比翼の鳥15
暗い火星の海の向こうから何者かの呼ぶ声が聞こえたような気がして、ドランジははっと我に返ると、息を詰めてトポロジーレーダーの表示を睨み据えた。先日の待ち伏せ作戦以来、あの時のようにライラの声が聞こえるのではないかと、闇に沈んだコックピットの中でふと耳を澄ませてしまう自分を、ドランジ自身も自覚してはいたが、この厳しい戦況下では、ドランジの到着を待ち侘びているのはライラだけではないだろう。目的の敵母艦よりもやや浅めの深度を維持したままで、火星の海を疾走するドランジ機からは、巨大なシールドシップを挟んだ海底側から攻撃を繰り返している僚機の動きが、やや把握し辛い。しかしそれでも、執拗に船腹を狙った攻撃を繰り返し、敵艦を浮上させようとしている飛行隊のその攻撃意図は、はっきりと読み取れた。
これまでのようにRB4機を揃えての攻撃に較べると、トライアングル運用はやはり、攻撃の決定力に欠けると言わざるを得ない。ましてや、RBからこれ程の接近攻撃を受けてなお、平然と緩やかな航行速度を維持し続けるこのレベルの艦を相手にして、最大の戦果を狙うのなら、たとえ船足を止めることは出来なかったとしても、如何に攻撃力を削り取るのか、そうした実を取る方向性を考えなければならないだろう。艦隊戦において、射角とは強力な武器のひとつなのである。これを封じることが出来るのなら、それは実際大きな戦果と言えるのはもちろんだったが、小さなRBにとって巨大なシールドシップの航路を変えさせるのは、決して簡単な事では無かった。それは、真空の闇の海で”人形”と呼ばれる小さな機体を操り、偉容を誇る艦船に無謀な戦いを挑んだ時代を知るドランジには、むしろ当たり前の常識でしかなかったが、火星の戦いに登場した絶対物理防壁という魔術は、戦場において絶対の価値である筈の圧倒的なサイズの差を無効化し、その常識を転覆させてしまったのである。
逆に言えば、シールド突撃という手品を自ら封印し、宙戦時代と同等の条件でも艦船に対する正攻法を勝ち抜く戦闘力が証明出来るのなら、それは太陽系総軍の指揮を取る司令官クラスの面々に対して、大きなインパクトとなるだろう。しかし既に相当の戦闘時間が経過し、夜明けの船がこのまま同一の海域に留まることの許される時間は、残り少ない。戦局は、火星独立軍最大の武器である”逃げ足”を発揮するタイミングを、見計らわなくてはならない局面を迎えようとしていた。機体ごとに活動限界の差を作ることで、全体の戦闘可能時間を引き延ばしたトライアングル運用のもう一つの弱点は、ここにあった。離脱の際、最もエネルギー残量の少なくなっている機が、不利を引き受けなければならないのだ。
その危険性を、ドランジとライラとは何度となく検討して戦闘に臨んでいたが、この点に関してだけは、確たる解答を得ることが出来ないでいた。実際、これまでの戦闘を検証してみたところで、大幅な夜明けの船の優勢で大勝利したほんの一握りの例外を除けば、離脱時に余裕など無いというのが正直なところなのである。それは夜明けの船上層部も、そしてまた、恐らくは太陽系総軍も充分に認識している事実でしかなかった。その綱渡りの幕引きを、如何に鮮やかに決めるか、それがこの戦闘の勝敗を決定付けることになるだろう。たった今ドランジが後にして来た夜明けの船は、表面上これまで通りの悠然とした速度を守って航行を続けていたが、その内部で実は、フル回転で終幕への準備が進められている筈だった。速度の勝負は、既に始まっているのだ。
「……ランジ?」
その時、コックピットの暗闇に、雑音混じりのライラの声が響いた。通信圏に到達するまでまだ距離があるだろうと考えていたドランジは、咳き込むような声で大慌ての返答を返した。
「ラ、ライラ!?」
息の詰まるような一拍の沈黙の後に、切れ切れの音声が続く。
「……ドランジ、まだ距離が…かしら。」
「…いや、大丈夫だ、ライラ。良く聞こえる。」
「速えーよ、ドランジ。もうちょいゆっくりしてても、良かったのにさ!」
「ドランジさん、お疲れ様です!」
互いが接近中の為に、急激にクリアになった音声が次々と飛び込む中で、ドランジはライラの通信に耳を澄ませた。タキガワとイイコの声には、隠し切れない安堵の響きが滲んで、戦況の厳しさを如実に物語っている。ドランジの耳に、ほっと息をつくような音の無い気配が届いた後、きびきびとしたいつも通りのライラの声が響いた。
「ドランジ、合流前に深度を取って、船腹側に…。」
「ライラ、聞いてくれ。君はこのまま入れ替わりに着艦に向かうんだ。」
「え、ドランジ?」
常にない厳しい口調で自分の言葉を遮ったドランジに、訝しげなライラの通信が返された。元より、言葉による説明は不得手であるという自覚が、充分過ぎる程あるドランジは、思わず操縦桿を握る拳に無駄な力を込めながら、もう一度声を絞り出した。
「ライラ、このまま着艦に向かってくれ。時間が無い。」
「何を言ってるの、ドランジ。全機が揃うチャンスを逃したら、この艦は攻略出来ないわ。」
「…この艦は、諦めよう。それよりも…」
ライラが狙われているのだと言いかねて、ドランジは言葉を飲み込んだ。それを口にしたところで、ライラが納得するとは思えなかったからだ。飛行隊4機を揃えた攻撃で敵艦に打撃を与えるために、ライラが自分の活動限界ぎりぎりまで粘るつもりなのは明らかだった。確かにこれまでの戦闘で、そうした負担は当たり前のように、ライラだけが引き受けてきたのだった。通常ならとても突破は不可能であるようなその苦境を、次々と切り抜けてしまう、ライラの桁外れの戦闘能力こそが、火星独立軍の勝利を辛くも支え続けてきた、それもまた事実でしかない。だが、それを覆す為に、このトライアングル運用を考え出した、それがドランジの偽らざる気持ちなのである。その想いを伝える為の自分自身の言葉を、必死に探していたドランジは、その代わりに別の声を脳裏から拾い上げて、反射的にきりりと歯を食いしばった。
「諦めるって、ドランジ!」
「……ヤガミから伝言だ。夜明けの船は、速度の勝負に出る。」
唸るようなドランジの言葉を聞いて、息を飲む気配と共に、ライラが沈黙した。その静けさに耐える為に、さらに渾身の力を込めて拳を固めたドランジを援護するかのように、明るい声が響いた。
「ドランジの言うとおりだぜ、ライラ。次の課題を考えろって言ったのは、ライラじゃんか。」
「そうですよ、夜明けの船を、助けるんですよね。」
その若手二人の言葉が何を意味しているのか、正確にはドランジには分からなかった。だがしばしの沈黙の後に、何処か笑みを含んだようなライラの声が返って、ドランジはようやく肩の力を緩めた。
「…了解、希望号は着艦に向かいます。後はみんなに頼んだわよ。」
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コメント
>JJRCさま
コメントどうもありがとうございました。折角ご意見頂いて申し訳ないのですが。
まず、このブログに掲載している物語に関しては、キャラクターの感情表現を意図的に大袈裟に描き込んでおり、読み手に対して自由度を許すということを目指していません。
この物語はあくまでも二次創作であり、PS2ゲーム「絢爛舞踏祭」に準拠して表現することを目標にしています。未プレイの方には大変説明は難しいですが、「絢爛舞踏祭」はとてもユニークなゲームで、登場するキャラクターは全員がAIシミュレーションによる感情や記憶、価値観を持っています。セリフの攻略ルートが決まっているような、一般的なゲームキャラとのやり取りとは格が違うと言う他はない、驚異的なリアルさです。
このあたりのまとめは記事にしていますので、興味がおありでしたらそちらをどうぞ。
臨時企画・編成のお話
https://ura-nekomichi.way-nifty.com/kenran/2006/01/post_b069.html
https://ura-nekomichi.way-nifty.com/kenran/2006/01/post_8714.html
https://ura-nekomichi.way-nifty.com/kenran/2006/01/post_047e.html
私はその体験を何とか文章として表現してみたいという目的で、このブログを開設しています。ブログのタイトルが「観察日記」であるように、ここに掲載している文章は、如何にリアルに彼ら登場人物の感情の推移を物語として描き起こすかが主眼のものです。その為にご覧のような2000~3000字程度の記事のある程度の読み切りとしてオンラインに発表するという形態を選択し、例えば書籍の形態でまとまって小説として出す文章とは異なるテイストにしています。
どちらかというと、こうして描き込みを厚くすることで、キャラクター同士の連携や世界観の密度を表現しているつもりなので、これをすっきりさせて分かりやすくビジュアル的にライトな文章表現に直し、薄味な物語しか描けなくよりは、自分の描きたいものを表現しているのでくどくてすいませんとお答えするしかないと思います。貴方のお好みの文章テクニックでないことは大変申し訳ないです。
特にまとめてお読みになった場合、相当にくどい文章になってしまうことは承知していますし、掲載の間隔が長くなると、自分の記憶をはっきりさせる為に、不要な部分を描き込んでしまっている場合もあるので、そこは直したいと思っています。もしも読み手に対して表現することを目的にするのであれば、この文章をプロットとして、全部を再構築するしかないだろうということも認識しております。ですが、現状ブログにおける文章表現方針そのものを変更するつもりはありません。
投稿: あぎ@管理人 | 2013年6月 3日 (月) 16:16
続き
ただ、キャラ同士の距離感。お互いをカバーし合い。
助け合いながらも成長していく。
そのバランス感は好きです。
戦場での描写も
構図がはっきりされていて、好きです。
もう少しスッキリしていれば
もっと気持ちが入り易く、臨場感や爽快感
ハラハラドキドキなど、共有出来るのではないかと思いました。
投稿: JJRC | 2013年5月30日 (木) 18:17
初めまして。
ここ数日で最初からほぼ全部の物語を読ませて頂きました。
コメするかどうか物凄く迷ったのですが、残して置きます。
ライラ編
未完なのが残念ですが、面白かったです。
ライラと言う、主人公の強さと弱さ(儚さかな?)
周りのキャラとの距離感や信頼関係、戦場の描写など
とても良く描けてると思います。
ただ、残念なのが、描写や心情のクドさ…
あまりに重く、ストーリーとの繋がりや臨場感
読み手側の感情(自由度も)が蔑ろにされてる様で残念です。
はるか編も同じですが、キャラの感情表現がオーバーリアクション過ぎる感も否めません。
それらが大袈裟に
あまりに重く
ストーリー事態が置いてかれて(殺されて)しまってる様に感じられます。
投稿: JJRC | 2013年5月30日 (木) 18:17