« 陶片 | トップページ | がくしゅう »

2018年9月23日 (日)

神の〈腑分け〉

私の心は決まっている
最初から
問題なのは
どのようにして
 
悪があるからといって
それを無闇に滅ぼしたなら
それが持っていた機能も失われる
曰わく
猟師が熊を撃ち殺したら
その子ども達がどうなるのか
 
良いと
悪いとは
何だろう
古来
神と呼ばれる存在が
それをかたるけれども
 
つまりそれは
価値観を集積する機能だ
親が子に教える生きていく為の知恵が
継承され
或いはフォークロアとして立ち上がり
長く伝えられ濃縮されることで
巨大に成長し
人々と共に歩むもの
その時代時代の記憶や
価値観
裏付けのあるなしに関わらず
人々の記憶を伝えて行くもの
事件や災害
ことの顛末と
処罰の取り決め
そういうもので
神は出来ている
 
結局
それは過去しか語らない
今日が昨日と変わらないなら
それはきちんと機能するだろう
でも
未来は変わる
そして
過去、悲劇として
諦められてしまった誰かを
取り戻したいと願うのなら
 
ハッピーとは何か
誰にとってのハッピーか
それは
他者のハッピーを蹂躙しないのか
そして
エンドって何時か
そういうことを
獲得しなくては

|

« 陶片 | トップページ | がくしゅう »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 神の〈腑分け〉:

« 陶片 | トップページ | がくしゅう »