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2009年10月10日 (土)

土師一流催馬楽神楽

 

 

***   すぃーと・すーべにあ   ***

 

都市船での面倒な折衝を終え、夜明けの船へと辿り着いたヤガミは、人気の無い艦内の通路に忙しない靴音を響かせながら、その残響の中を足早に通り過ぎていた。夜明けの船には夜明けの船の艦内時間があるように、各都市船にもまた、それぞれ独自の時計がある。比較的地域の近い都市船が同じ時間軸を採用することはあっても、火星全土に散らばる都市船の時計が統一されている訳ではない。同じ火星の都市船同士であっても、その辿ってきた歴史と文化背景には、やはりそれなりの事情に基づく違いが存在していた。

その間を行き来する潜水艦にとって、上陸時における艦内との時差は、避けようのないものであった。都市船での仕事が予定より長引き、夜明けの船としては、かなり深夜に食い込んだ時間帯の帰艦に、微妙な焦りがヤガミの靴音にはありありと滲んでいる。そんなヤガミが、持参した白い小箱を珍しくも丁寧に掲げるようにして持ちながら向かった先は、はるかの部屋だった。一目散の勢いで艦内を抜け、目的地へと辿り着いたヤガミは、そこで初めて躊躇して、緊張にごくりと唾を飲み込んだ。何と言っても、遅刻には前科があるのだ。これでまたしてもはるかが待ちくたびれてへそを曲げでもすれば、再び厄介なことになる。

一瞬の硬直の後に、何とか自分を奮い立たせたヤガミは、その勢いが消えてしまわない内にとでもいうように、はるかの部屋の扉を目がけて突進した。まるでその唐突な勢いに驚いたかのような反応を見せて、自動ドアがその扉を開いて道を譲る。だが、戦場に飛び込むような形相で部屋へと侵入したヤガミを出迎えたのは、いつも通りの明るいはるかの声だった。
「あ、お帰りなさい、ヤガミ。」

室内の奥にあるデスクの辺りで、その上に飾られた花を直していたらしいはるかが、振り返りながら満面の笑みを浮かべているのが見える。機嫌を損ねるどころか、そのままにこやかな顔一杯の笑顔を浮かべ、いそいそと出迎えに歩み寄って来るはるかを見詰めながら、ヤガミは予想が外れたことを喜ぶべきなのかどうか微妙に迷いながら、ぼそりと声を上げた。
「…お前が待ってるのは、これの方だろうが。」
「わーい、ケーキちゃんと買ってきてくれたんだ。ありがとー!」
「……これで土産が無かったら、一体何を言われるやら。」

何のことは無い、はるかが珍しくも機嫌よくヤガミを出迎えたりしているのは、約束の土産を待ち兼ねてのことなのである。エノラやスイトピーから、火星上流階級で話題だというケーキの噂を聞き付けたはるかは、ヤガミが仕事で都市船へ向かうのをこれ幸いと、買い出し役に任命していたのだった。いつもなら、自分で行けとにべもなく断るであろうヤガミだったが、未だ体調が万全ではないはるかが、無闇に夜明けの船を出てうろつくのはどうも気掛かりで、つい断り切れなかったというところなのであった。

「えー、そんなひねくれなくてもー。せっかく一緒に食べようと思って、ちゃんと用意して待ってたんだからー。」
子供のように屈託の無い嬉しそうな表情で、ヤガミが突き出したケーキの箱を受け取ったはるかは、土産のその箱を大事そうに掲げながらも、ヤガミについと寄り添って見上げながら、にこりともう一度笑みを深めた。その柔らかな笑顔に瞬間見惚れてしまったヤガミは、はるかへと腕を伸ばそうかどうしようかと躊躇している隙に、その間合いからするりとはるかに逃げられて、思わず自分のへたれぶりに、こっそりとため息をもらした。

「…だから、ケーキを、待ってたんだろうが。」
「ヤガミと一緒に食べようと思って、お茶を用意して待っていました、これでいい?」
それでも、約束の時間よりはかなり遅れてしまったばつの悪さに、ぼそぼそとヤガミが返した言葉さえ、特に気にした様子も無く、はるかは明るい声で切り返しながら、さっさとテーブルへとケーキの小箱を運んで、そそくさと用意を始めている。そのテーブル上に、きちんとした本格的ティーセットが手際よく並べられるのを目にして、さすがのヤガミもそれ以上ひねる訳にもいかず、無言のままソファへと歩み寄った。

「はい、座って座って。ちゃんと美味しい紅茶をと思って、熱っついお湯も用意してあるんだから。おおー、懐かしの苺ショートケーキだ。」
楽しげな声を上げながら箱からケーキを取り出しているはるかの姿に、ようやくほっと胸を撫で下ろしたような心持ちのヤガミは、はるかが慣れた手つきでリーフティを用意している横へと、そっと腰を降ろした。スポンジケーキを生クリームで飾って苺を乗せた日本風のショートケーキは、誰が復活させたものやら、最近マワスプの間で密かな流行となっているらしい。これを懐かしいという人間が、現在の太陽系に一体何人いるだろうかと、取り留めの無いことを考えながら、ヤガミは紅茶を入れるはるかの手元を、ぼんやりと眺めていた。

「ヤガミのは、こっちのサバランでいいのね? やっぱアルコール系ケーキを選んで来たか。」
「…それは甘さを控えて、左党にも人気だそうだ。」
「んー、いっそ紅茶にもお酒入れる? ちょっと、ライトを消して、キャンドルにしてもいいかな。」
「…ああ、構わないが。」
機嫌よく軽口を返しながらも、見事な手際の良さでお茶の用意を整えたはるかは、こちらも慣れた手つきで幾つかのキャンドルに火を灯すと、部屋の明かりを小さく絞った。温かに揺れる光に浮かび上る、陰影の深いはるかの顔が、ヤガミに向かってぺこりと会釈をしたかと思うと、お預けを解かれた子犬のような勢いで、早速ケーキを口に運んでいる。フォークをくわえたそのままで、何やら機嫌よくもごもごと口を開けない感想を述べているらしいはるかの声が、薄明かりに響くのを聞いて、ヤガミもようやくといった様子で、表情を緩めた。しきりにこくこくと頷きながら、ケーキを口に運んでいるはるかの身体が揺れるたびに、柔らかな振動がヤガミにも伝わって来る。紅茶のティーカップを口に運びながら、その陰に表情を隠すようにしてヤガミがさりげなく身を寄せると、まだ口からフォークを離さないはるかは、それに目敏く気が付きながらも、くりりと瞳を動かしながらヤガミに向かってにこりと、陰の刻まれてもなお明るい笑顔を見せた。

「んーんー、美味しいー。さすが高級店は材料が違うのよね。自分で作るのも楽しいけど、やっぱプロの技も美味しいなー。」
「…そうだな。スポンジケーキに生クリームじゃ、素材の味で勝負するしかないだろう。」
「ええっと、サバランもちょっと美味そう、かなー。」
「……まあ、今日は待たせたからな。味見してみるか。」
「むう、アルコールたっぷりだと、私微妙に危ないかもというのが問題なのよね。今日はヤガミがいるからいいか。」
「……。」
「え、ちょっと、何でそこで黙るのよ。」
「……あ、いや、その…ライトを、元に戻すか。」
「うーん? 最近のヤガミは、何だか言葉の脈絡が変じゃない?」

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