« ビタミンの日 | トップページ | 若宮おんまつり »

2009年12月14日 (月)

なまえ

サーガにおいて解説される七つの螺旋モデルは、あくまでも時差という仮想の軸を視覚的に表現したトポロジー空間図においてのモデルであり、この概念図単独で物理域の関係性を完全に表現しているとは考えにくい。時差=視覚的距離と考え、物理的性質の遠近を表現することは出来ても、「どのように」異なっているのかという性質の差異そのものを表現していると断定することは出来ないのではないかと推測される。そのため、特に基幹技術に代表されるような、それぞれの世界固有の物理法則についての関係性は、もっと別の概念図が必要になるのではないかと考えられる。

第四世界と第五世界は二重世界と言われている。物理法則全体の差異が少なければ、それに基く人間の認識は大きく離れることなく、螺旋モデルにおける距離としての時差も小さくなり、またこの時差がゼロになった状態が、ワールドクロスなのではないかと考えられる。この場合、世界を導く指標としての基幹技術もまた、重なり合う物理的性質を持つものであり、そのために世界間の距離が小さくなるのではないだろうか。

しかし一方で、時間軸のある時点で物理域を共有していたとしても、世界の履歴が世界線として表現されるこの概念モデルでは、過去の履歴全体が共有されているとは限らない。その世界の内部で、現在進行している物理現象が共有されていても、過去の履歴を現在へと導入する記憶、即ち人間の認識は、同一にはならないのではないかと推測される。

このため、例えワールドクロス状態にある世界間だとしても、発生する物理現象を認識する際には、それぞれの世界に属する人間の間で、異なった知覚認識が行われるのではないかと考えられる。この場合、双方の世界で最も情報認識が異なっているのは、その世界の基幹技術に関連する物理法則なのではないだろうか。

「ヴァンシスカの悪魔」の舞台は第五と第六の分岐が始まる時代の物語であるとされ、つまりこの時代に至る歴史の一定期間では、第五と第六も重なり合っていたのではないかと推測出来る。この後第五、第六の物理域は離れていくことが語られているが、一方で第六世界はたくさんの世界に分裂し、様々な物理域へと飛び散った状態であるとも説明されている。同じ第六世界群の中でも、その物理的現象は大きく異なっている。だったら。

第四、第五、第六が最も近い世界線を描くような第六世界群のひとつが発見出来れば。これらの世界は、非常に似通った世界線を描いているのではないだろうか。

 

通常のWTGを通って伝達される情報は、その観測情報の差異は大変大きいものになるのではないかと推測される。情報の伝達に時差が存在する以上、ある世界で起こった現象の可能性が伝達され同一の可能性を持つ現象が発生するのは、別の時間であり、その時間差が大きいほど、認識の意味付けは大きく異なることになる。世界線において可能性の形で伝達され同一に保たれるべく作用するのは、世界運動の履歴に対してであり、世界の内部で観測される物理現象そのものではないからだ。

第五と第六が対峙し、第五が命を落として、第六が生き残る。残るのは、ひとつしかない。第五が生き残ろうとすれば、第六が失われることになるだろう。正面衝突するのなら、それしか方法は無い。だからこそ、抜け道を。ひとたび世界から忘れ去られようとも、その喪失に逆らって名を呼び続ける、誰かの元へと続く道を。

|

« ビタミンの日 | トップページ | 若宮おんまつり »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: なまえ:

« ビタミンの日 | トップページ | 若宮おんまつり »