ニスガ族の日
「マワスプの中には呼吸器疾患の火星風土病に対して、とても抵抗力の弱い人達がいたの。極度に住環境に拘る理由のひとつでもあるけど、水打上げ産業が急速に拡大した時期に、相当数のマワスプが感染を恐れて火星を離れ、地球へと戻った、貴女のお母様もその一人だったのよ。」
「幼い頃から地球で成長し、貴女のお父様と出会って結婚、そのまま地球で生活していたお母様は、ご自分に火星先住民の血が流れているかもしれないことを、知らなかったんじゃないかな。お婆様である桜の女王アヤ・タフトも日本の方だし、そもそもタフト家も、新大陸では最も古い家柄だ。ご先祖様の誰かが、ネイティブ・アメリカンと恋に落ちたりしていたのかもしれないしね。貴女に黄色人種系の形質が強く現れてもおかしくはないんだ、だが貴方のお母様には、それが分からなかった。」
緊張に上ずった声のスイトピーに対して、憎らしいぐらいに調子を崩さない口調で話し続ける土岐は、その台詞を止めもしないままで、ふわりとしたさり気ない動きでスイトピーの肩に手を置いた。その時になってようやく、自分が立ち上がったままであることに気が付いたらしいスイトピーは、はっと我に返ると、ちらと土岐へと視線を送りながらも、素知らぬ顔で再び優雅に腰を下ろした。その余りにも息の合ったやり取りを、渋い表情で見るともなしに眺めながら、ヤガミは目前で転がりゆく展開の予想外の方向に対処すべく、脳裏の情報を再検討し続けていた。
混乱期の地球において、フィオレ・アガペテス・タフトがどんな状況に巻き込まれていたのか、恐らくはエノラやジョージ・タフトさえ知らない事柄に及ぶまで、ヤガミはおおよその情報を把握していた。エノラとタフト家との間に血縁関係が無くても、おかしくはないような事件に、彼女が巻き込まれていたのは事実だったのである。マワスプという存在がどんな遺伝的特質を持っているのか、当の本人でさえ知らなかったのなら、生まれた娘の肌の色を見た瞬間に、事実確認を諦めてしまうこともあり得るだろう。実際、母がマワスプの一員であった事実を、よもやエノラ自身が知らないなどということは、ヤガミも想定してはいなかった。とはいえ、そのことだけで全てを楽観論で手放しに喜ぶことは、ヤガミには出来なかった。傍らで既に、大喜びの感情を何とか我慢しているのが、手に取るように伝わってくるはるかから、意識を背けるようにしながら、ヤガミは不機嫌な抗議の声を上げた。
「……待ってくれ、例えフィオレ・タフトがマワスプの事情を知らなかったとしても、ジョージ・タフトがそれを知らなかった筈は無い。」
「ふむ、確かにそうだ、だからここから先は、私の推測でしかないんだが。ミズ・エノラ、血縁鑑定のゲノムチェックをしたことは、なかったんだね?」
「お、おじいちゃんが、必要ないからって、おばあちゃんと声がそっくりって、だから…。」
「ああ、パパ・ジョージは、最初から確信していたんだろう。必要すら無かったと、そういうことだね。でも、タフト元大統領が拒否したことで、周囲は逆の意味で解釈した、血が繋がっていないことを確認されないためだと。どちらかと言うと、そう仕向けたと言うべきかな。」
「何でだよ、本当の爺さんだって最初から分かってたら、エノラは辛い思いをしなくてすんだんじゃねーか。」
「果たして、そうかな。じゃあ今度は、エノラに質問だ。」
「えっ、あっ、はい。」
「この艦に連れて来られるよりも前、貴女は火星人をどう思っていた?」
「あ、あの…。」
あまりのことの成り行きに理解が追いつかず、呆然とした雰囲気のエノラだったが、土岐の言葉を聞くと、不安そうに表情を曇らせた。夜明けの船に連れてこられた経緯はともかくとして、それよりも以前から火星人を敵視していた感情は、エノラ本人にとっても、今更忘れられるようなものでもないのだろう。言葉に詰まったエノラに対して、土岐は静かに抑えた穏やかな声で言葉を続けた。
「責めている訳ではないんだ。地球大統領の孫娘として、敵であるテロリストを快く思わないのは当然のことだよ。でも、パパ・ジョージもそれと同じ意見だったのかな。」
「そんなことないわ、おじいちゃんは異星人の友達もたくさんいて、火星人にも友達がいるんだって、いつも…。」
「彼なら、そうだろうね。じゃあ。貴女に火星人の悪口を吹き込んだのは、誰だったのかを思い出してみるといい。」
「……。」
「軍のお歴々や、大統領補佐官や、そういう人達だったんじゃないかな。貴女のお父様が結婚を決めた時、まだ火星と地球は仲が良くてね、だから貴女のお母様がマワスプの出身であることは、軍の内部でも友好の美談としてもてはやされた。だが、火星との間が険悪になってからは、そういう話題は鳴りを潜めてしまった。アヤ・タフトの演説と同じだよ。そんな時期に、貴女が保護され突然大統領の孫娘としてやってくる。もし貴女が火星人だと分かったら、貴女の思い浮かべる人々がどんな顔をするのか、聡明な貴女には想像がつくだろう。」
「…わ、わたし…。」
「パパ・ジョージは、そんな悪意から貴女を守ろうとしたんじゃないのかと、私は思っている。とはいえ、こんな推測は、外野の勝手なこじつけでしかない、外れていたら、私は貴女にお詫びをしなくてはならないんだが。貴女とパパ・ジョージとの間に、最早血縁云々などというものは、必要無いのだとしても、もしも当たっていたのなら、貴女はマワスプとも、火星先住民とも、私達日本人とも血の繋がりを手に入れたことになる。ちょっとしたプレゼントだと思ってもらえると、嬉しいんだがね。」
土岐の言葉を聞いて、エノラは我に返ったかのように、スイトピーへと振り返った。議長席から自分へと注がれた碧い瞳を見詰め返し、そして、先程から傍らに立ち尽くしているタキガワへと、視線を彷徨わせる。ブリーフィング・ルームに打ち揃った一同が、じっと自分の表情に注目しているのに、今更ながら気が付いたかのように、いくつもの黒い瞳の間を彷徨っていたエノラは、やがてぽつりと呟いた。
「……わ、私、おじいちゃんと話さなくちゃ。」
「エノラ、艦長席ホットライン通信の使用を特別に許可する。あれが一番速いだろう。MAKI、準備を。」
「了解致しました。ですが、艦長以外のホットライン通信使用は、立会人が必要になります。」
「あっ、私、私行こうか、ね!」
「はるかにはもう少し話がある、ここに残りなさい。」
「えっ、あっ、はいっ。」
「…タキガワ、威信点は足りるだろう。頼んだぞ。」
「え、俺?」
「タッキー、ごめんね、お願い。」
「お、おう。分かった、行こうぜ、エノラ。」
ようやく自分の職務にありついたタキガワは、はたと表情を引き締めると、どこか強ばったぎこちない仕草でエノラを先導し、ブリーフィング・ルームを後にした。二人の姿がドアの向こうへと消えた途端、ヤガミの横ではるかがくるりと回ったかと思うと、こちらも興奮冷めやらぬ明るい声を張り上げた。
「良かった! エノラ、良かったわねー。」
「はるか、まだ完全に確定した訳じゃない。部外者が浮かれるのは、情報がはっきりするまで控えなさい。」
「は、はいっ、すいませ…。」
「うーん、凄い難しいもんなんだな、戦いに巻き込まれた行き違いとか、その、民族の違いとか。同じ家族なのに、」
「…家族だからこそ、上手く言えないこともあるのかもしれませんね。」
シリアスな場面から解放されて、ようやくほっとしたような面々の声を聞きながら、ヤガミは無意識に腕を組んだまま、土岐の推論をじっと検証し続けていた。その内容に不満があった訳ではない、むしろ、不満がなさ過ぎたというべきかもしれなかった。確かにジョージ・タフトという人物は、最良の目的を達成するためには、ある意味手段を選ばない果敢さをも持っていた。彼ならば、エノラの為に彼女を偽物にしてしまう工作を企てることも、十分に考えられるだろう。地球大統領であったジョージ・タフトと、火星独立軍として全面的に敵対したヤガミではあったが、一方で、パパ・ジョージという人間が在り来たりの政治家のステレオタイプには収まりきらない人物であると、疑ったことは無かった。如何に孫娘が誘拐されたからと言って、その引き替えに地球大統領の座を放棄することが出来るというのは、ジョージ・タフトが敵である火星独立軍を信頼していたという、何よりの証拠なのである。そしてまた、そんなパパ・ジョージに対する信頼が無ければ、エノラやタフトを夜明けの船に「保護」することなど、不可能だったに違いない。
地球総軍に所属した人間なら、もちろん誰もがパパ・ジョージという人物を知っているだろう。だが、ジョージ・タフトが現役を退き、政治家に転身してから既に相当の年月が経っている。彼のひととなりを、これほど正確に把握しているのは、それこそ将軍クラスの年齢の人間に限られているのではないかと思われた。
「……確かにタフトなら、それぐらいのことはやりかねないな。」
「まあ、有り体に言うのなら、戦乱犠牲者の女性やその子供に対してなら、将軍達は無条件に優しいだろうからね。敵国人として白い目で見られるより、待遇としては数倍良かったんじゃないのかな。」
「……。」
「土岐、貴方は…。」
「ああ、姫君、どうもありがとうございました。禁忌に関わる難しい発言をお願いしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、ミズ・エノラにとっては、マワスプの真実を知るために姫君以上の証言者はいらっしゃいませんでしょう。お見事でした。」
「…貴方は本当に、ずいぶんとマワスプの習慣にお詳しいんですのね。」
「それはもちろん、貿易商人にとって、情報は強力な武器のひとつですからね。大切なお客様の事情や好みを把握するのは重要なことです。今回の火星訪問も、理由の半分は、今後の情報収集の為なんですが。ああ、そういえば。最近火星のみなさまの間では、白いドレスが大変流行しているようでしたね。」
「……白いドレス?」
「そうです、今回お会いした方々は皆様口を揃えて、白いドレスに映える宝飾品をご希望とおっしゃいましたよ。どの方も大変なご執心で、金に糸目はつけないと仰って。特別な贈り物のご予定でもあるのかもしれませんね。」
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