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2010年1月 8日 (金)

追走曲

せっかく森に隠れていたのに。どうしてその森を焼かなくてはならないのか。もっともらしい理由は幾つもあるだろう。でも、第三者の介入とどちらの確率が高いかを考えたって、五分五分じゃないのか。

相手の立場に立って思考出来ない者に、戦術の演出が出来るのかどうか、根本的に大変疑問だ。現状、それ以前の問題だろうけど。

クーリンガンは基本的に、同じパターンの戦いを仕掛けている。炎の要素が急激に強まれば、生き残れない人々が存在する。ただ、彼らは形を保つことで命も保てるという、特殊性も持っている。だから、物理域の変動によって命を落とす危険性の高い人々でも、いったん生ける死者としてでも生き残らせれば、その後彼らを元に戻すことが可能であれば、それが一番たくさんの命を助けることが出来る唯一の方法になる。

そうまでして、炎を呼ばなければならない理由が、彼にあるのなら。たくさんの犠牲を覚悟してでも、やらなくてはならない責務があり、それでもなお出来る限りたくさんの人々を助けようとする、そういう悪あがきをして諦めない心があるのなら。

でもその作戦を、神の如き遥か高みから見下して辻褄あわせで強要しようとしても、結局は成功しないだろう。最後のピースは、まだ手に入っていないんじゃないのかな。

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