そしき
人間の価値観というのは、基本的には、生育環境によって如何様にも変化する。勿論生き物である以上、「生存」という大命題は別格であるけれども。
むしろ、人間はその生存戦略に多様なバリエーションを作ることで、人類全体としての生存戦略において爆発的な勝利を獲得し、繁栄してきたとも云える。そのためには、個々の個体に刷り込まれた既定部分が、他の種に比べて小さい方が都合がいい。先天的、本能的に変更の効かない部分は、ほんの僅かであると思われる。
歴史的問答を見ても、あんまり、そういう風に思いたくはないものだけれども。それはつまり、自分の体得した価値観が正しく、生存に適していると思いたい自己保存のバイアスとも云えるだろう。そういう風に、個の感覚は、人間においても自己の保存を上位に持ってくる。この傾向は、勝ち残った個体の傾向を全体に踏襲するという、品種改良的な機能としても有効であるのかもしれない。ゲノムが先か、それをツールとして優良種を選別することによって適者生存を果たす、生物の戦略なのかは知らないけど。
つまるところ、集団と個の価値観というのは、不一致で当たり前の傾向を持っている。これに齟齬がない個体は、逆に云うのなら、環境の変化には全く適応出来ないだろう。生育環境としての家族に完全適応したら、同質でありながら、遺伝的には問題が起きない集団を探さないと生き残れない。ていうのの集積が文化集団を形成するだろうし、あんまり煮詰まると、家族を関係を起因とする病を引き起こす。
たちの良くない集団に属しながら、真っ当な感覚を持つ個体は、外での養育を受けているものと思われる。それ以外、そのようにしかなれない個体とは、相当に稀なケースとなるだろう。
でも、そういう個体でなければ、集団の形成は難しい。つまりは、ならず者でありながら、価値観としては真っ当な筋を理解していないと、幹部になれない。それ以外は鉄砲玉の使い捨てだ。
で、そういう個体ばかりになると、自分の身内、自己の生存を脅かさないグループの集団内での生き残りに固執、権力の維持に腐心するようになる。身喰いや内ゲバの挙げ句、いずれ自壊する。
これを防ぐ方法論は、現在のところ、権力の継承しかないだろう。世々常に新しいのは解体再構築の遷宮だけだ。それが、状況の変化に適応している、この戦略が現状最も息の長い集団の生き残り戦略なんじゃね。
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