乞巧奠
子供達のいるテントを後にして、足早に狭い通路へと飛び込んだヤガミと王島は、クランクの角を曲がって背後からの視界が遮られた瞬間、放たれたように同時に走り始めた。とはいえ、今度はヤガミがさりげなく一歩を譲歩し、自分から王島の背後に付く。曲がりくねった順路を全速力で駆け抜けるのでは、大の男が並んでいてはさすがに能率が悪いだろうし、鍛えられたWD兵の瞬発力や持久力と張り合って遊んでいられる程、状況は甘く無さそうだと、既にヤガミは判断を付けていた。先程なつきに連絡を取ってもらった時点では、逃亡した男が警戒ラインに引っ掛かったという情報が入っている訳では無いらしい。爆発音を隠れ蓑に逃げ果せた可能性もあるが、また同時に、やはりまだこのテントの内部に、何等かの仕掛けが残っている危険性も否定出来なかった。
無言のまま自分の背後に甘んじたヤガミに、王島はちらと視線を投げただけで、そのまま巨躯を見事な程器用に操って、バランス良くくねくねとした通路を駆け抜けて行く。その身体が移動速度を保ったまま、正に教科書どおりの律義さで、きちんと角ごとに死角からの攻撃に備え、油断無く身構えているのを感じ取って、ヤガミは王島が振り返る気配も無いのをいいことに、その背中ににやりと称賛の笑みを送ってみせた。二人はあっと言う間に、例の白い粘土の辺りに差しかかって、王島の視線は一層鋭くその存在を確認している。小さな白い塊は、先程確認した時と少しも変わりなく、そのままそこに置き去りにされているだけのように見えた。
狭苦しい順路を駆け抜けた二人は、ついさっき皆で状況検討をしていたポイントまで辿り着き、足を止めて油断無く周囲へと視線を走らせた。白い煙幕で光るように煙っていたテントの中は、配電設備が何処か吹き飛んだのか、照明は落ちて辺りは薄暗くなっていた。その代わり、満たされていた煙幕は爆風で吹き払われてしまったらしく、見違えるように視界が開けている。薄闇に沈んだその光景の中で、先程まではパネルで仕切られた壁だった筈の部分が、ぽかりと口を開いて、その向こうから幾らか明るい光がもれていた。一枚のパネルは完全に取り払われて床に転がっていたが、もう一枚は取り外している途中だったのか、開口部の端に斜めにぶら下がったままである。その扉へと迷わず音も無く歩み寄った王島は、一瞬だけパネルに身を潜めて警戒の態勢を取った後、素早く向こう側を覗き込んだ。
安全を確認したらしい王島は、ヤガミに振替ってちらりと視線を送った後、そのまま扉の向こうへと無造作に踏み込んだ。続いたヤガミが顔を出してみると、爆発で入り口付近のテントが一部吹き飛ばされてしまったらしく、パネルの向こう側には、天井方向から明るい光が差し込んでいる。ヤガミの目論んでいたとおりに、限られた空間に詰め込まれた曲がりくねった順路は、最短の直線を辿れば意外な程に近く、ショートカットが可能な配置になっていた。視界が開けてテントの中央まで綺麗に見渡せて、特徴的な中央のタワーの足元では、座り込んだ人影が作業をしている姿も難無く確認することが出来た。王島達が声を掛けるまでも無く、座り込んだ二人の人影の一人が、彼らに気が付いてすっくと立ち上がる。そのままその位置から動くことなく、くいと横柄な手招きしている柊星に、ヤガミに向かって視線で合図を送ってから、王島がのしのしと歩み寄って行った。ヤガミは開口部の向こう側の、比較的明るいパネルぎわの足元にざっと確認の視線を投げてから、再び薄暗い裏側へと戻り、今度は少し丁寧に不審物の確認をし始めた。
最初の爆弾の存在を知っている広幡が、このテントの内部に取り残されたなら、どんな行動を取るのか、彼を思い通りに操作して来た連中ならば、かなり正確に予測してくるだろう。もしくは、ヤガミやWD部隊の面々が加わった場合に、どんな行動を選ぶのか、そのさらに裏をかいてくる可能性もある。文字通りの化し合いの悪知恵比べに、思わずヤガミは、自分の口元をへの字に引き結んだ。現在テント内に取り残されたメンバーの中で、この一連の騒動の謎の核心に繋がっているであろう例の男に対して、最も個人的な印象を持たないのは、恐らくヤガミなのだろう。それは、互いの手の内を隠匿するという戦闘の第一歩において、敵に先手を取られてしまっているということに他ならない。自分の記憶の中の、白髪を装った男の記憶を睨みつけるようにして、周囲に鋭い視線を投げ付けていたヤガミに、背後から王島の声が掛かった。
「ヤガミさん、チェック作業ありがとうございます。」
「…いや、解除の方は?」
「それが、少し時間が掛かるかもしれません。先程の爆発で瑞穂が耳をやられているらしく、やや集中力を欠いているようです。」
「…閉鎖空間であれだけの爆発だからな、無理も無い。」
「タイマーの残としては5分以上ありますので、それに間に合わないということは無さそうですが。」
「……行方不明の最後の一つを考えれば、退避は少しでも早い方がいい。起爆装置解除は俺も出来る。作業を代わろう。」
「いえ、ヤガミさん、それは出来ません。」
「…王島?」
気が付くと王島は、まるで危険人物を相手にしているかのように、油断無くヤガミから距離を取り、その行方を阻むように足を踏みしめて立ち塞がっている。がっしりと伸びた背筋とは対照的に、肩からからだらりと垂れ下がった腕は、次の瞬間にはどんな状況にも対応可能な警戒態勢を示していた。ヤガミは薄闇の光景に沈んだ長身を見上げ、その表情を伺ってみたが、背後に洩れる光に逆光になった王島の顔からは、何も読み取ることが出来なかった。
「大変有り難いお申し出ではありますが、それは出来ません。お客人にご助力頂ける域を超えております。」
「おい、王島、今更」
「…いえ、むしろ今だからかもしれません。既にヤガミさんは、このテント内に閉じ込められている人員の指揮官でいらっしゃる。貴方には生き残る義務がおありです。万が一の場合に備えて、ヤガミさんには後方への退避が可能なポイントで待機をお願い致します。状況によっては失礼ながら、私が担いででも避難して頂きますので。」
一瞬息を詰めて王島の言葉を聞いていたヤガミは、その意図を理解して、深々としたため息を吐き出した。たくさんの子供達と一緒に閉じ込められた現状を考えれば、王島の判断は、ヤガミとしても的を射ていると言わざるを得なかった。WD部隊員達の反応の居心地の良さに、自分が前線人員の緊張感に浸っていたのだと気が付いてしまったヤガミは、むっつりとした不機嫌な表情で、せめてもの意趣返しとばかりに苦々しい言葉を吐き出した。
「……指揮官になった覚えはないが、そちらが迷惑だと言うような手の出し方をするつもりも、俺には無いからな。余計な心配をする必要も無い。担いで逃げるというのなら、負傷者の方だろう。」
「…ありがとうございます。」
ヤガミの返答を聞いた王島は、影に染められたその顔に笑みの気配だけを漂わせ、機械のような無駄のない動きで、深く腰を折って頭を下げた。
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一方、ヤガミと王島とが駆け抜けた狭い順路の中では、小さな次の敵が、音も無く燻り始めていた。彼らに置き去りにされた、白い粘土のように見えるそれらは、肉眼では捉えられない微細の世界で、静かに己の侵攻を続けていたのである。安定性確保の為に添加された成分を、空中に揮発させ終えた白い粘土状のものは、自らの身を燃やして、ぽっと勢い良く発火した。それは一定時間の経過後に空気中の酸素と反応して燃え始める、遅延性の燃焼物質だったのだ。しかもそれは、コースケが見つけ出した数ヶ所だけではなかった。いつの間にか通路のそこかしこで、小さな炎が幾つも燃え上がっている。大半が紙に書かれた展示物は、掲示されている背後の木製パネルと共に、思いがけないほどの速度で見る間に成長する炎に飲み込まれていった。
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