指摘に、タキガワは見事に真っ赤な顔のまま黙りこくった。おそらくタキガワにしてみれば、はっきり言って外野の様子まで考えている余裕など微塵も無かったのだろう。ようやく周囲の状況が飲み込めたらしいタキガワは、ヤガミ達が見守る目の前で、さらにもうしばらく、必死で思考を巡らせているらしい真剣な表情で、じっと立ち尽くしていた。そして、自分の決意が固まったらしいきりっとした動作で再び顔を上げると、頑固そうに口元を引き締めたまま、大きな声を上げた。
「誰が何を言おうが、どう騒ごうが、そんなことは関係ねーから。俺が、エノラと出掛けたいから誘ったんだ、どうこう言われたって構うもんか。」
タキガワの声がホールに力強く響いた正にその瞬間、ハンガーへと続く扉が、するりと開いた。その向こう側から、少し急ぎ足に階段を昇ってきたらしいエノラが、息を弾ませて勢い良く飛び出してきたのだ。タキガワの言葉の、少なくとも後ろ半分が響き渡るその声を、エノラははっきりと耳に捕らえていた。出会い頭にその声に迎えられた形となったエノラは、驚いてその場に足を止める。あまりのタイミングに、ソファに座ったままで眼を丸々と見開いたはるかの表情に慌てて振り返ったタキガワは、ようやくエノラの存在に気が付いたようだった。そのまま今度こそ、息を吸い込むことすら出来ずに完全に硬直したタキガワの姿に、一瞬だけ速く事態を把握したヤガミが素早く歩み寄った。
「そこまで言えるなら合格だろう。その言葉を、自分とエノラに証明してくるんだな。」
口元を歪めただけの微妙な笑みを浮かべながら、タキガワの背中に活を入れるようにして、ヤガミはぴしりと小気味の良い音を立てて手の平を打ち付けた。その勢いに軽く前のめりになったタキガワは、ようやく呼吸と意識を取り戻したかのように、何とか荒い息遣いを押さえ込んで、もう一度しっかりと足を踏みしめるようにぐいと背筋を伸ばす。そして、思いも掛けない言葉に出迎えられて、真っ赤になって立ち竦んでいたエノラに歩み寄ると、タキガワは大きく息を吸い込んで、その割にはぽつりと小さな声で呟いた。
「…あ、あのさ……もう、具合、大丈夫かよ。」
その台詞を聞いて、反射的に大爆笑しそうになる自分を辛うじて制止したはるかが、それでも堪え切れずにソファの上で身体を二つ折りにして震えるように声を殺している。その態度の意味が分からなかったヤガミが、不審げに振り返るのと、茹でられた様に真っ赤に顔を染めたままのタキガワがぎろりと睨み付けるのと、二つの視線に曝されたはるかは、涙目になりながら口元を片手で覆って、もう片方の手をひらひらと振ってみせた。
「…ご、ごめん…許し…。もう、笑わない、笑わないから…さ、先をどうぞ。」
「……タッキーは、出掛ける準備はもういいの?」
笑いを堪え切れているとはお世辞にも言えないはるかの声に、なけなしの精神力を大きく削り取れらたように停止しているタキガワの隣で、不意にエノラが声を上げた。その言葉を理解するのに、一瞬の間が必要だったタキガワが、一拍遅れて、慌てて言葉を唇に乗せることに成功した。
「あ、ああ、俺は別に、準備って言うか…。」
「そう、待たせちゃって、ごめんね。ちょっとハンガーの片付けをしてたの。準備がいいなら、出掛けようか。」
「お、おう…。」
「じゃあね、ウィッカ。ヤガミも、行ってきます。」
「……うん、行ってらっしゃい、エノラ。気を付けてね。」
「大丈夫、タッキーと一緒だから。行こう、タッキー。」
真っ直ぐに顔を上げてにこりと微笑むエノラを、まるで眩しい何かに見惚れるようにぼうっと眺めていたタキガワは、その言葉にはっと我に返った。そして、ほとんど彼女の方が先に行ってしまいそうに元気良く歩き出すエノラの、辛うじて半歩先を進もうとするかのように、タキガワも大きな歩幅でしっかりと足を踏み締めながら、艦外へと続くハッチへと歩み寄った。はるかとヤガミとが見守る目前で、そのままあっという間に二人の姿は、夜明けの船のその体内から抜け出して行った。事の成り行きに呆然としながらそれを見送って、やがてはるかが、ぽつりと呟いた。
「……んー、何だか、将来の何かが、見えちゃったような。」
「…取りあえず、タキガワの健闘も認めてやらないと可哀相だろう。予想外の踏ん張りだと思うが。」
「うーん、それは確かに否定しないけども…ちょっと、エノラのレベルが…。」
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