茅の輪くぐり
王島とヤガミとが細い通路に入り込んで、その姿が見えなくなるまで、なつきはじっと、綺麗な敬礼の姿勢を保って微動だにしないまま、後ろ姿を見送っていた。やがて彼らが順路の角を曲がり、完全に見えなくなったのを確認して、始めてなつきはため息を吐きながら、その姿勢を崩した。とはいっても、さすが儀礼の場から要人警護まで、イメージ戦略もまた任務の範疇とするバトルメードである。しかもその最上級職であるハイ・バトメの彼女は、僅かに休めの姿勢を取ってはいても、すらりと伸びた美しい姿勢には、一部の隙も無かった。
広幡から用心深く距離を置き、尚且つ彼の動きがきちんと視野に入る位置を選んで、しかも華奢な銀色の箒を握った手には、その空間を一瞬で埋めるであろう力が、油断無く込められている。小柄な身体とはアンバランスに長いその銀の杖が、どれだけの速度を発揮して回転するのかを目の当たりにしてしまっては、その威力を自分の痛みで確かめたいとは誰も思わないだろう。それでも、はるかが子供達のところへ行ってしまったため、相手がバトルメード一人になったことで、やや気安くなったのかもしれない広幡は、何度か視線をさ迷わせて躊躇った後、ぼそぼそと口を開いた。
「……心配なら、爆弾解除なんか止めさせればいいじゃないか。」
なつきのことを侮ったというよりも、緊張状態に置かれて、じっと黙ったままでは我慢出来ないという類いの、詰まるところ会話の内容はなんでもいいような口を開いたような広幡だったが、同じバトルメードとはいっても、えるむの時のようには訳にはいかなかった。なつきから返されたのは冷ややかな沈黙だけで、広幡は仕方なく再び口をつぐんで、所在無げにぼんやりとした視線を周囲へ漂わせた。
その視線がふと、壁に掲げられた展示作品へと向けられる。広幡の眼が、その展示の上を単に滑っていくのではなく、きちんと内容を把握して読み込んでいるらしき気配を見て取って、今度はなつきがぽつりと口を開いた。
「……その展示は、向こうの子供達の作品なんだから。」
「えっ、あんな子供がこれを?」
掛け値なしに驚いたらしい広幡は、思わず大きな声を上げてしまってから、まるで自分のその声に驚いたかのように、きょろきょろと視線をさ迷わせた。そんな広幡を眺めながら、不機嫌にむっと唇を尖らせたなつきが、剣呑な声で言葉を続ける。
「莫迦にしてるの? 子供達みんなで、何カ月も頑張って作ったんだって嬉しそうに話してくれたのに、捏造とか言ったら承知しない。」
「い、いや、捏造なんかじゃないのは見れば分かる。細かいところまで丁寧に調べて、素人にしてはなかなかよく出来てる…。」
反射的にそう答えてから、再びなつきの無言の視線に晒された広幡は、それでもようやく、自分の言葉がどんな印象に聞こえているのかに思い至ったようだった。自分の言葉に今更ながら驚いたような顔で、広幡は慌てて言い訳を継いだ。
「ば、莫迦にしてる訳じゃない。俺は自然環境の地質調査や農地の土壌改良が専門なんだ。研究者でもこれだけ細かな山野草調査は、なかなか出来ない。そうか、あの子達がこれを…。」
純粋な賞賛のまなざしを送りながら、何処か嬉しそうに頬さえ緩ませて展示を見上げている広幡に、なつきは苦々しげに眉をひそめながら呟いた。
「…そう、農薬や肥料の化学的知識があるから、爆弾作成なんてやらかしたのね。せっかくの専門知識をそんなことに使うなんて。」
低く押さえ込んだ言葉ではあったが、情報伝達のプロであるなつきの声は、やや間をおいて座り込んでいる広幡の耳にもきちんと届いた。柊星のように、無遠慮に投げ付けられる言葉の厳しさとはまた違う、鋭利に切り込んでくるようななつきの言葉に、広幡はやや青ざめながら、相変わらず上滑りな声で勢いに任せて言い返した。
「く、国が平穏無事なら、俺だってこんなことに手を出したりはしなかった。でも、外敵に攻められるならまだしも、いきなり藩国合併なんて政治家同士で勝手に決めて、ろくな移住計画もないまま強制的に人間も動物も昆虫も植物も、ゲームの駒みたいに動かして、そんな無茶がうまくいく筈がないじゃないか。しかも合併後に色々な問題が噴き出しても、いつまでたっても対策どころか被害状況の確認さえしようとはしない。藩国政府がもたもたしているために、もう何十種類もの山野草が絶滅に追いやられている。この調査結果を見ただけだって、それははっきり分かるじゃないか。」
「そんなことは!」
思わず大きくなってしまったらしい、ぴしゃりとしたなつきの声が響いて、さすがの広幡も言葉を途切れさせた。先程と全く同じ姿勢のまま、そのまなざしだけを険しくして広幡を見下ろしているなつきに、まるで強情な子供のように、口元を引き結んだ広幡がちらちらと視線をうろつかせている。それでもなお、広幡としても、この部分だけは譲れないという拘りがあるらしかった。何とか隙を見計らって、次の言葉続けようとしているような広幡の表情に、なつきは低く静かに口を開いた。
「そんなことは、あの子供達が一番良く知ってる。でも、あの子達は貴方のようなことをしたりはしない、そうでしょ。自然環境保護が必要だって思うのなら、相応しい方法は他にもいくらだってあるじゃない。それなのによりにもよって、まるで正反対の、そういうものを守ろうとしている人達を傷つけるようなことに手を貸すなんて。」
自分の感情を押さえて、冷静に言葉を選ぼうとしている気配がありありとにじむ、なつきのくぐもった声音に、さすがに少しは感じるところがあったらしく、広幡は一度は言葉を飲み込んだ。だが、まるで押さえ込んだ筈のその言葉が、自分からあふれ出たとでもでもいうように、広幡はもう一度、ぽつぽつと言葉をこぼれさせ始めた。
「……子供じゃ、分からないことだってある。俺の家は古い家柄で、今は昔のような勢いはまるでないけど、それでも政財界の情報が色々と流れてくるんだ。旧初心というのは、発想は面白い藩国だったかもしれないが、内部的にはあちこち破綻して、立ち行かなくなってた。都築側からすれば、合併がどうしても必要という状況じゃなかったんだ。なのに、合併の条件はどれも対等か、かえって都築の側に不利なものばかりだ。地味で目立たないかもしれないけど、辛抱強く地に足をつけて積み上げてきた都築の文化は、ばらばらにされてしまったんだ。後先考えない自分勝手な奴らを、助けてやったんじゃないか、それなのに」
ひとたびあふれ始めた言葉は、結局だんだんと勢いを増して、何処か内に籠もったような、何も相手に伝えることなく空虚なままで、次々と流れ続けた。対話の相手である筈の、なつきのことさえ意識の外へと追いやられつつあった広幡の目前に、突然前触れも無く、銀色の光がしゃんと音を立てて跳ね上がった。それが何であるのかもろくに反応出来ないでいるうちに、その銀色の光はそのままぱしりと肩口に打ち付けられ、そのまま動きを止めた。それはよく制御され、小気味よく音を立てただけのことではあったが、咄嗟のことに、ぱくりと口を開けたまま、広幡は凍りついた。
それが、目にも留まらぬ速度で瞬間に間合いを詰め、自分に襲いかかったなつきのガラスの箒であることに気が付くまでには、さらに数瞬が必要だった。込められた力としては大したものではないのかもしれなかったが、自分の肩を押さえて不思議な程に揺るぎないその銀の箒を構えるなつきを、広幡はのろのろと見上げた。鋭いまなざしではあるが、なつきの顔はむしろ静かだった。その表情のままに、静かに囁くような声で、なつきは口を開いた。
「これ以上、都築の人間を莫迦にするのは止めてもらいましょうか。」
「…ば、莫迦にしてなんか…。」
「都築の男は、助けてやってなんて恩着せがましいことは言わない。二階級特進が欲しくてWD部隊の方々が命を賭けるとでも思ってるの? 合併前の都築にだって、色々と苦しいところはあったし、旧初心の内部事情だって、情勢をきちんと知ろうとする人達はみんなちゃんと知ってた。それでも、ひとつの国として生まれ変わり、手を取り合って一緒に生きて行こうと決めたから、この国は始まったのよ。それを守ろうと、これまでたくさんの人々がずっと努力を続けてきた。あの子供達の努力だってそうよ。そういうことを知ろうともしないで、自分の見たいものしか見ないくせに、貴方みたいな人に、都築ってひとくくりに言われたくないわ。貴方一体何処を見てるの。ちゃんと眼を開いて、今自分の目の前にあるものを見てみればいいじゃない。今この瞬間のこの場所こそが、私達の都築の国で、満天星の国よ。」
| 固定リンク

コメント