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2010年8月 1日 (日)

見沼の笛

 

 

***   感謝祭のますかれーど66   ***

 

だが、ヤガミのその命に対して、これまで打てば響くような反応を見せていたWD兵達は、一瞬躊躇したかのように動きを止めた。滅多に見られない、何かを考えるような静かな視線を投げかけた柊星に、瑞穂が微かに頷いて答えたのを見て、はっと気が付いたヤガミは、咄嗟に彼らの機先を制して口を開いた。
「…そっちの二人はこのまま先行して、向こう側のテント内の人員の、爆風からの退避を頼む。もう少し手間取らないで戻れるつもりでいたからな。子供達はまだ、この通路の正面に固まっている筈だ。」
「……おっさん達が先行でいいじゃねーか。」
「若いのの方が足が速いだろう。子供達の安全を優先したい。」

自らも足早に移動し始めながら、ヤガミは周囲のパネルと、その上にゆらゆらと波打っている透明な水へと視線を投げ掛けた。すっかり大人しくなった炎と、それと分かって探さなければ、見つけることも出来ないように朧な水の花とを、身の内に抱いたまま、青の水は冷んやりとした空気を通路一杯に満たして、静かに揺れているだけで、まるで彼らの行動を待っているかのようにも見える。この不可思議な現象にはるかが一枚噛んでいることを、訳もなく改めて確信しながら、ヤガミは無造作に腕を振って、二人を前へと促した。そのヤガミの背後にいつの間にやら回って、それこそ影のようにぴたりと付けた王島が、後を引き取るように低い声を上げた。

「二人共行ってくれ。殿は俺が引き受ける。」
「…おい。」
「議論の暇など無い。分かったらさっさと走れ。」
「…柊星、急ごう。」
ヤガミがむすりとした声を上げるに至って、似合いの仕草でひょいと肩をすくめた瑞穂が、先頭を切って素早く走り始めた。その順序に全く納得していないふて腐れた顔の柊星は、ただでさえ目付きの悪いその視線に、さらに剣呑な光を浮かべて投げ付けながら、ヤガミと王島の横を通り過ぎ、腹立ち紛れのような荒っぽさで加速してゆく。

多少のラグがあっても、一度本気で走り出せば、直ぐに瑞穂に追いつくことが出来るであろう柊星の脚力とは反対に、少なくとも今日のところは、このメンバーの中で一番足が遅いのは、ヤガミである筈だった。残り時間のカウントダウンと、この狭い順路の残った距離を脳裏で計算しながら、走り出したヤガミに、王島が囁くような声を投げた。
「ヤガミさん、ありがとうございました。」
「……何のことだか良く分からんが。」
「…は。あのコンビの先手を取るとは、お見事でした。」

王島の低い声に、これまでにも増して親しげな響きが混ざり込むのを聞き取ってはいたが、敢えてそれに無視を決め込むと、ヤガミはそれこそ死に物狂いの勢いで、足を速めた。一見した外見や先程までの動きよりも、ずっと速いヤガミの移動速度に、王島は少し驚いたかのような表情を見せながら、それでも余裕の面持ちでぴったりと付き従っている。背後のテントに残された爆発物が、最も対処優先順位の高い危険である以上、現在の最前線は正にこのヤガミ達のポジションであり、一般的な軍事行動のセオリーから言えば、ここには若手二人を配置して、指揮官的立場にあるヤガミが、先行するべきだったのかもしれなかった。

しかし珍しいことに、そんな教科書通りの常識を選択したくなかったというのが、ヤガミの偽らざる気持ちだった。それでも、この手の作戦行動の専門家として、常日頃訓練を積み重ねているWD兵達に比べてしまえば、現在のヤガミの足が後れを取るだろうこともまた事実である。柊星や瑞穂といい、王島といい、うっかり油断すれば、荷物のように担いで運ぶと言い出しかねない状況であり、事実その方が時間短縮も可能であるのかもしれなかった。が、ヤガミとしては、そんな格好でテントに運び込まれるなどという状況は、御免被りたいというのが本音というところかもしれなかった。

狭い通路を駆け抜けながらも、その空気は冷やりとした気配と共に、何かの結晶が震えるような微かな響きに満たされていて、自分達の足音さえ飲み込んでしまうような、不思議な静けさに支配されている。だが、その閉塞感すら打ち破るような柊星の怒号が、予想よりもずっと早いタイミングで、通路の向こうから微かに聞こえて来た。
「あっ、てめーら! こんなところに固まって火事見物なんかしてんじゃねーよ。下がれ!!」
少し遅れて、瑞穂の声も微かに伝わっては来たものの、その言葉が聞き取れる程のボリュームにはならなかった。脳裏で正確なカウントダウンを刻みながら、残りの距離と若手達の声の遠さの微妙な齟齬に、ヤガミは眉をひそめた。

最後の爆弾が、最初の爆発と同程度の威力を持っているのなら、設置距離が近い分だけ、今度の方が伝わって来る余波も大きくなるだろう。しかも、この通路の炎上がどのように左右するのか、この状況では全く予想が付かない。このまま、この青い水が炎を押さえ込んで、風圧だけを通過させてくれるのなら儲け物なのだがと考えながら、息を切らせ始めたヤガミは、目前に最後のパネルの角を見出して、苦しい息を無理矢理大きく吸い込んだ。

テントへと飛び込んで、視界が左右に開けるのと同時に、まるで堰止められていた音までもが、耳へと雪崩れ込んで来たように、日常の音の圧力が押し寄せてくる。その音をさらに裂くようにして、ヤガミの耳に、はるかの嬉しそうな声が届いた。
「ヤガミ!」
「王島さんも、速く、こちらへ!」
ともすれば酸欠になりそうな身体に、苦しい息を廻らせながら、呼び声の聞こえるテントの側面へと視線を投げたヤガミは、脳内のカウントがゼロに近付くのを確認しながら、今にもこちらへと駆け寄って来そうなはるかの姿を目にして、反射的に怒鳴り返した。
「前に出るな、伏せろ!!」

既に子供達は姿勢を低くしてテントの際へとうずくまり、その周囲に構えていた柊星と瑞穂、そして広幡とが、ヤガミの声に振り返る。最後のダッシュを掛けるヤガミと王島に向かって、変わらぬ冷静さで、瑞穂の通りの良い声が残り時間を読み上げた。
「…3、2、1、予想時刻です。」
その瞬間、先程の振動をさらに上回る、突き上げるように容赦のない衝撃と、押し込められたような圧力の低音が、テント全体を揺さぶるようにして轟いた。足元を掬うようなその揺れに逆らって、ヤガミと王島とは、揃って我が身を地面へと投げ出していた。

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